煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)

主に教育関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。

2003年3月30日
日本経済新聞より
昨日の連載「今どきの子ども」に書かれていたことです。『「宵っ張り」早寝の子は非行に走らない』と副題がありました。早寝の子は、朝早く起き、朝食をしっかりと食べ、学校での休み時間は友達と外遊びをするなど活動的である。
ところが、夜更かしする子は、朝食を軽く取り、学校の休み時間は教室で漫画を読むとありました。
これは、人間がもともと昼行型の生物であるため、体内時計が正常に作動できるように生活するほうが活動的で頭も良くなることを示していると思われます。多くの人では、大脳は骨格筋からの刺激を受けることにより活性化されます。運動不足になると、大脳が寝ているのと同じような状態になり、勉強などに支障を来します。運動をしすぎると刺激を受け取りすぎ興奮状態に陥ります。そのような場合も大脳の働きは低下します。どちらにしても考えるということができにくくなり、よからぬことのほうを簡単に思いつくことになるのではと思います。
今日は、話がズレたかな。

2003年3月29日
ニュースより思うこと
本日のNHKのニュースで、今月の始めごろ、日本国内の「外国人学校」の大学受験資格について、イギリスなどの評価機関の認定を受けているところだけ認めるというのがありましたね。いろいろなところからの反発等で一旦撤回して再度検討するそうです。文部科学省は、日本の高校に対して修業年限などの形だけで高校卒業などを決めていた為、どの程度の学力が保証されておれば良いかの基準ができていません。これを機会に日本の高校についても「卒業認定」の基準を作ってください。それに達していればどこの高校と同程度学校をでておれば「卒業」と認定し、大学受験などを認めてください。その代わり、学力程度が基準に達していない場合は、日本の高校であろうと大学受験を認めないでください。例えば、今のセンター試験のレベルで50%以上とかに決めてください。センター試験、丸暗記式の勉強ではしんどいですが、理解してから覚えるにすると楽ですよ。今の高校生の理解力、低下しているので理解していないのに錯覚で理解しているように思っているのがたくさんします。だから、得点が伸びないのです。

2003年3月17日
日本経済新聞より
昨日のSunday Nikkeiの中の「エコノ探偵団」は、アメリカのMBA(経営学修士)の課程への留学熱が、再び高まっているということについてです田。
その目的の中に「中国などからの留学生との人脈つくり」というのがありました。中国からアメリカなどへの留学生は、将来、政府の高官や企業の経営者になるエリートだそうです。すると、日本に留学してきている人は、どうなのかな。しっかり勉強しようとしてきているとは思いますが、トップレベルには、日本の大学が評価されていないということになるのでは。卒業や修士の終了したときのレベルが、あいまいだからでないですか。
日本の大学は、世界から取り残されているところが増えてきているのではと、危惧します。教育改革は、大学卒業のレベル、その内容からしてください。世界に通用する内容にね。「覚えるだけ」これ、DVDーROMなどのほうが確実ですよ。人間は、覚えるだけでは、馬鹿になります。

2003年3月16日
日本経済新聞より
本日はSunday Nikkeiの中の内外時評「公立高校に残された役割は  哲学なき東京都の”改革”」を読んでです。
東京都は、今年の高校入試から学区制、学校群を無くし、都内どこでも受験できるようにしました。これは、以前の日比谷高校などの復活も狙いの一つらしいです。特色あるといいながらです。学校群制度を取り入れた時、これで受験戦争の解消できると思っていた節があるとも書いてあります。
受験戦争の問題点は、大学への入学歴が生涯にわたり有効であると思われているかぎり続きますよ。企業が、採用の時、まず何ができるのかで判断しなくては駄目ですね。その次が人間性かな。仕事を遂行する能力があるのか、それが第一では。次に、大学の「卒業認定」のレベルですね。基準をはっきりさせる必要があるのでは。そしてアメリカの有力大学みたいに入学後、鍛えに鍛えてできないものは「躊躇なく留年させる」ことを実行すること。定員より多く入学させ、卒業は定員以下でもいいのではと思います。
これからは、国際的に通用する人材を養成する必要があるので各校種とも卒業のほうを厳格にすれば、受験戦争は解消の方向に向かうのではと思います。官庁や企業内での仕事の評価、今までのままですと受験戦争は無くなりません。

2003年3月15日
日本経済新聞より
本日は連載「大学が変わる 第3部 揺れる入試」の読者からです。東京の大学教授の方の意見が紹介されていました。それによると推薦で入学した学生の追跡調査によると、成績分布がふた山で半数は学習が困難になっていることが分ったそうです。その理由として、推薦組はきちんとした努力で結果を出す経験が備わっていない学生も多く、ついていけないのだろうということです。別の方も、「学力下位高校では、一般入試は無理だから推薦で」で、進学希望者は面接の練習と小論文以外、ほとんど勉強していなかった。入学後やめる推薦組は多いと書かれています。大学が、卒業生のレベルをどのようにするのか決めれば 入学時の学力なども見えてくるのではと思います。今の高校教育の現状では、文部科学省が入学定員割れを認める必要があると思います。高校生の学力が向上してきたらアメリカみたいに出口を狭くでいいのではと思います。

2003年3月8日
本日の日本経済新聞の教育面の「法政大、学校法人初の格付け取得」です。大学が情報を開示したところで、利害関係者がただちにそれを理解し得るとは限らないとあります。そこで、専門知識を有する第三者機関が評価し、その評価結果が利害関係者の判断を助けるという方法が有効であるともあります。個人が全て理解し判断するのは事実上不可能であると思われるので、第三者機関の評価が有効ではないかと思います。問題は、国際的にも通用する第三者機関であることです。お手盛りの機関であれば、意味がありませんからね。
今日の記事の法政大学は、格付投資情報センターです。日本で初めてでもあります。他の大学でもいろいろな格付け機関から評価を受けてほしいですね。多くの格付けを受ければ格付け機関の評価もできるのではと思います。

2003年3月7日
昨日の日本経済新聞の社会面の「大学が変わる 第3部 揺れる入試」で「増える再挑戦者」と副題がありました。その中で、大卒後いったん電機メーカーに就職ののち、医学部を改めて受験した医学部生は、「社会とのかかわりの中で、自分の個性が見えてきた部分がある。」と話されています。
このことで思うのが、今の中高生は、アメリカなどに比べて、アルバイトなどを通した社会とのかかわりが希薄ではないかということです。勉強をよくする生徒も含めてもっと社会と係れるようにする必要があると思います。特に、勉強をしないから禁止としているところですが、逆効果ではと思います。社会とのかかわりの中で自分を見つけるということができないという意味において禁止は、愚の骨頂ですね。

2003年3月6日
本日のNHKのニュースで、日本国内の「外国人学校」の大学受験資格について、イギリスなどの評価機関の認定を受けているところだけ認めるというものでした。当然、日本の高校よりしっかり勉強させている中国や韓国などの学校関係者からの落胆の声が出ていました。
それなら、日本の高校も、イギリスなどの認定機関の認定を受けさせてみてください。どれだけ、認定が受けられるか見物です。一発で認定を受けれるところも多いでしょうが、これで高校?、一応高校も多いですからね。文部科学省は、自国でも判断しなさいよ。脱亜入欧では、日本は成り立たなくなってきてますよ。

2003年3月4日
昨日の日本経済新聞1面のトップ記事、「初の病院格付け会社」がありました。経営内容など5段階で格付けを予定しているそうです。
岩手など5県は県立病院を対象に評価業務を開始予定であるとあります。どちらも診療内容などが何らかの基準で評価され、比較できるようになると、競争による質の向上が期待できると思います。
いままで、病院はとかなんとかいっていたのが、何年か前からの評価機構による評価がはじまるなどしています。
教育でも行われてしかるべきです。
病院も、大学などの学校についても「評価基準」ですね。これがデタラメですと、本来良いところを潰すことになります。欧米を参考にして、日本の悪い部分を取り除ける基準を創ってください。
私も、もう少しで医療ミスにあうところでした。医学的なことがある程度分かるのでおかしいと思って事なきを得ましたが、まともな医者ならやらないようなことでです。医療ミスを無くすためにも良い基準を作り、その基準も常に点検しながら病院の評価をしてください。
学校も、過去の惰性から決別するときが来ていると思います。良いと思ってしていることの多くが?です。卒業時の質を保証できるよなシステムに、さらにその生徒が、学生が卒業後、自分で研究や勉強をして向上できる力を保証できるようなシステムにしてください。

2003年3月2日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>が1つまたは3つある行が管理者、何もないところと>>が相手からの回答、『』内が私の感想です。

>>>評定は何をもとに出すのですか。評価することが前提では。
>認めるか認めないかということが評価の前提ですね。
>何らかの学習に対してテストを行う。採点する。このときの正解は何なのですか。
>採点者の価値観による評価と違いますか。
>ものの見方(価値観)が違えば正解も変わることがありますね。自然科学でもあります。
>特別活動等でも「ある活動」に対しても教師によって評価が違うとか言いますが、
>評定が違うとは言いませんね。芸術関係でも、まず、評価してもらうとかいいますね。
>そののち、どの程度なのかの評定がでるのでは。
確かに「評価」なしで「評定」は難しいと思います。
また、学生から言っても、評価されずに評定で切られた場合、不満が残るでしょう。
「評定」はある時期における評価の積み重ねに過ぎないと考えても良いでしょうか?
その場合、評価基準が多くの人に納得できるものである必要があると理解して良いでしょうか?
義務教育の場合、評価も評定も教師によって変わる場合があります。
(この場合の評定は通知表などを指します。)
それが問題なのですが、何を評価基準に持っていくかは決められていても、結構曖昧だったりします。

『絶対的といわれる基準を創るは難しいですね。でも、多くの人がある程度納得できる基準は作れるはずです。日本は今まで取り組んできていませんから難しい、だから、作らない。すると、相対的になってしまうのです。まだ、貧しかった頃は今の発展途上国と同じです。上昇志向が強かったので競争が激しくよく勉強していたので問題点が出てこなかっただけだと思います。今は、「現状満足派」という感覚の生徒、学生が大多数を占めるようになってきたため、競争原理が働かなくなったのでは思います。』

>>>さらに、追跡調査を行う必要もあります。
>>そうですね。同意権ですし、私の勤務先ではそうしています。
>>(専任の教授陣が委員会形式で行っています。)
>文部科学省から、経営上余分な人員と見られる恐れがありますが、その時は、頑張ってください。
上のように書きましたが、それが妥当かどうかはいつまでも疑問が残ると思います。
でも、がんばっていきたいですね。

>>>大学も卒業生の学力が大学卒にふさわしい者のみ卒業させるべきです。
>>そうですね。今のところ、そのようにしています。
・・・と書きましたが、それも独善的な部分は否めません。

『大学のどの学部学科においても基礎的な部分があるはずですね。その部分は、外部機関の評価の対象になるはずです。大学にまず、先行的にやってほしいのです。大学の次は、高校。その次は、中学校という風になれば思っています。』

2003年3月1日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>のついている行が管理者、何もないところが相手からの回答、『』内が私の感想です。

>会津大学ができた年ですか、外国人教授が「絶対評価的」に評定をつけて25%ほど留年させたそうです。
>そのとき、父兄が騒いで「当時の文部省の指導」で補講等をして多くは進級させたそうですが。
>外国人教授は「できない者を留年させてなぜ悪いのだ」とかなんとか言ったそうです。
>その後、外国人教授の数は減少しているそうですが。

笑えるような笑えないような話ですね。
大学の存在意義そのものを問われている気がします。

『大学だけでなく、日本の教育の存在意義が問われている面があります。どのようなことができる人間を育てるかという視点が抜けているため「できないから落第」させることができないなのではと思います。
学校で一番大事なのは学力(これの定義が難しい)です。集団でのしつけは、本来、地域社会や家庭である程度訓練しておくべきです。そこの点も抜けているため、学校本来の目的が希薄になってしまって、3年とか4年とか居れば卒業になってしまったのでは思います。』


>>でも、たとえば教育系の大学で人柄は大切だと思います。
>>そんな場合、おっしゃる通り絶対評価でもいいかなと思っています。
>>「個性的な試験」と書いたのは、そんな意味です。

『その「個性的な試験」で基準をクリアして合格させた者が卒業時、初期の目標以上になっておればいいわけですね。大学教育の目標を達成できそうな者を選抜するためであれば、「個性的」でよいと思います。
話は変わりますが、センター試験みたいな択一式は、受験基礎資格程度に扱ってほしいですね。京都大学の理学部のようにね。』

2003年2月28日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>のついている行が管理者、何もないところが相手からの回答、『』内が私の感想です。

>2つの意味があるようですね。一つは自国民では、質を考えると人数が足らなくなる。

全世界が一つのものと考えれば、それでも良いように思います。
アメリカ的「自国民」にも他国からは分からない独特のイメージがあるかもしれませんね。

『アメリカは、その行動をみると、「アメリカのアメリカによるアメリカのための世界」と感じることがあります。アメリカの国力維持、そして何事も世界一の座にあるということに目標を置いているような感じがします。』

>もう一つは、競争相手が出現するということですね。

やはり、アメリカ以上の国ができることを望んでいないのでしょうか?

『あの行動パターン、望んでいないと思います。アメリカにとって役に立つ関係を望んでいる訳ですが、あくまでもアメリカがNo1であるという前提です。』

2003年2月27日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>のついている行が管理者、何もないところが相手からの回答、『』内が私です。

>欧米では、留学生を多数受け入れていますね。大学の水準を下げたくないためらしいですよ。

結局は大学の水準を守るためでしょうか?
今までの水準を保つのが難しいのに、それ以上を望むことは正しいのでしょうか?

『妥協していては、今の日本ではいくらでも下がりますよ。ほんの一部のどのような環境でも勉強することのできる者を除いて。取りあえず、ボチボチの生活ができるようになってしまいました。緊張感に欠けているわけです。官僚は当てにできませんので、大学が、企業がレベルを保つようにしないと今は世界大競争時代ですよ。日本が置いてきぼりを食らいますよ。』

>留学生はよく勉強しますから。昨年のNHKスペシャルの「中国」ご覧になられましたか。
>中国人の勉強すごいですね。
番組は見ていませんが、確かに「一人っ子政策」の一面が出ていますね。
ただ、そんな留学生ばかりでもありません。
日本の物価が高いので、生活に困り、バイトが主では?と思うような留学生もいます。

『大学が、あるいは国が対策を講じないためでは。イギリスでは、学生寮や奨学金を用意したり、ドイツでは、学生はほぼ全員奨学金がもらえます。ドイツの奨学金は日本円にして月6万〜10万円だそうです。授業料は年間数千円ぐらい、寮は1万円ぐらいです。これは、日本の世界的に有名な学会の会誌に書いてありました。
アメリカも相当数に十分な奨学金を出しています。どうもすべて自国の繁栄のためのようです。欧米の対策(基準に達した者に対してだと思います。)や日本の大学の内容のことがあって、優秀な者の多くが欧米に流れていると思われます。
例えば、本日の日本経済新聞の国際面2の記事ですが、「デジタル家電の中核部品DSP 中国が国産化」というのがあります。主力は、アメリカ留学から帰国した研究者が中心であるとあります。日本留学ではありません。
一人っ子政策はあまり関係ないと思います。それより勉強すれば豊かになれるという実感があるためだと思います。』

2003年2月26日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>日本みたいに常に定員一杯埋まるまで合格させることをしているのなら
>相対評価でも絶対評価でも代わりはありません。
>定員に達しなくても成績等が振るわないものは不合格にするような基準を持つ場合、
>絶対評価的であるといえると思います。

以上がHPの管理者の書き込みです。
以下がそれに対する回答です。

私も、大学入試に関してはそれが理想化と思います。
「くるものは拒まず」の姿勢は大切です。
しかし、現実問題は別です。
多数の学生を収容する施設の問題がありますし、保護者の負担の問題も今の日本では難しいと思います。
それに、何より、文部科学省からの指導があるのです。
○割を超えて合格させないように・・・という。
また、それがなければ、人気のある大学以外はつぶれるのも現実でしょう。
国公立の大学の独立法人化が実現すれば、もっと熾烈な競争になるでしょう。

以上は掲示板の一部です。
この部分で感じることは、意味の取り違えですね。管理者は、定員以下でもよいと言っているのですがね。「くるものを拒みなさい」ですよね。
それから、人気のある大学とはとのような大学なのでしょうか。アメリカでは、外部機関による評価(研究活動や教育活動、卒業生の活躍事情など)によって人気のあるところは変化するそうです。日本は。入試の難易度ですね。文系、理系と別けるのは日本ぐらいだそうです。
どの分野も外部機関(国際的に信頼できるところ)の評価対象にできますよ。それによっての人気ならまだわりますがね。

2003年2月25日
今日は、昨日あるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
一つ、留学生についてですが、日本に来ている留学生ですが、勉強をしたい為に来ている人が大多数ですが、なかには出稼ぎもいましたね。なぜ、このようになるのか。受け入れ側の問題ですね。勉強の密度が低いから???
中国や東南アジアの優秀な学生は、日本と通り過ぎてアメリカへ行っていますね。中国でおこなわれている英才教育のあるところのある年の出身者(日本経済新聞の記事あり)30人の大学卒業後10年目の活躍しているところですが、アメリカなどで27人、中国3人だそうです。日経サイエンスにもこのような経歴の中国人研究者の行なっている研究の総説が載ったこともあります。
なぜ、日本が留学対象から外れつつあるか考えてみる必要があると思います。

2003年2月24日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」がまた始まりました。今回は「特区攻防」です。
本文の中に「官僚は役職に就くと、以前から行なってきたその地位に係る事項が絶対的に正しいと思い込むようになる。」とかありました。これも昨日、書きました「自己解剖の勇気」がないことに原因があるのではと思います。これがない為、他からの正常なそして常識的な意見すら聞けなくなるのではないかと思います。
どうしてこのようになるのか。その原因の一つに「まともな情報教育の欠如」がある為と思います。例えばインターネットが使えるようになることは、単なる手段であって、「情報教育」の目的ではありません。日常の活動で、いろいろな情報を集め、それぞれの情報の価値判断を行ない、その中から新しい有益な情報を構築できるようにする。本来は、以前からの科目でもできるのです。ところが暗記だけの勉強ではこの力は付きません。どうしてか考えてみてください。

2003年2月22日
昨日の続き
やはり、評価の問題が大きいと思います。これは、どのような勉強法が良いかということとも絡んできます。いろいろな記事で見受けられるのが、例えば、「算数ができるようになると学校生活全体に活力が見られるようになった」とか言うようなものです。ここでいう「できる」というのは順番ではありません。具体的な計算であったり、文章問題であったりする訳です。相対評価の五段階評価で5をもらっていても学習内容が理解できていない場合、勉強に対する取り組みは低下します。そうすると、1とか2とかなどでは全く勉強する気力を失っている恐れが十分にあります。到達度でもって評価してやるのが一番良いのかなと思いますが、せめて、順番で成績をつけるのは止めてください。

2003年2月21日
昨日の続き
勉強しなくなる理由の一つとして物質的に豊かになってきたことが挙げられます。貧しさというものが今と昔では、違う感じで受け取られているようです。今では、余程でない限り食事に困るということが減りましたね。コンビニなどにも一杯食品が売られていますね。「取り敢えず食べていける」そんな感じももち、勉強内容で解らないところが増えてくると勉強なんかしなくなりますよ。勉強内容が解らなくなるほど進路など考えにくくなります。友達の言っていることなどから取り敢えず進路希望をもつ。でも、すぐ変わる。あるいは実現への意欲が沸かない。とかなって悪循環に陥っている生徒が結構多数出てきています。
どうすればいいのでしょうか。
絶対的な解決策はないと思います。対策の一つとして、アルバイトをさせるというのがあると思います。
他の対策は、明日以降にさせてください。

2003年2月20日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
18日分よりです。「実験物理のよい研究者になるには、なりより実験がすきでなければならない。」と考えられています。これは「好きこそものの上手なれ」でしたか。ところで、勉強などで「好きな教科」ですが、本当に得意で好きというのは、なる程度以上深く理解できるようになってからですね。単に点が取れることで、得意だとか好きとか言っている人が多いですね。単に記憶するだけみたいな勉強しかしなくてもよい定期考査などをしていると、生徒は「記憶する→点が取れる→得意」と単純に思いこみますね。
今日は、ここまでにします。

2003年2月19日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
18日分よりです。2002年3月の東京大学卒業式での祝辞です。
「あなたがたがこれまで勉強してきたのは受動的な認識だ。これから実社会に出て実務に就く人も、大学院に入って研究に従事する人も、これまでとまったく違った事態に直面することを覚悟してください。それは何事も自分の目で見て考えて判断する能動的認識ということだ。・・・・」と言われています。これは、何日か前のフランスの鉱山学校のエリート教育は、能動的な認識を高めるカリキュラムのように感じました。10年ほど前の放送で、当時東北大学教授の西澤潤一氏が次のようなことを言っていました。「今は、ハンドブックを見れば解ることを暗記することが勉強だいう風潮がある。そうではなく、何事も自分の目で見て考えて判断する能動的勉強をしてほしい。」というような意味だったと思います。
今の教育、考えて見てください。DVDーROMみたいな人を育ててはいませんか。DVDーROMは忘れませんが、人間は忘れます。思い違いもします。単に覚えるだけならDVDーROMの方が確実です。人間とPCの違いは何なのか考えて見れば今の教育、おかしいですね。

2003年2月17日
日本経済新聞より
17ページ グローバル 面、本日はフランス「国立鉱山学校」です。エリート教育が盛んなフランスでトップともいえる学校のようです。日産ゴーン社長も卒業しています。受験資格はフランスのエリート養成機関のグラン・ゼコールの理工科学校などの成績優秀者だけだそうです。
カリキュラムですが、一年目は、国内の企業で技術者として学び、二年目は海外の企業でプロジェクトを統括する技術責任者として研修する。現場で経験を積んだうえで、三年目に初めて鉱山学校で授業を受ける仕組だそうです。研修中も通信教育などがあるとのことです。企業の経営事例を研究するケーススタディーのほか、企業と国家の役割分担、企業と社会のかかわり方なども学ぶそうです。
感じられるのは、どのような人材を養成しようとしているのか、そのレベルはどの程度にするのかの目標を持っているということですね。実際優れた指導者が出ているわけです。卒業後に長期にわたって活躍できる力を付けているからだと思います。目先の目標に振り回されている日本はいかがなものでしょうか。

2003年2月16日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
本日の冒頭に、私にとって「物理実験の父」であるジュゼッペ・オッキャリーニ教授をはじめ、若いころに優れた「物理屋」に巡る合ったのは生涯の財産になった とあります。
若い時に一流に接することの重要性がここにも出ていますね。例えば、味覚は小学生あたりまでにどれだけ多くの味にであったかによるいうことを何かで聞いたことがあります。その時、一流のコック、板前の味を経験しているのとしていないのでは大きく違うようです。ですから、「おふくろの味」というのにこだわる人が多くいるわけですね。
日本は、いろいろなところで一流に出会う機会が乏しいような気がします。なにが一流かも見分けられない人が多く出てくることになるわけですね。

2003年2月15日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。「この実験(アメリカでの実験、お金もアメリカ、それも海軍の予算だそうです)を通じて、米国は度量の広い国だとつくづく思った。十数年前に戦争をやった国の人間に研究を指揮する主任研究者の資格と予算を与え、海軍にあれこれ指揮させてくれたのだ。」とありました。どうしてアメリカはこのようなことができて日本はできないのでしょうか。
アメリカは、今でもお金を出して多くの研究者を招いているようですね。必要なら国籍に関係なく教授とかしてますね。それで、時々、スパイまがいのことが起こるのですが。日本はどうでしょう。国籍条項に引っかかりますね。相撲の高見山(現在、東関親方、間違っていたらすみません)のとき、当時の文部省から補助金が出ているので日本国籍を取らないと駄目だという話で、実際、日本国籍にしましたね。
その昔、有名な日本人教授の奥さんがある大学の教授になる時、二重国籍が問題になりました。
国籍より日本にとって役に立つ人物であれば、いいではないかと思うのですが。やはり、村意識の延長線上ですかね。

2003年2月14日
日本経済新聞より
13ページの「たくましい企業」ソニーです。経営トップの条件として井出会長は「リーダーシップがあり、ノーと言える人物で国際人。何より技術が分ることが重要」とありました。
教育現場で言う文系、理系両方に通じている必要があるということですね。日本だけみたいですよ、文系とか理系とか色分けするのは。結局は弊害のほうが多いですね。秀でた経営者は両方に通じていますね。
昨年のある雑誌の中で三菱電器の社長も同じようなことを言っていました。銀行の融資が担保主義になってしまったのも技術の分らない銀行員ばかりを長いこと採用していた結果かも。
それと改革についても書いてありました。IBM前会長のガースナー氏によると「改革者にとって、一番の抵抗勢力は企業文化。弊害のある古い企業文化は打破すべきだ」とあります。「企業文化」を「学校文化」と置き換えて見たらどうなりますか。日本の学校教育、弊害がやたらと目につくのですが。

2003年2月13日
新聞より
本日は朝日新聞です。三菱自動車が、一般社員(非管理職)の賃金について、毎年増える定期昇給制度を廃止することを決めたそうですね。個人の業績評価を反映する成果主義型の「役割貢献給」を新たに導入するとのことですが、絶対的評価に対応することができたらうまくいくのではと思います。ところが、いままで、成果主義を導入して旨く機能しているところもありますが、失敗しているところも結構あるようですね。成果の評価に問題があるようですね。相対評価の年功序列に慣れ親しんできているのですから。まともに評価が出来るのなら、大卒の採用内定をあんなに早くする必要もないと思うのですが。卒論を軽視している現れですね。軽視される程度の大学もあるみたいですが。卒論等の学業の評価が出来ないからかな。どっちなのでしょう。

2003年2月11日
昨日の続き
昨日は、スポーツで書きましたが、学業のほうでも「非科学的」が盛んですね。
これは、試験方法が密接に関係しています。マークシートなどしていると選ぶだけだからを理解しようとしない。マーク対策の問題集レベルの低いのが多いですね。センター試験より易しい。勉強になりますか。そのあたりを分析する力も「科学」と違いますか。

2003年2月10日
昨日に続き
なにか問題があっても二流以下はその原因がすぐには掴めない。気がついた時には数年が経っていることになります。意味がない年月になっていることが多いですね。単純にそこで努力しても無駄な場合もあるということも考えてほしいと思います。
以上が、昨日の最後のほうです。
本人が選択した分については本人の責任みたいなところがあるのですが、二流以下の指導者の中には、単なる自己満足を生徒などに押しつけ、あたかもそれが本人の希望であるかのように錯覚させているのがいますね。それで潰される生徒こそ災難です。例えば、高校は将来の基礎を固める最終段階に差しかかっているだけでそこで成長が止まって良い筈はありません。あくまでも通過段階です。そこで燃えつきるなどさせてはならないはずですが、指導者や学校などの・・・のために潰されてきている例が多くありますね。親に潰される時もありますが。
その点、Jリーグの下部組織の養成はJリーグで活躍できる選手の養成ですね。中学や高校のように3年で結果を出す必要がないので、ヨーロッパで通用する選手が多数出てきはじめましたね。ヨーロッパ、選手寿命長いようですね。
それから、現代のスポーツは「科学」です。まず、科学(医学や心理学等も含まれる)的に考える時代になっていると思います。

2003年2月9日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。本日の分の最後のほうにこんな記述がありました。「世の中には自分に見込みがないことに気づかないまま、二流に成り下がっていく人が多いようだ。」です。一流の人に教えてもらい、一流になるであろう友人を持つと自分の力がよくわかります。一流になる人はどの分野に適しているか自分で気がつくようですね。二流はそこがあやしい。特に二流以下ばかりの集団の中にいるとその時の自分の能力を過大評価して後で泣くことになります。
なにか問題があっても二流以下はその原因がすぐには掴めない。気がついた時には数年が経っていることになります。意味がない年月になっていることが多いですね。単純にそこで努力しても無駄な場合もあるということも考えてほしいと思います。

2003年2月8日
日本経済新聞より
教育面に「今どきの子ども」 卒論 こだわりを大切に 足で調査  というのがありました。
大学において卒業論文は大事な教育活動ですね。このコラムでは、良い効果が得られた例ですね。私の感じでは、このように的確に卒論を指導出来る教授が日本にはどの程度の割合でおられるのかなと思います。なにせ卒論が必修でない大学もあるようなので。だから、企業も当てにしていないから4年次早々に採用内定できるかな。教授の質を高めてください。卒論必修にしてください。卒論の内容を充実させるように指導してくださ

2003年2月7日
日本経済新聞より
一面の下部に「春秋」というコラムがあります。今日は、中高一貫の私学の中学入試の話から始めて官僚の「おおむね良好」との大本営発表についてでした。官僚の体質は、失敗を認めるといろいろな不利益があるからだと思うのですが、日本は、失敗した者の再挑戦に非常に冷淡ですね。官僚体質の原因の一つにこれもあると思います。失敗の原因の究明が不得意なのでしょう。だから、単純にそのときの担当者を生贄にするのでしょう。
中学受験のほうですが、人材の評価がデタラメなため、出身学校で行われているという意識が親にあるためと、公立校、しっかりしているところもあるのですが、酷いところが増えているためかな。私学にも酷いところがあるみたいですが。
公立不審で近くの私学の発展に貢献している地域もありますから。

2003年2月6日
日本経済新聞より
社会面に『教師の授業に生徒が「通信簿」』という記事がありました。運用をうまくすると非常によい制度なのですが、生徒に教師がつける「評価」と同様の問題があります。価値基準のあり方です。相対評価でも価値基準をハッキリ決めてそれにどのように相対するのかでするといいのですが、単なる上手そうとかになると、生徒に対する今の相対評価と同様の問題が起こります。
少し前の本ですが、予備校で人気のでる教師は「ここがでる。」と断言調で教えている講師が多いそうです。そして、じっくり考えさせる講師は人気がでないそうです。将来的に考えると「考える力」を養成するような授業の方がいいのですが、生徒自信が相対評価で見られ、穴埋めや択一式の問題でテストされている状態では、「ここがでる」式のほうが良いように思うのでは思います。
学力低下の一因が「暗記」で何とかなるという風潮だと思います。記憶で、人間はDVDーROMみたいな量は覚えられません。記憶量で「人格」というか能力を見るのであれば、PCの方が上ですね。人間の教育において何が大事なのかをしっかり考えて見る必要があると思います。
論述が出来るようになると、その分野のことはよく覚えてます。択一式で勉強しても覚えられないことまで覚えています。どうしてでしょう。これも考えて見ましょう。ですから、国立有名大学の受験者のセンター試験の得点率、高いですね。国立有名大学の二次試験、読解力と論述力などが必要ですね。

2003年2月4日
日本経済新聞より
連載「政治家 かくも長き不在3」今日が、「知財立国」夢のまた夢 です。日本の政治家は、道路や橋などといった目に見えるものには熱心ですが、特許や著作権といた目に見えない財産が世界の富を左右にしているという認識が希薄だそうです。
Sony、電器業界のなかで元気ですね。音楽や映画、ゲームなどの部分が大きいですね。IBM、サービス産業みたいになっていますね。製造業でも特許、以前より大事になっているようですね。ビジネスモデル特許、大分やられているようですね。
製造業では、中国、韓国、台湾、ASEAN、インドなどの追い上げを受け、負けている部分も増えてきているようです。更に知的財産で抜かれるようなことがあれば、今の政治家、官僚、経営者、教育の現状からでは、巻き返しは困難だと思います。
教育に対する意識を変える必要があります。順番ではなく、「なにが出来るようになったか」など絶対評価的な基準で評価する必要があります。
留年や飛び級に対する意識の改革も必要です。<A href=http://www.jabee.org/ target=_blank>日本技術者教育認定制度</a>のような制度を全ての大学分野につくる必要があると思います。

2003年2月1日
日本経済新聞より
教育面に「今どきの子ども」 必達目標 保護者に数値示し実践 というのがありました。なにが出来るようにならなければならないかを示し、それを達成できたことで子どもにも自信がつき、次の学習にも意欲が沸いてくる意味の記事です。どの校種においても一番肝心なのは、出席日数ではなく、その学習内容と出来るようななった程度のはずです。そこを見ずに相対評価で適当に成績を付け、時間数さえクリアーできれば卒業では、勉強しなくなりますね。勉強に自信がなくなれば、学校に行く目的は友人などと楽しく過すためだけになってしまいます。友人との付き合いは、学校に来なくても出来ることですね。そうすると、生徒指導と称して余計なことをする羽目になるのです。勉強が面白くないから、しなくなったから問題行動が増えるのであって、例えば、茶髪にしてから勉強しないのではなく、勉強しなくなったから茶髪です。学校関係者は、この順序、判ってない人が多いですね。

2003年1月25日
日本経済新聞より
31ページの教育「全国学力調査から考える@」
深刻さ格差拡大、昔、あるフィルム会社のCMに「綺麗な人はより綺麗に、それなりの人はそれなり写ります」と言うのがあったと思います。今回の調査で、特に数学で拡大傾向が見られるとのことです。学力のある層はより高学力のほうに、あまり無い層は伸び悩むということですが、これでは、社会における階層の固定化がひどくなることになります。国立大学ですが、昔から大学間における学生の親の所得に違いが見られ、俗に難しいところほど高所得者です。私学でも同様の傾向が見られるのでは思います。そのまま、放置すると固定化に繋がります。
これを解消するには、学力の向上の遅い子どもを根気強く指導して何年か遅れでも気にしない社会を創らないといけないと思います。今の状態ですと、学力格差はそのままで進級させるため、向上心が失われているのではと思います。そして低学力のまま学校を卒業していくことになります。

2003年1月24日
日本経済新聞より
15面の囲み記事「私立大即戦力育む 上 技術実習に注目」です。大学の取り組みで、大学が学生を甘く見ていた例もありますが、企業のほうももっとはっきりとどのようなことの学生が欲しいか、大学や学生に判るように広報してください。
企業の方へ、学生の就職で不採用の時、理由を伝えてやってほしいと思います。就職の為、どのようなことをすればよいかが判ると思います。単なる「優秀な人材」という言い方は止めてください。人間として素養があって専門分野でどのようなことが出来る人材を求めているのか判るようにお願いします。

2003年1月22日
センター試験の平均
センター試験の平均点ですが、地歴と理科で科目間で差がでた時、調整をすることがあるということですね。ところで、各科目とも受験者のばらつきや学力の程度はすべて同じなのですか。違うはずです。特に、理科においては。物理は理科を得意とするものが主体ですね。それに引き換え、生物は「仕方なく」という者の割合がが相当高いです。高校の文系で物理を選択できるところはどの程度ありますか。まず、ないと思います。元々、同程度の問題であれば、物理のほうが相当高得点になって当たり前です。こんなの統計などをまともに学んで考える力があれば判るはずですが。今回、生物のほうが平均点が高いですね。おかしいと思いませんか。

2003年1月19日
日本経済新聞より
昨日の分の31面にある「今どきの子ども」ですが、面白いことを取り上げていました。食の細さ・・・学生の学力・活力に比例? というものです。共通一次のころの受験生は、食欲は旺盛だった。今の受験生は、食欲が衰えてきているそうです。廊下にあるゴミ袋に、ここ15年くらい残飯が増えているそうです。受験生の頑張りが効かなくなってきているように感じるそうです。(記事ではもっと断定的です。)
朝食をしっかり摂る小中学生は成績がよいという。食の細い大学受験生の増加を目の当たりにすると、大学教育に不安を覚えると書いてありました。そうだと思います。

2003年1月18日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」第15回「生還 画一教育 リスク過敏 政府衰弱。病根は見えた」
日本人の国民性もありますが、日本病には教育が大きく係っていますね。日本は、古代から「覚える」ということで教育の成果を評価してきたように思われます。百済に学び、隋に学び、唐に学び、ポルトガルに学び、オランダに学び、欧米に学び、その文化を覚えることが教育だと考えてきた。それが今だに続いている。「日本の伝統」を声高に言っている人々は、日本の良い点を忘れて単に過去を懐かしんでいる。考える力が無いからですね。
昭和初期に戦争を始めた人々は、それが、特に太平洋戦争が日本を滅ぼす可能性があるという想像を少しも出来なかったみたいですね。今の日本にあてはめてみると、輸出産業あっての日本なのに、工場が海外移転しているのを傍観している。観光立国で国が成り立っているとこを調べてみてください。ほとんどないですよ。スイスは、製造業を主に金融、そして漸く観光。イギリスは、ロンドンのシティーの金融もありますが、大陸と工場の争奪戦を展開してますね。日本は何もしていないに等しいです。教育が指示されたことを覚える。調べ、考え、意見を述べ、討論し結論を導くということを成果の上がる形でしていなかった結果です。
今日行われているセンター試験は、単なる資格試験にしてください。点数を全ての大学に教えることなく、大学教育に必要な基礎的学力があるかどうかの判定だけにつかってください。日本を潰さないためにも。

2003年1月16日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」第14回「生還 10万馬力のロボットが中国で復活。市場の融合は進む」
今回の分を読むと、「官僚の国際感覚の無さ」がやたらと目につきます。村意識のままですね。隣村と水争いをしていた時のままの感じがします。世界の経済は、否応なしに一体化の方向に向かっています。ここを乗り切るためには、国内のいろいろな改革が必要ですね。そうでないと、製造業の海外進出(本音は日本脱出だと思います。)だけで外国企業が入ってきませんね。
教育も絶対評価的な評価をしてこなかったから国際水準から遅れてきていますね。絶対評価的に海外と比較してみてください。真剣に勉強しようとしているアジアの留学生の留学先を見てください。欧米に目が向いていますね。去年のNHKスペシャル「中国」の第1回での留学希望先は欧米、日本が無かったですね。

2003年1月8日
日本毛経済新聞より
「私の履歴書」ですが、今の連載は大賀典雄氏ですね。読んでいて感じたことは、専門は音楽それも声楽ですが、電気関係に対して造詣が深いですね。幅広い知識を活用されていた様子がうかがえます。
それに引き換え、今の勉強は何ですか。肝心な主要科目の足を引っ張るようなことを平気でやっていますね。例えば、英語ですが、どのようなことが出題されますか。アメリカ文学ですか。英米の歴史ですか。英米の生活習慣ですか。環境問題ですか。最近の時事問題ですか。いろいろ並べましたが、これ以外にも出題されますね。幅広い知識がないと表面的な出題をする大学はよいとしても、しっかりしている大学では辛いですね。
コンピューターのソフトを作るとき、プログラミング言語の勉強をしてだけで使えるソフトができますか。それぞれ発注先の業務内容をよく理解したSEが必要ですね。
通訳、言葉だけ、日常会話だけできる人はあまり仕事がないのでは思います。経済学の専門家の会議では経済学について精通していないとできませんね。自然科学分野でもそれぞれに精通している必要がありますね。
大学の入試ですが、「入試科目を増やしなさい。」「マーク式は止めてください。」「論述式にしてください。」、「卒業のほうを厳格にしてください。」。現在の日本では、小中高大学とも国際的に認められた第三者機関による卒業認定が必要ではないかと思います。

2003年1月6日
日本経済新聞より
1日付けの第一面 「日本国のカルテ」
       病名「日本病」
   病根・症状 「先送り中毒」
         「前例依存」
         「危機意識欠乏」
         「リスク過敏」
とありました。(ここまでは3回目)
先送り中毒、私もかかっているところがありますが。これを、自覚していない輩が多いです。庶民では、どうってことは無いかもしれませんが、官僚や政治家、経営者では困ります。学力低下ですが、もう10何年も前から、言われてきましたが、絶対的な基準を創って(まあ、同じ基準、程度の問題で試してみるだけでも)学力を測定してみるというのをやってこなかった。すぐ、順番を付けたがる輩が、その昔の「文部省学力テスト」をめちゃくちゃにしましたから。ある県のある学校では、平均点が90点以上だったそうです。今回のテストでも順番は別にしてできの悪い生徒のいるクラスが対象外になっている学校があります。カッコ悪いからね。それでも認めない。今、認めると対処しなくてはいけませんからね。だから、次に担当者にですかな。今日の「エネルギー政策」についてもそんな記事がありました。狂牛病も、薬害エイズや癩病予防法も、数えれば限りがありません。

2003年1月5日
日本経済新聞より
1日付けの第一面 「日本国のカルテ」
       病名「日本病」
   病根・症状 「先送り中毒」
         「前例依存」
         「危機意識欠乏」
         「リスク過敏」
とありました。(ここまでは2回目)
 この中で「危機意識欠乏」についてです。学生の学力低下ですが、これは第2次ベビーブームの世代の以前から言われていました。一つが国公立大学の入学試験で「共通一次」というマーク式の全国的な試験が始まったあたりごろからだと思います。第2次ベビーブームの世代の時、進学率の上昇によって大学入試の目安としての「偏差値」の数値が上昇しました。第一次ベビーブームの頃は20%(50万人ぐらいしか大学に行っていません)ぐらいだった大学進学率が50%ぐらい(100万人ぐらいです。国公立私学全て臨時定員増をしています。多くの大学で第一次の時に比べて学部学科が増えています。)になりました。偏差値50ぐらいの大学ですが、第一次のときは上位から20万人目程度にいる生徒ということになります。第二次で偏差値50は上位から50万人目ぐらいかそれ以下の学力ということになります。そして、第一次の時、50以下の大学が第二次では60近くまで偏差値が上昇しました。第二次で60ぐらいというのは上位から30万前後ではないかと思います。相対評価でも易しくなっているのです。定員増もあるので実態はもっと易しくなっています。
マーク式が氾濫し、覚えることだけが勉強という風潮が促進され「考えない。考えられない。」という状況になっているにもかかわらず、「学力低下はない」とどこかの官庁ではいまだに言っていますね。
数字合わせのため実施した全国学力テストの目標とする基準を下げて、それを上まわっているから「低下はない」とほざいています。
江戸時代の鎖国の時ならまだしも、今は全世界と競争の時代ですよ。

2003年1月4日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」で若者の職業意識についてありますが、「今、自らの意思で職に就こうとしない大卒者が増えている」とありました。いろいろ理由はあると思いますが、一つは、就労体験の不足、小中高の時期にアルバイトや家事の手伝いを全くさせないことなども影響しているのかもしれません。2つめは、教育の問題、単なる丸暗記を勉強と心得ている輩に煽られて自ら調べものもできない。自らの判断で経験させるべき多くのことを「これ、だめ。あれ、だめ。」と判断させていない。などなどです。まだ他にもあると思いますが今日はここまで。

2003年1月3日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」である研究者がフラッシュメモリーの原理を考案した時、上司に開発を訴えたが、反応は「将来性の分からない技術に人は振り向けない」だったそうです。これが、例えば「アメリカの企業もやってます」なら開発を始めたのでは思います。誰かが先に何かをした。特に欧米であれば「前例」としていたと思います。自分でリスクを考えようとしない。そのわりに失敗には臆病である。だから、「前例」にこだわる。進歩が無いですよ。この体質、戦前と全く変わっていません。失敗した者の「敗者復活」の仕組を創って「リスクをまともにとることのできる社会」にしてほしいですね。

日本経済新聞より
2003年1月2日
1日付けの第一面 「日本国のカルテ」
       病名「日本病」
   病根・症状 「先送り中毒」
         「前例依存」
         「危機意識欠乏」
         「リスク過敏」
とありました。
 この中で「リスク過敏」ですが、本当の意味のリスクが分からないから、表面的な現象や一部の事例で判断してしまって、より大きな利点が見えない。あるいは、見ようとしないのではと思います。
例えば、中学、高校生のアルバイトですが、親や地域などが適正に対応すれば良い成果が多くの子供で得られます。現に禁止していたのは「日本」ぐらいでしょ。アメリカなど、GEやIBMの前最高経営責任者はバイトを非常によくしています。大学の意識を変える(卒業のほうを厳格に)必要がありますが。
他でも見られますが今日はここまでにします。

2003年1月1日
新年明けましておめでとうございます。今年も新聞ネタを多用させていただきます。
今日は、1日付けの日本経済新聞よりです。
また、出ていました。企業の採用担当者などの話しです。「誤字脱字が多い」「報告書が書けない」などです。どうして、採用試験で落とさないのですか。採用をするからでしょ。学校のほうも相対評価などで卒業生の学力の水準を保たないからでしょ。そして、学生、生徒の甘え。日本の問題点がここにも出ています。

ココより前は2003年、下は2002年分です。

2002年12月18日
またまた、文部科学省の全国学力テストです。日本経済新聞に中学一年の国語が出てました。
文の中で使う漢字を選択させる問題ですが、文部科学省の設定通過率(事前解答目標率)がたったの30%です。低すぎませんか。こんなことしていたら、日本国内でも日本語が通用しなくなりますよ。いろいろなことを考えたり、表現したりするのにどこの言葉を使うのですか。
だから、まともな国では母国語をしっかり教育しているのですよ。日本を潰す気ですか。そうとしか思えません。

2002年12月15日
学力検査については「春秋」欄にもありましたように、官僚のお手盛りの基準に照らして見ると「概ね良好」だそうです。官僚のお手盛りは文部科学省だけではありませんね。どこでもやっていますね。現実を直視できない。予算を取り続ける必要があるなどで、国民が蔑ろにされています。国民が元気に生活できてこその政府のはずですが、官僚の発想はこの視点が全くないですね。

2002年12月14日
小中学校全国テストについての報道がありました。少し、考える問題とか文章やグラフなどから読み取る問題が良くなかったみたいですね。
文部科学省自体の設定通過率(期待正答率みたいなものかな)の設定にも問題がありそうですね。これは、意図的に低めにしているかもしれませんから。
学力低下していることを認めなさい。現実から目を背けるとろくなことはないですよ。

2002年12月8日
日本経済新聞の「SUNDAY Nikkei」で、「田中さんに続け」科学者の卵 というのがあります。
そこに早稲田大学本庄高等学院の例が出ていました。受験に煩わせられない高大一貫教育の利点を生かし、科学立国日本を担う人材を育てたいとありました。大学入試がおかしいですよ。センター試験や個別試験でも択一式が蔓延ってますね。そんのやっているから科学の面白さが分からなくなるのですよ。
どうして理系、文系と分けたがるのですか。例えば、経済学なんて数学できなかったら分からないはずですよ。というか、統計学は、数学的素養が要ります。その時、自然科学の実験などでの経験があれば、非常に良いと思います。新しい産業は、どこから出てきていますか。新技術でしょ。理系的なものが分からないのが経営者でいるから、重要な発想があっても欧米に先に認められることになるのでしょ。
歴史教育をなぜ、理系で軽視するのですか。もっとも、今の受験対策の教育では意味があまりありませんが。
大学入試がおかしい。「大学が学生に甘すぎる」これは、日本生化学会の和文誌の最新号にありました。

職人気質
at 2002 11/13 20:04 編集
今もたくさんおられる職人さん。親方になり、弟子を採って育てるとき、年月が規定に達しただけで弟子を一人前の職人 と認めますか。認めませんね。職人気質に係りますからね。日本の教育の現場はいかがでしょうか。相対評価でトコロ テン式に卒業させているところがほとんどですね。それで卒業生に責任が持てるのですか。

親の学歴と子の学力
at 2002 11/02 21:24 編集
昔から、学者の子は学者になっていますね。どうしてでしょう。これは、親の家庭で醸しだす雰囲気によるのではないか と思います。ですから、親が高学歴ほど子の学力が高くなるのではと思います。
そんなところで「相対評価」をすると、結果は判りますね。階層差を助長します。

学校てなあに
at 2002 10/28 20:28 編集
学校、何なんでしょう。順番を出すためにあるの→違う。
人間らしくなるための場所の一つでしょ。いくつもあるなかの。それなのに、どうして学校に変な意味でのこだわりが感じ られます。

昨日の新聞より
at 2002 10/27 19:58 編集
昨日の日本経済新聞の教育面に法科大学院のついての記事がありました。これは2回連載です。やはり、大学の入試 の問題が引っかかります。丸暗記が勉強と思いこんでいる学生が入学してくるとボヤいていますが、「そんな丸暗記で 答られるような入試問題を出題するからでしょう。多くの大学で」自業自得です。5教科7科目以上にして全て、参考文 献を読ませての論文試験にしなさい。丸暗記が勉強なんて思わなくなりますよ。大学内での定期考査も。

こつ
at 2002 10/25 20:31 編集
コツ、何か作業などをするときのコツ。勘所。これは、失敗したとき、どうして失敗したのか反省できる人は、コツをつか むのが上手ですね。私は、どうでしょうか。?です。子どもにも失敗させましょう。させていい失敗を。今は、失敗をさせな いようにしているから駄目なのかな。

昨日の日本経済新聞の教育面に法科大学院のついての記事がありました。これは2回連載です。やはり、大学の入試の問題が引っかかります。丸暗記が勉強と思いこんでいる学生が入学してくるとボヤいていますが、「そんな丸暗記で答られるような入試問題を出題するからでしょう。多くの大学で」自業自得です。5教科7科目以上にして全て、論文試験にしなさい。丸暗記が勉強なんて思わなくなりますよ。

製造業では、原材料、単に揃えばいいのですか。そうではありませんね。品質が問題になりますね。どんな製品を造るかで、品質を見る基準が違ってくることがありますね。ところが、教育の現場ではどうでしょう。世界でというか実社会にでて通用する本来学校で付けるべき力がついているかど

教育の質、何なんでしょう。順番ですか。何か出来るようになることですか。自分で勉強出来るようになることですか。(教師失業? 生徒が覚えるのが勉強だと思っている間は大丈夫か)

私の憶測です。<BR>アメリカは、外国人にも奨学金を出していますね。日本よりたくさん。自国からの入学生のレベルに低下が起これば、留学生でもってその低下を防ぎ、大学としてのレベルの維持に勤めているのではと。話は少し変わりますが、日本の学会誌に求人広告まで出しています。これは、異質な環境で博士号を取得した者を

現在、いろいろな分野で資格試験が増えていますね。その分野においてどの程度の力があるのかをみるもので、順番ではみませんね。順番ではなく、受験者がどの程度の難易度の資格試験に合格したかで判断しますね。学校内でもその方向に文部科学省は進めようとしていますが、現場では順番が蔓延ってます。どうしてでしょう?

昨日とは話が変わりますが、業者模試どう思われます。私は、できの悪い教師の切り接ぎ問題より良いと思いますが。学校の定期考査、基本的には「論述」であるべきだと思っています。択一式や穴埋めは、勉強になりません。この点を判っていない人が多いですね。

その昔、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」で、子供たちとサンディー先生が勉強についての歌を歌う場面がよくありました。その時、子供たちは、「偉くなるためとかいうのは聞き飽きた」と歌うと先生は、「人間らしい人間になるため」に歌います。今の勉強は、どうなっているのだろうか。ただ、時間を費やすだけの勉強になっているのではないかと思います。ほんの少し難しくなると考えることができな

日本経済新聞より
at 2002 11/30 16:47 編集
教育面の連載「今どきの子ども」の記事で、大人が子どもの生活上の疑問に答てこなかったり、しつけをしてこなかったツケが噴出しているとありました。これだけではなく、前にも書きましたが、経験させるべき多くのことを「何らかの理由」を付けて、避けさせてきていませんか。
学校行事等で子どもが企画して実行して失敗してよいものがありますね。例えば、文化祭の出し物など。

日本経済新聞より
at 2002 11/29 19:27 編集
ついこの間のニュースです。
16才の日本人少女がロンチボーコンテストのヴァイオリン部門で優勝したニュースです。凄いですね。
気になる記述がありました。
両親に連れられてフランスに住んでいるのですね。
小学校に相当する年代のときはパリの芸術学校。13才から国立パリ音楽院でしたか。この少女がフランスに行かずに日本に住んでいたままだったら、どうなっていただろうと思いました。

日本経済新聞より
at 2002 11/26 20:05 編集
連載「大学が変わる」で今日は大学の新設などについてです。そこに見られるのは、受験生のレッテル好きと偏差値好きですね。新設の場合、公設民営、これ私立と同じに見られているようですね。公立とハッキリつけたところはそれなりの難易度になっていますね。どういうことですかな。偏差値で大学の善し悪しを見てるようですね。この原因は、大人が創っているのではと思います。

新聞より
at 2002 11/24 21:16 編集
本日の日本経済新聞にもありましたが、「今の若者」についてです。「今の若者」とよく言いますが、誰が育てたのですか。働かない。アルバイト等の経験をする機会を奪ったいるのは誰ですか。勉学の意欲が無い。面白くもない暗記のみで答ることのできる問題ばかりでさらに相対評価で勉強の面白さを奪ってきたのは誰ですか。などなど、原因を考えずに現象面だけで論じないでください。

日本経済新聞より
at 2002 11/23 19:47 編集
連載中の「大学が変わる」の中で、「知の国際競争から日本が淘汰され、孤立感を深めている」との記載がありました。本当の教育理念のくそもなしに適当に卒業させてきたツケがまわってきたためでは。選抜のハードルより出口のハードルを厳格に守る必要があるのでは。そうしないと入学後、勉強しませんから。出口のハードルのレベルを国際的な第三者機関に評価してもらってください。

新聞より
at 2002 11/21 21:37 編集
本日の日本経済新聞に連載されている「大学が変わる」で、いまだに受験生の中に偏差値で大学を選んでいるものがいるとありました。これは、親や教師の問題も絡みます。成績が良ければ、医学部という教師もいますね。医師の仕事がどのようなものなのか、その教師は十分に理解しているのでしょうか。受験の大学の偏差値というのは、人気の度合であり、その大学の教育力や研究力と一致してない場合が多く見られます。受験生は、大学を調べる方法を知らない。これは、受験勉強で教えられたことのみを覚えることが影響していると思います。すると、大学にも責任がありますね。あの覚えるだけでよい入試をしてきたからですね。

新聞より
at 2002 11/17 19:42 編集
本日の日本経済新聞に、「出る杭」伸ばす風土を という記事があります。話し手は、白川英樹氏です。化学技術者に必要な能力の中の一つとして、「いろんなことを見聞きし理解する力」であると話されています。「目の前で奇妙な現象が起きた時、それは直接今の仕事とは関係ないことだけども、ひょっとすると自分の仕事のどこかで関係するかもしれないということを考え、見つけだすことが大切です。」と話されています。このような能力は、豊富な知識があって初めて磨かれるとも言われています。
今の教育でこのような観点をもって行なっているところがどれだけありますか。
大学入試も漸く国立で「科目増」ですね。以前に戻るのですが、マークシートでは意味が半減しますね。論述させてこそ意味があると思います。豊富な知識のないところに専門教育をしてもその重要性は判らないと思います。

新聞より
at 2002 11/15 19:44 編集
本日の日本経済新聞に「高校生の就職内定」に関する記事がありました。求人も減っています。なぜ、減少しているのでしょうか。
一つは、工場の海外への移転も関係していると思います。では、なぜ、海外へ移転なのか。海外の労働者の質が向上してきている面も大きいと思います。さらに日本の高コスト体質。
書きにくいのですが、高校生の学力を含む労働に対する能力の低下が大きいのではと思います。
私が、経営者なら「雇いたくない」生徒が多くいます。このような生徒にしたのはだれですか。親や学校や地域社会や企業でしょ。みんなで寄ってたかって子どもを駄目にしていますね。
経験させたほうがよい失敗もさせない。バイトは適当な理由を付けてさせない。テストは、選択式、考える力はつきません。長いこと、企業は「レッテル」採用してきた。など、などです。

本日の新聞より
at 2002 11/02 20:54 編集
日本経済新聞の教育欄に「父親の学歴と子どもの学力」の記事がありました。父親が大卒のほうがそうでない場合より学力が高いそうです。
相対評価では、差を拡大する方向になると思います。絶対評価で「時間がかかっても段階をおって育ててやれば」差を縮小するこは可能になると思います。相対評価は、解らないまま進級させていますから、差が拡大するのだと思います。

本日の新聞より
at 2002 11/02 20:54 編集
日本経済新聞の教育欄に「父親の学歴と子どもの学力」の記事がありました。父親が大卒のほうがそうでない場合より学力が高いそうです。
相対評価では、差を拡大する方向になると思います。絶対評価で「時間がかかっても段階をおって育ててやれば」差を縮小するこは可能になると思います。相対評価は、解らないまま進級させていますから、差が拡大するのだと思います。

学校(昨日につづき)
at 2002 10/31 21:49 編集
出欠に関して誤解があったようなのでもう一度。長欠になったときや人生等に悩んだときは、留年とかするから学校に登校をするように説得するのが逆効果になる場合があるということです。本音は、勉強したくなったら学校に何歳になっても行けるような制度があればよいのになあと思います。いまは、大学院等は改善されましたが、中学、高校レベルは、廃校等で通いにくくなってると思います。

学校
at 2002 10/30 18:11 編集
また、この題です。どうして、留年生を差別的な目で見るのですか。何かあると、良くも悪くも留年のことが出ます。人間、いろいろあるのだから、そのなかの単なる一つでしょ。長い人生の高々一年とか思えるような社会に、また、人生に悩むこともありますね。出欠で追い回すから悪い結果になることが多いようです。

学校について(その4)
at 2002 10/28 22:09 編集
これは、学校に限ったものではなく、一般社会全体の問題ですが、防災訓練のことです。
前の学校で「出火場所は、当日まで秘密に。 毎年変える。生徒のいるところに近いところで。」でと、教頭に言ってましたが、無視されてました。
 私が言わなくなって、何年かのちのある年から、実際に「発煙筒を使い、防火シャッター、防火扉も動作させる訓練になりました。なぜ、こうなったかは解りませんが、いいことだと思います。 問題点が出てきました。訓練でよかったと思います。
 その1 火元や煙を考えず、あらかじめ指示された避難経路に突っ込んで行った・・・。
 その2 緊急放送が、校舎の特定のところにしか入らない。
 その3 防火シャッターなどを戻さないと緊急放送が切れない。
 などなど出てきて、対策が講じられました。訓練で判ってよかった。
アメリカで医師の資格を取られた方のかかれた研修医の体験談に「訓練」の様子が書かれていました。
 それによるとこの方には「訓練」は知らされていません。ほとんどの職員が知らないようです。実際の災害と出来るだけ同じような感じになるようにして、訓練をおこなうそうです。
 日本のは、「訓練のための訓練」です。こんなので緊急時の対応が出来ますか。

生徒の世話をやきすぎていると思います。口出しのしすぎ。
考えない。責任をとらない。頼りたい人間を親や教師、社会が寄ってたかって造ってるのではと思います。教師の中に自分で考えないから偏差値に頼っている者も結構いるようですね。偏差値の意味も判ってない人が「偏差値」とか言っている。
良い意味での「価値観」を持っていないからだと思います。だから、評価は、相対評価になってしまう。価値観を持っていれば、相対評価なんてやりたくないはずです。

書き込みありがとうございます。
>四科目で合計400点で試験が有りました
>科目ごとに点数と順番を廊下に貼り
>成績でクラス変えがあり Aクラスに成るため勉強しました
>この試験は県内共通で県で何番かも発表される
>たしか試験料(有料)が380円(30年前)
>順番を付けられるから頑張れたと思います
当時は、みな、豊かになるために必死だったですね。
ところが、豊かになるにつれて、勉強しなくなりました。一部の例外を除いて。
ですから、今は、手抜きの勉強での競争です。低レベルの競争になっていたにも係らず、相対評価だったため、なかなか表に現れなかっただけです。前から「覚える」で競争をさせてきた日本ですが、共通一次以降更にひどくなり、「出る順」、よく出題されるものを「まる暗記」すればよいと言う風潮が蔓延し、理解力等が無くなってきています。
山梨大学工学部は、卒業に世界基準を取り入れます。現在、多くの大学がこれの申請準備中です。絶対評価に移行中です。
>私の考え方は、北朝鮮????
本当は「純日本的」と思います。日本の仕組が、環境の変化に対応できなくなってきているのです。
>死んだ父の口癖は、国の為、陛下の為(父は、赤紙が4回来たそです)
昭和天皇に死を覚悟させた「負けの判っている大東亜戦争」を始めたのは、当時、秀才の集まった「陸軍大学」などの出身者ですよ。東条英機は、あの時現役大将で陸軍大学一番で卒業していたから「総理大臣」になり、戦犯になってしまったのです。2番なら戦犯になっていなかったかも。司馬遼太郎の「雑談 昭和への道」などを読んでみてください。
相対評価、今は「みんなでサボれば恐くない」です。時代が、環境が変化しています。
判りにくい答かもしれませんが、考えてみてください。

高校でよく言われるのが同じ学年を3回できないというものがあります。実際は同じ学年を3回やった例を知っています。また、法律等にあるのは、全日制高校なら最大6年間、4年制大学なら最大8年間などは規則がありますが、それをどのように割り振るかについての規則は以前調べたときにはありませんでした。該当学校の学則に規定があればそれに従うことになりますがそうでない場合、単なる思いこみです。

大学の推薦入試(AO入試を含む)ですが、推薦の意義を考えて実施している大学も多いのですが、中には学生集め目的が見え見えのところが見受けられます。そのような変化を判っていない高校教師がおるのですね。世間どころか自分の領分の変化にも対応できない人が。

「学校について」と大きく書きましたが、本題は「親を呼び出すとき」についてです。子どもが、急病になったとか、非常によくないことをした場合などは即時連絡して来てもらってもよいと思いますが、そうでない場合は普通余裕があるはずです。最低、数日前に連絡するべきであると思います。どう思いますか。

日本経済新聞の教育に関するところに「今どきの子ども」というのがありました。小人数教育において、単純に減らしたのと、習熟度別にして減らしたのとでの効果についてです。習熟度別のほうが全体的に向上するという結果だったそうです。評価は、絶対評価ですね。相対評価で子どもを見ていると学習進度が遅い子からヤル気を無くし、脱落する可能性が高いと思います。それは、全体の学力が伸びた場合、絶対評価では、伸びた様子が全ての子どもにも解りますが、相対評価ですと「変化(伸びた様子)」が判らないため、あきらめが出てくることになると思います。
相対評価だと結局、みんなでサボれば恐くないですね。

2人の受賞、よかった。ところが気になることが記事の中にありました。化学賞の田中さんの研究に注目したのはドイツの研究者というのです。日本のお偉方は気が付かなかったということになります。白川教授の時はアメリカ人、野依教授のときもアメリカ人、どうして国内で独創性が認められないのだ。お偉方が潰しているのでは疑いたくなります。

相対評価をされている方、母集団の検定や度数分布やら過去のデータとの統計学的比較などの検討を毎回されているのですか。単に%だけで出されているのなら、これほど不正確なものはないのではないかと思います。

週刊「東洋経済」に「技術士」資格についての特集がありました。国際的に通用する技術者とは、とかの対談もありました。どの程度の技術力なら通用するのか言う点でその基準の一つとして国際的に認められている資格試験です。これ、相対評価ですか。違いますね。絶対評価ですね。世の中、何らかの基準を元にした絶対評価のほうに向いています。日本の狭い範囲の相対評価では、子どもは勉強しなくなります。絶対評価のほうが継続的に勉強する者が増えます。

ろくでもない方法での勉強が蔓延っていますね。「出る順」なんて参考書がありましたね。共通一次以降、覚えるだけというのが、また、それをあおる教師が結構います。人間の記憶について考えたことがあるのでしょうか。理解していなくても覚えるだけで点の取れる問題を出題してるのが多くいます。なんとかしろ。

月曜日というのにまたぞろストレスの溜まることが。もっと、小中学校ぐらいからバイトを認めてやりなさい。少し、問題を起こすものがいるから、全体を禁止するというのはおかしいのでは。大事な社会体験をさせずに、「フリーターが」と言えるのですか。

堅苦しい表題にしましたが。「勉強と茶髪」なにか学校での指導を見ていると、「茶髪にするから勉強しなくなった。」と思っている節が見られます。勉学に興味を持っている者、進路目標を本当にしっかり考えている者などでは「茶髪」少ないですね。勉強が面白くなくなり、自分についても自信がなくなってきたものが「茶髪」に気が向くのではないかと思います。これは、日本でよく見られる因果関係の取り違いであると考えます。俗に勉強をしない学校に多く見られますね。学校の指導体制もあるみたいですが。Jリーグの選手、茶髪多いですね。でも、ワールドカップの結果はいかがですか。今までで、一番良かったですね。学校の教育の目的、それは、「子どもがより良い人間になるのを助ける」ことですね。良い人間は順番で解るのですか。

土曜日、授業がないから学力低下、笑わせるんじゃないよ。企業や大学、高校、中学、小学校それぞれどんな学力を要求しているんですか。何らかの絶対的な基準無しでやっているから勉強しなくなったんでしょ。豊かになるとどこの国でも勉強しなくなる傾向があります。評価を順番だけでするとその傾向がより顕著になる。

遠山大臣が学力低下対策についてPTA研究大会で話したようですね。でも、相対評価なら低下します。しかし、全ての大学で学力が一定レベル以下は合格させない(例えば、センター試験で50%より低いとき。)。とかすると低下は止まると思います。大学卒業レベルもしっかりと絶対評価でおこなうと大学生はもっと勉強するようになると思いますが。企業の採用姿勢も問題ですね。

センター試験について
センター試験の科目間得点調整についてです。地歴と理科で問題になりますね。ところで、理科の物理ですが、理科が好きで得意なものが受験生の主体になります。そうすると問題の難易度が同じぐらいですと他の科目より、特に生物より相当高得点になります。生物は、仕方なく受験している者の割合の高い科目です。特に俗に言う文系では。俗に言う理系で生物の好きなものは高得点を取っているはずです。そういう受験者の層を統計的に解析している様子が少しもうかがわれません。単なる表面的なものにのみ囚われて得点調整、物理受験者や生物の得意な者が可哀想です。得点調整をするな。

文部科学省の学力低下対策
文部科学省の学力低下対策の一つの案が朝日新聞に出ていました。これはいいことだと思いますが、大学卒業時の学力、高校卒業時の学力、中学校卒業時の学力、小学校卒業時の学力の基準は?。特に大学には厳格に基準を公表させ、それに達しない学生は卒業させないように、あるいは退学勧告をさせるように指導してください。本来、高校なども基準を公表させる必要があると思います。しかし、日本の現状では、まず、大学から始めさせてください。入学は楽でも勉強をしないと卒業できないということにすれば、入試の馬鹿騒ぎが減少すると思います。卒業認定を厳格に。%ではなく、学力で。

議論の下手な日本人(私も)
どうして仲間内での話はよくするのに、ちょっと本格的な討論とか、会議での発言、議論がどうして下手なのでしょう。私自身は大学院で初めて専門分野の討論会なるものを経験しました。学部のときの卒論は指導教官と学生2名なのでです。卒論などとは別の課題を調べて発表というのも大学院です。そうすると大学までは一体何をしているのかな。まだまだ、教えられるだけ。そんな感じがします。小中高のホームルームで討論の成立しているところは少ないようです。どうしてかな。考えてみましょう。

技術者教育の評価
日本技術教育評価機構でしたか、工学部などの教育内容の評価を始めていますね。これ、相対評価、絶対評価 どちらでしょう。絶対評価の方だと思いますけど。

相対評価に意味を持たせるためには、本当の意味での統計学的処理が必要になるはずです。大学で統計をまともに勉強した教員がどれほどいるのでしょうか。いま、行われている方法では、母集団の差異や分布の変動、誤差などいろいろな要因で正確な学力を現しているとは言えません。単にその集団の中での順位を現しているに過ぎないのです。順位はどの程度の学力かあらわしていないと思います。

新聞より
at 2002 11/16 10:22 編集
教育基本法の見直し論議が盛んにされていますね。でも、今の教育基本法の下での教育であるはずの戦後に教育を受けた世代のはずの現在の政治家、官僚、企業経営者、教育関係者の多くの考え方というかその根本にある日本人的なものは戦前と変わっていないと思います。
だから、同じ失敗を繰り返すのです。どうして「同じ失敗を繰り返す」ということになったのかも考える必要があります。村型発想(仲間うちのことしか考えず世界の中に日本がある言うことを忘れている)もそのままですね。
一部例外的な経営者や現場の労働者が日本を支えてきたのです。
その現場の労働者の部分が今、変調をきたしつつあります。

新聞より
at 2002 11/17 21:26 編集
日本には「研究の結果を正しく評価するシステムがない、と言われていると本日に新聞にありました。研究だけではないでしょ。教育の評価も、企業等での職務の評価もめちゃくちゃですね。一部まともなところを除いて。
評価するというのは、訓練されてできるものなのかも分かりません。少なくとも、絶対評価を受けていないものは、その意味がなかなか分からないようです。相対評価のみで評価されてきたものは、人間を評価するということの重大さをまるっきり分かっていないのでは思います。

新聞より
at 2002 11/20 21:19 編集
本日の日本経済新聞に、大学の連載記事「大学が変わる」が始まりましたね。その中で、「企業に大学教育がバカにされている」と嘆くとありますが、卒業の基準がないのと同じようなええかげんな教育をしてきたからでしょ。今からでもいいからちゃんとした基準をもって卒業させるようにしてくださ

以下の書き込みのうち「絶対評価が私の意見です」。相手側は「相対評価に価値を置いている」と思われます。


「私」
初めて書き込みさせていただきます。ここの表題のとおり、私の本音を書かさせていただきます。思っていることを何回かに分けて書かせていただきたいと思います。
大体、日本は昔から「覚える」ことが勉強だと思いこんでいるようです。大学入試で「覚える」より、読解力、理解力、表現力などを重視する方向の出題に変えてきているように見られます。大分、前の出題になりますが、京都大学の生物で、よく読めば単純な遺伝の問題がありました。教科書や問題集ではお目にかからない形質です。できませんね。理解力のない子は。生物の置き換えができないのです。どうして、このような生徒が増加したのか、その答えとして最近辿り着いたのが、「教科書や問題集の字句を図形として覚えている。」というものです。問題集をそのままコピーして切り貼りする問題にはいいのかも知れません。これは長年の訓練によってそうなっていると思います。高校になって一科目だけが、論述やとかいっても直りませんね。センター試験ですが、ある進学有名校では、生物は、論述できるよう です。日本史は、時代の流れを理解し、余裕があれば歴史小説でも読んでみましょう です。読解力、表現力などは「すべての教科で訓練を行う」必要があると考えます。
言いたい放題させていただくことになりますがよろしくお願いします。


「相手」
カモメさん(でいいのかな?)、ご訪問ならびにカキコ、ありがとうございます!
まず、忘れないうちに…現在 222 hit!!(since 2002 09/23 10:36) という表示に出会いました。
ゾロ目の記録を残されるかどうか分かりませんがとりあえず、ご報告を…。

>ここの表題のとおり、私の本音を書かさせていただきます。
どうぞ!看板に偽りはありません!

>思っていることを何回かに分けて書かせていただきたいと思います。
連作ですね。楽しみです!

>大体、日本は昔から「覚える」ことが勉強だと思いこんでいるようです。
「読み書きそろばん」から続く日本の教育ですね。
それはそれで、一定の成果があったのですが、いつまでもそれではネ。

>大学入試で、読解力、理解力、表現力などを重視する方向の出題に変えてきているように見られます。
それは、各大学で努力してきているようです。
ただ、その先の企業や公務員採用テストなどが…まだのところが多いです。
大学としても、痛し痒しです。

>これは長年の訓練によってそうなっていると思います。
いわゆる昔の「テスト強い子」ですよね。
それで通用しているところも結構あるだけになかなか直らないように思います。

>高校になって一科目だけが、論述やとかいっても直りませんね。
それは言えますね。
プロフィール見ても分からなかったけど、ひょっとして高校の先生ですか?

>日本史は、時代の流れを理解し、余裕があれば歴史小説でも読んでみましょう です。
>読解力、表現力などは「すべての教科で訓練を行う」必要があると考えます。
そうですね。論文をかけない学生も、本離れが大きな原因のように思います。
ただ、今、問題になっているのは、分数の足し算をできない学生などのように思うのですが、
その点についてはいかがお考えですか?

>言いたい放題させていただくことになりますがよろしくお願いします。
いえいえ、そのためのページですから、遠慮なく、これからもお越しください!


「私」
初めての書き込みに際して、訪問ありがとうございました。その時とずれると思いますが、相対評価について、思うところを書かさせていただきます。
相対評価は、多数の受験者があり、テストの得点分布が「正規分布」のときに利用できるのではと思います。また、他の集団との比較のときには、集団相互の統計学的比較が必要になるのではと思います。当然、同じ問題を同じ日に使ってテストを行う必要も出てくるのではないかと思います。高校入試で使用する場合、中学校格差(これはあります。目を背けないでください。)をどうするのですか。悪くいえば、相対評価は、点数差さえでれば、どんな問題でも利用できます。
相対評価は、みんなでサボれば恐くなくなります。現実にそのような地域があります。
以上が、相対評価に対する私の本音です。皆さん、いかがお考えですか。
それと、多数の受験者ですが、私は、数十万人ぐらいを想定しています。

「相手」
まいどです!

>相対評価は、テストの得点分布が「正規分布」のときに利用できるのではと思います。
そういえば、そうですね。習ったような気がします。(恥)

>また、他の集団との比較のときには、集団相互の統計学的比較が必要になるのではと思います。
>当然、同じ問題を同じ日に使ってテストを行う必要も出てくるのではないかと思います。
大学の入試は下の部分だけを採り上げたようなものですね。
ある意味公平なのかもしれませんが、人柄や努力は評価できないです。
入試のばあ、評価でなく評定ですから、いいとは思いますが…。

>高校入試で使用する場合、中学校格差(これはあります。目を背けないでください。)をどうするのですか。
そこが大きいんですよね。
採用テストは会社によって必要な人材を採ればいいので、少しずつ改善されてますが、
入試の場合はセンター試験等で分かるとおり、個性的な試験は難しいのかも…。

>相対評価は、みんなでサボれば恐くなくなります。現実にそのような地域があります。<BR>
>以上が、相対評価に対する私の本音です。皆さん、いかがお考えですか。
実際の社会に出れば、競争が待っているのだから、教育でも相対でもいいという考えもあります。
heinrichさんが、評価については一言持っておられると思います。
heinrichさん、もしよろしければお教えください。


「私」
返答どうもありがとうございます。

>ある意味公平なのかもしれませんが、人柄や努力は評価できないです。
入試のばあ、評価でなく評定ですから、いいとは思いますが…。

公平でない要素が入っていいのなら「絶対評価」のほうがいいのでは。評定は何をもとに出すのですか。評価することが前提では。

>入試の場合はセンター試験等で分かるとおり、個性的な試験は難しいのかも…。

個性的な試験とかではなく、大学が、自分の大学での教育や研究に耐える学力と能力、意欲などが見分けられる入学者選抜方法を教授が片手間にするのではなく、専任で開発すべきです。さらに、追跡調査を行う必要もあります。大学も卒業生の学力が大学卒にふさわしい者のみ卒業させるべきです。

>実際の社会に出れば、競争が待っているのだから、教育でも相対でもいいという考えもあります。

日本経済新聞にあった記事から思ったことなのですが、家庭でのしつけなどの面もありますが実社会での競争に耐える学力保証がされていないから、企業は高卒を採用しなくなった面もあるのではと思います。評価基準のない相対評価をしているためではないかなと思います。競争のスタートラインに立てる学力を。

以上の書き込みのうち「絶対評価が私の意見です」。相手側は「相対評価に価値を置いている」と思われます。これで議論がストップしてしまいました。

今の教育に大きな影響を与えているのが、企業などの新卒の採用に関する姿勢と人事評価ではと思います。優秀な人材と良く聞きますが、各企業どのように考えているか、応募しようとする者にわかるようにできませんか。外野には、なにか伝わってこないのです。

子供たちが勉強しなくなった理由は、大人がしっかりと水準を示さず、順番だけで判断していたからだと思います。豊かになると勉強しないのが増えます。すると、前と同じ程度の勉強で順番はよくなります。サボりは、手を抜きはじめる。悪循環。今時の子は、勉強しなくてもなんとかなると思っている。さらに勉強しない。

中国の高級人材の話でした。残念なのは、アメリカの大学等で博士号をとり、アメリカなどで活躍している人ですね。日本は蚊帳の外みたいですね。<BR>どうしてでしょう。<BR>大学で勉強をさせないからでは。会津大学ができた年、外国人教授が「絶対的評価」で「出来ない者」に単位を与えず、4分の1ほど留年したらしいですね。すると、親などが当時の文部省に泣きついて、「補習をする」などの条件で進級させたそうです。その時、外国人教授は「出来ない者を落として、なぜ、悪いの」などのようなことを言ったそうです。<BR>学習意欲などに対してだけでなく、学力も絶対評価の対象とすべきです。それが、国際的にどの程度なのかも検証しないと日本はだめになります。

マレーシアですが、大分前に新聞で「最近、生徒が勉強しなくなった」などの記事が出ていました。その原因として、豊かになってきたので勉強しなくてもそこそこ生活できるようになったそうです。あちらは、そのあと対策が取られたと思います。日本は、まだ、マレーシアより豊かですね。勉強しないものが増えれば、相対評価では「あまりしない」でも、俗にいう成績は上がります。すると、更にしなくなる。悪循環です。
ところで、国立大学などの入試の個別試験の問題、よく見られたことがありますか。俗にいう難しいところほど細かい事項を答えさせていません。センター試験の得点率は、センター対策だけで良い大学より高いですね。どういうことかよく考えて見る必要があります。

世界的な大競争時代、日本国内だけの発想で生きていけるかな。世界に通用する力を子供たちに。ええカッコいってます。今の日本の教育のレベル、通用しないのではと思います。その状態のなかでの相対評価、世界の競争のスタートラインにも並べません。

日本の相対評価は、ほとんどの場合、その集団の中だけで、外部との比較、というか、なにか基準となるものと比較がないですね。だから、学力が低下してもわからない。危機感がない。となるのだと思います。

高校生の就職難、採用側のほうの本音はどうなのかな。新聞などの記事から推定すると、「高卒は採用したくない」というのが感じ取れます。どうしてそのようになったのか。高卒ってなあに。基準がないからわからない。

相対評価ですが、世界を相手にしたときどの程度なのか。こういうふうな評価をお願いしたいですね。それと、戦前の軍部みたいな絶対評価も困ります。あれ、単に「帝国陸軍は世界一」と思いこんでいただけですから。あ、こんな事例、今でもよく見られます。庶民が思いこむのはまだしも、政治家、官僚、経営者、大学教授などでも見られるのが恐いところですかな。そうそう、普通の教師みたいな大学卒も。

さて、日記の本題ですが、本日、高校の進路指導協議会でしたかその会長のインタビュー記事がありました。就労体験とかあったのですが、しっかりしたところで早い段階(小学校?)からバイト許可しとけばいいものを思いました。勉強しないものは、座学でいってもなかなか勉強が身につきませんね。

最近、この題ばかりですね。今日もです。愛知県の教師の記事が出ていましたね。「こんな問題も分からんのか」うんぬんです。内容は記事を読んでください。これでこの事件の問題は、この教師が、児童が「内容がわからない。理解できない」だから、学校に来ているということを忘れていることにもあります。簡単に分かるのなら学校に行く必要はないと思います。分からないから学校にに行っているのです。
ちょっと過激な意見「日本も学校に行かなくても良い制度や考え方を取り入れてほしいと思います。」