煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)

主に歴史関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。

2006年12月21日
「外人の日本語は片言の方が」 久米さん10年後の謝罪

12月21日に朝日新聞のホームページの「社会」で見つけました。その記事の見出しです。詳しくは朝日新聞紙上かホームページで。
10年前に「ニュースステーション」の番組中で「外人の日本語は片言の方が」とかいったそうです。それに対して抗議があったのですが、久米氏は最近になって知ったというのです。
朝日新聞によると、番組に関しての意見は毎日100件ほどくるというのです。それの全てを司会者に伝えていなかったということです。で、久米氏は最近になって知るところになったというのです。
その後がどこかの健忘症の人々とは違いました。《今年12月1日。発言を認めた上で、「よく考えてみると、これはかなり失礼な発言だと思います。いわゆる『島国根性』の視野の狭さ、と反省しています」》と朝日新聞の取材に応じたのです。
抗議した有道氏は『「驚いたが、久米さんのように影響力のある人が過去の発言を放置せず、修正しようとしてくれてうれしい」と話している。』と述べられたというのです。
霞ヶ関や永田町に多くお住まいの過去に蓋をしたり、裁判で指摘されても間違いはないと言い張っている方々に見習ってほしいですね。
この抗議をした米国出身の有道出人(あるどう・でびと)さんのホームページも「有道出人」で検索するといいですよ。

2004年12月24日
「教訓根づかぬ」日本
昨日に続きです。なぜなのか。成長の過程や教育に於いて「失敗は成功のもと」ということがどのように取り入れられているのか。
普通の試験の失敗はそれほど「教訓」にはならないと思います。日常生活や学校の活動でうまく経験させていくことができれば、普通の教育活動みたいなものでも「教訓」というのが身にしみるようになるのでは。
大失敗というのはダメージが大きすぎるので困ると思います。「失敗」したときの親や教師の対応によっても変わってくるのでは。
歴史教育がまともにできない国ですから、「教訓根づかぬ」でしょうね。
「歴史を鏡」にして一番利益があるのは、「歴史を鏡」とした国なのです。「歴史を鏡」としない北朝鮮の現状をみてもわかると思います。
欧米は、結構「歴史を鏡」としているので世界のリーダーの一つとしてやっていますね。
日本は、また、潰れるのかな。過去の失敗に対してどのように対応するかということが「教訓を根づせる」のか「教訓根づかぬ」のかの分かれ道のように思います。

2004年12月23日
「教訓根づかぬ市民・行政」
これは今日の一面『地震列島 「直下型」への備え』の見出しです。
基本的に日本ではどこでも地震が起こりうるわけですね。ところが暫く起こらないと「ここでは地震がない」と思いこむようですね。そして、他のところで地震が起こったときはしばらくそれなりに意識しますが、すぐ元の木阿弥になるようです。
これは、見出しにあるように「行政」もすぐ教訓を忘れるようですね。
まあ、日本は、いろいろなところで「教訓」が根付いていない例が多数あります。
帝国陸軍では、何時までも同じタイプの戦法で多数の将兵が死傷しました。この原因の一つは、日露戦争での第四軍の無様な戦いぶりを美化するために始めた誤魔化しがあると思います。この戦いで「突撃」がやたらと賞賛されるようになったような気がします。
ほかにも、厚生労働省の度重なる「薬害」、特に「サリドマイド過」の「血液製剤によるエイズ感染」は同じパターンだと思います。
農林水産省の干拓、有明海の前に「大潟村」の自立の確保を先にしなさい。などなど。
このような日本、よくここまで発展したものですね。 

2004年11月26日
歴史認識
例え話ですが、ある人が殴られた。そして、相手は反省もしていないようにみられる。にもかかわらず、殴ったほうから「その件自体なかったのだ」といわれた場合、殴られた方はどのように思うのでしょうか。当然、怒りますね。
この例え話のようなことをしている国があるのです。
殴られたに相当する国に殴った方に相当する国の軍隊が入って多くの国民が殺されてました。殺された側にとっては、「軍隊が攻めてきて殺された」だけの事実で何人殺されたかの証明など要らないのです。それを公表している人数に問題が留とかなんとか理由をつけて認めようとしない。あげくが、そのようなことがなかったと平気でいうような人物が政権内部におれば、殴られた側に相当する国の国民は怒りますね。
ドイツがヨーロッパ諸国に受け入れられたのは、ナチスの行為から目をそらさずに反省し、二度とあのようなことにならないようにするにはどのようにすれば良いかを追求してきたからだと思います。
日本の識者といわれる人物中にはドイツが認めているアウシュビッツの件が無いような論文を書き、それを掲載した雑誌が廃刊になりまた。なぜ、そこまでごまかしたるのか理解できません。
歴史の歪曲で一番被害を受けるのはその国の国民です。辛いかもしれないですが、歪曲は止めて欲しいです。

2004年11月6日
歴史や事実を誤魔化して損をするのは誰か
まずは、現在起こっていることでは、「アメリカのイラク攻撃」前提条件が崩れていますね。そして、フセインは倒れましたがイラク国内の混乱はひどいですね。その結果、イラク国民やアメリカ兵の犠牲者が多数出ています。
ベトナムでの経験はどこにいったのでしょう。人民戦争のタイプには勝てませんよ。
ところで日本はいかがでしょうか。
日露戦争での実際の戦闘状況とかは教訓化されませんでしたね。旅巡攻撃では「突撃」の繰り返しにより多数の将兵が死傷しました。その結果、他の戦場への兵員配置にも支障が出たようです。さらに、攻撃が手間取っている間に戦艦2隻が機雷にふれて沈没しています。
これは、乃木軍の作戦失敗によるものです。ヨーロッパでは第一次世界大戦で突撃は後になると激減していますが、日本では第二次世界大戦末期でもやってましたね。
この作戦失敗を誤魔化すために日本では「突撃」を賞賛するように軍部は報道しました。その結果かどうか、「装備の近代化」が忘れ去られました。ノモンハン事件では死傷率75%などという師団が出ています。そして、その師団長かな「日本の兵隊さんは強いと聞いているから・・・」とかいったとか司馬遼太郎氏は「雑談 昭和へ道 第2集」で語られてます。
うその上塗りを繰り返して、滅亡に突き進んでいったと思うのです。
日ソ中立条約も締結して後に関東軍がソ連を仮想敵国にして演習をした段階で効力を失っていたそうです。平和条約を結んだ相手を仮想といえ敵国をするのは友好国とは見ていないということになるそうです。これは、国際法上というか普通の国際感覚のあるものにとっては常識だそうです。
そうすると、1945年の段階では日ソ中立条約を守る義務をソ連にはないことになります。このようなこともどうして検証しないのでしょうか。
そのほかにも、多くありますが長くなりますし、話のまとまりがさらになくなりそうなので今日はここまでにします。

2004年8月31日
第二次世界大戦の時のこと
今月の日経「私の履歴書」は、山口淑子氏でした。今日の最終回では、恩人のリュバさんとの再会のことが書いてありました。
リュバさんの兄のことが本当に最後のほうでふれられていた。山口氏が「お兄さんはどうしたの?」と聞いたら、リュバさんは「ナナサンイチブタイを知っている?」で後はそれ以上答えてくれなかったとありました。
この履歴書の中に、731部隊は生きた人間をモルモットにして生化学兵器の研究をしていたとあります。
司馬遼太郎氏のいう「自己解剖」を日本がきっちりしておれば、この部隊についてもっと多くの人が知っているはずです。日露戦争以来の「都合の悪いことは隠す。」あるいは「なかったことにする。」できてますから知らない人は多いでしょう。
このような体質が、戦争へと日本を導き、大日本帝国憲法を改定させられる状況に日本を追い込んだわけです。
都合の悪いことを隠したり、ないことにして「損」をするのは、我々です。
ドイツが認めているアウシュビッツのことを否定するような記事をとある雑誌(この件で廃刊)に載せた人がいました。
ドイツの何代か前の大統領は「過去に対して目を伏せるものは、未来も判らなくなる」とかいうような意味のことを言われています。「歴史を鏡とする」ということば、それぞれ各人のためであるということを理解して欲しいですね。

2004年8月26日
自己解剖の勇気 その2
一昨日、この題で書きました。
昨日の日経「私の履歴書」のなかで「従軍慰安婦」についての記述がありました。著者は、元参議院議員(自民党)の山口淑子氏です。
戦後に韓国女性の訪問を受けてその話を聞いたときから、山口氏は「従軍慰安婦」の問題をライフワークにされています。
詳しくは、新聞を読んでください。
「このことがなかった」とか「自由意志」とか言っているのは「歴史を鏡」とする気がないようですね。山口氏はまじめに取り組まれています。その足を引っ張るようなことをどうしてするのか。自分の良くないところを知るのは辛いことです。でも、良くないところも正確に理解しておかないと良い方向にも行きませんね。
結局、前にも書きましたように「失敗」などを誤魔化して、それを繕う行動をすることによって日本は負けることがハッキリしている戦争に突入していって危うく天皇陛下にまで危害が及ぶようなことをしたわけですね。しっかりと「自己解剖」して欲しいです。

2004年8月24日
自己解剖の勇気
これは、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」最終回の題です。
この場合の「自己解剖」は日本のことです。失敗したことや対外的にも都合の悪いことを隠したり、誤魔化したりして「教訓」とすることしてきませんでしたね。その結果、太平洋戦争まで突入し、アジアの諸国民に多大な損害を与え、国民にも与え、さらに天皇陛下に「死」まで覚悟させ、そして負けました。
その時々で、的確な「自己解剖」をしておけば、今でも「大日本帝国憲法」のままでは思います。自ら、明治体制を崩壊させたわけです。
ところで、ホームページ巡りをしていると、時々、「また日本を潰すつもり」みたいなところに行くことがあります。要するに、昭和20年までのことで、ごまかしやすり替えをしているわけです。
ドイツが、ヨーロッパ諸国から受け入れられたのは、経済力ではなく、ナチス体制に対する反省というか第二次大戦でドイツのしたことを素直に認めたからです。
今、日本は、経済力で持っています。この関係が逆転するのも間近でしょう。そのとき、日本がアジアで受け入れられるかどうかは「自己解剖」ができるかどうかによると思います。

2004年8月15日
敗戦記念日
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」などから考えると、負けて当然の戦争を始めて、そして負けた。
天皇の玉音放送があったのが8月15日ですね。
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」(放送を録画したもの)を見ていて、「大日本帝国憲法では、天皇は行政、外交、軍事などの報告を聞くだけで自分の意見すら言えなっかた。」というようなところがありました。
すると、玉音放送は、憲法違反?という感じです。そこまで、天皇を追いつめたことへの反省がないのですね。
そして、あの戦争、アジアの人々、日本の国民に多大な損害を与えました。このことを忘れないで欲しいわけです。
また、太平洋戦争開戦の時、首相は東条英機でしたが、たまたま、現役大将で陸軍大学主席卒業が東条だったかららしいです。誰が首相をしていても開戦していたでしょう。ですから、そのようなことの検証ですね。そのあたりも徹底して検証して欲しいですね。
日本人が原爆を忘れない、拉致を忘れないというように、アジアの人々も戦争での被害を忘れないと言うことも忘れて欲しくないですね。
今日を「終戦記念日」とか言っているのは、現実から目をそらしているとしか思えないです。
戦後、多くの場面でも「現実」から目をそらして放置あるいは誤魔化したため、後々大きな問題になってきた例が多数あります。企業では、三菱自動車などがその例かな。行政では、年金問題、医療制度、農業政策など多数あります。
これからの日本を発展させるため、「歴史を鏡とする」とし「自己解剖の勇気」をもって欲しいですね。
まだ、不埒な輩がウイルスメールを送ってきます。webメールなので、添付ファイルのあるのはすべて送信者関係なく誰であろうと削除しているのですがね。
送信者詐称をしていると思います。私も2回ほど詐称されました。皆さん注意しましょうね。

2004年8月13日
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」より(その2)
一昨日に続きです。
これの最終回が「自己解剖の勇気」です。
まあ、いろいろな事例の検討ですが、身内や本人が事後検討をすると、どうしても甘くなったり、都合の悪いところは削除したりする場合が多いですね。
そして、日露戦争の検証は、この都合の悪いことを隠したり、誤魔化したりした典型になっているのでは。
司馬氏は、「帝国陸軍編纂の日露戦争史」というものを読まれたそうです。そして、何のイメージもわかなかったと。その後の日本は、実質感のない言葉だけの社会になっていったのでは。
戦争が終わって編纂されるこのような戦争史は、良いところも都合の悪いところも洗いざらい出して、そこから「教訓」を引き出すものでは。それを怠り、203高地での戦闘の美化(これは旅順要塞攻撃の失敗を誤魔化すため)や旅順港の封鎖作戦などが必要になったのでは。
このときの参謀長、左遷ではなく、出世してます。出世されるためには、「帝国陸軍編纂の日露戦争史」に真実は書けませんけどね。
日本軍は、「言葉」だけが勇ましくなっていき、「自己を検証」するということができなくなっていったと思います。
この「自己を検証」するということができないというのは、今の官僚機構でもよく見られることですね。「雑談 昭和への道」というのは、戦争までの道のみを考えるものではなく、今の日本を考える上で非常に参考になると思います。
昨日、ウイルス付きメールが、4通来ました。だれかが、意図的に送ってきたとしか考えられません。webメールを使って、web上で添付ファイルを削除などしてますので被害はありませんでした。
論争に負けた腹いせでしょう。論争を仕掛けるのなら、勉強してから、または勉強しながらしましょうね。

2004年8月11日
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」より
これは、今から17〜18年前に、NHK教育で全国放送されました。そして、やはり今から8年ほど前発売された「週刊朝日」の増刊号(こちらは2回分少ないです。)にも取り上げラテいました。
この増刊号の題が「司馬遼太郎が語る日本」です。
昭和の戦争ですが、負けましたね。その後のアメリカ駐留軍が来たとき、あまり混乱もなく受け入れました。これは、それ以前、日本は軍部に支配ではなく「占領」されていたのではと言われています。
また、孫文が日本の神戸で講演したとき、「1893年以前は、日本も植民地であった。」といわれています。これは、「治外法権、関税自主権なし、などは植民地である。」という認識ですね。そしれ、横浜や神戸の居留地(中国の租界に相当)も植民地の象徴ですけど、日本は別の解釈で誤魔化しています。
まあ、問題は、骨董兵器でノモンハンで壊滅的敗北をして、兵器の改良もせず、太平洋戦争にまで突き進んでいった原因です。私にも判らないし、司馬氏も「魔法に包まれた森」を見るようだと言っています。
そして、今の政治情勢もなにか「魔法に包まれた」勢力によって動かされているような感じを受けるのです。極端な言い方をすると、「なにか日本が破滅に向かっている」ような感じがします。
国際感覚もなく、今まで以上に国内志向に向かっているような感じがするのです。
皆さん、8月15日「敗戦の日」がきますので、機会があれば、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読むなり、ビデオを見るなりして考えて見てください。

2004年8月6日
戦争体験の風化
昨日のクローズアップ現代で、昨年広島の平和記念公園の折り鶴放火事件とその後の大学の平和教育への取り組みが放送されていました。
大学では、学生により一層の意識向上を求めて、講義や講演などの活動をしています。
最近、新聞で読んだのですが、広島の平和記念公園への修学旅行等が減っているというのです。学校で「平和教育」が避けられてきてるのではと危惧しているとことです。
戦争の悲惨さ、そして日本の場合、「どうしてあのような戦争に突入していったのか」ということですね。
私なりに、調べていてよく分からなかったのが、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」をみて、ある程度理解できました。
でも、分からないです。勝ち目のない、少しの先も予測もしていない戦争、ただただ「戦争」をしたいとかしか思えないのです。
その結果、国内にもアジア諸国にも多大な損害を与えていますね。そして、天皇に「死」まで覚悟させたようですね。
今、今一度、あの戦争について、真剣に検証しないと次は「天皇制廃止」の憂き目にあうかもしれません。そうしないためにも。
あの戦争を、そして行ってきたことを「なかったこと」みたいにするのは決して日本のためにはならないと思います。
日露戦争の「負」の部分をなかったことに誤魔化したため、昭和の戦争に繋がっていき、「大日本帝国憲法」(戦争がなければ今もこれだと思います。)改訂する羽目に陥ったわけですね。

2004年8月1日
日本の戦後処理
今日の日経に母国に戻った被爆者の話が出ていました。
母国と書きましたけど、被爆時は日本国籍ですよ。長い間、放置されてきましたね。
この手の話はたくさんあります。
2002年の大阪高裁の判決「被爆者はどこにいても被爆者」というのがでるまで、海外の被爆者を放置してきましたね。
こてと同根なのが、国内でも問題になった「毒ガス」ですね。今まで放置してきて、被害者がでて初めて調査ですからね。
当時の書類なんて無いでしょう。すると、廃棄した関係者がいるうちはまだしも、今となっては推測で掘り返すほかないのでは。
戦後、復興もあったかもしれませんが、そのときのお金の一部をこれら処理に回していただけでも、国内的にも国際的にも違ってきただろうにね。
ドイツでは、第二次世界大戦に関わることの時効は多くの項目でなくしましたね。そのなかに「強制労働」の賠償についても含まれていたと思います。
このあたりの違いは、アジア諸国が発展し日本を追い越したと思うようになったときに顕在化すると思います。

2004年7月10日
強制連行訴訟の判決より
昨日、広島高裁で中国人原告勝訴の判決が漸く出ました。
戦争責任や歴史に対する謙虚な気持ちがあれば、解決済みのはずです。今、まだ訴訟が続いているというのは「歴史を鏡」としていない、過去のことに対して目を閉ざしている証拠です。
このような現状での憲法改正を非常に危惧します。1884年以降の日本とアジアの関係で戦争を起こしたのは日本が絡んでいる。特に1900年以降は日本が出ていって戦争をしていますね。
その結果、アジアの人々や日本人にも多大な損害を与えています。強制連行はその一環として行われたのでは。
1884年以降1945年までは、日本が出兵したときに戦争が起こっているのです。そして、1945年以降、出兵しなくなったので日本の絡む戦争はありませんね。アメリカはよく戦争してますね。特にベトナム戦争、キューバ危機は自ら作り出したのでと思います。そして、ベトナムでは、アメリカは負けましたね。アジア人の犠牲者は200万人、アメリカ兵5万6千人(映画JFKより)。今のイラクはベトナムで手こずった「人民戦争」になってきてますね。多国籍軍でも治安維持は難しいでしょう。
国は戦後処理にまじめに取り組んで欲しいですね。

2004年7月8日
近代化と政教分離
ここで言う「近代化」とは、イギリス型がモデルです。
政治と宗教との関係ですね。キリスト教国の中で、イギリスが一番早く宗教より王権の方が上位になったと考えられるのです。
それは、ヘンリー8世が「イギリス国教会」を創始したことで確定したのでは思います。
他のヨーロッパ諸国では、ローマ法王の方が絶対者のときにです。その後の宗教改革を成功させた地域から近代化が進んでいると考えられます。
そして、絶対王権、次に議会制へと移行していくわけですね。
日本の場合は、宗教と武家政治との関係は織田信長によって武家側に有利になりました。それ以降は、そのときの政府に利用されるというのが、多くの日本の宗教ではないでしょうか。靖国もね。
世界に目を転ずれば、イスラム社会では、宗教の方が優先されています。俗に言う近代化されたところとイスラム社会の対立点の大きな部分をこの政治と宗教の関係が占めているのではと考えています。
多くの国々で、近代化の途上で宗教との対立があったわけですね。そのあたりから考えてみると、今のイスラム社会がまた、違った感じで見えてくるのでは。

2004年7月6日
日本と中国、朝鮮との関係
また、書きます。どこかのHPでなんとも言えない書き込みを読みましたもので。
中国などが日本を攻撃したことは、過去一度もない。元寇は朝青竜のモンゴル民族です。それに対して日本から朝鮮には時々軍隊を出していますね。そして、前世紀には、司馬遼太郎氏のいうところの1000年経っても忘れない恨みを植え付けてきていますね。日本が拉致を忘れないのと同じようにです。
中国に対しては主に前世紀に大勢の軍隊を送り込みましたね。こちらも恨みを買ってますよ。韓国と中国の指導者が上手に過去のことにしようとしてくれているのに逆なでしているのは日本でしょうが。
過去のことというのは「正しい歴史認識」、そして「歴史を鏡」として国を誤らないようにすることだと思います。そこが怪しくなってきているのが今の日本です。このままでは、また来た道に突き進む可能性があります。今度、日本が自滅したら天皇制は廃止になるかもね。アジア諸国はそのことをおそれていると思います。
アジア諸国に軍備で海を渡って上陸作戦を行える装備を持っている国はないですね。世界的に見てもアメリカぐらいでしょう。
北朝鮮を自滅に追いやると恒星の超新星爆発みたいに最後の一撃が日本に向かうおそれは十分あると思います。恒星の超新星爆発みたいにね。

2004年4月29日
「みどりの日」より思うこと
元々は、昭和天皇の誕生日でしたね。明治天皇の誕生日は11月3日ですね。
昭和20年までは、11月3日を明治節といっていたと思います。同様に今日もしたかった人たちがいるのですね。
ところで、どうして大日本帝国憲法を変えなければならないことになったについての反省がうやむやのままですね。
いろいろ事があったとき、それがよくないときは出来るだけ早く検証、反省してよい方向に変える必要がありますね。
どの国でも多かれ少なかれ失敗隠しをしていますが、主要国といわれる国で、日本ほど隠しているというか、忘れっぽい国はほかにはないですね。
そして、検証もされずに目立つことが、あるいは都合の悪いことを誤魔化すために「思いこみ」をよくしています。土地神話なんて戦後だけらしいですし、終身雇用も一流企業では欧米もしていたようですね。
「思いこみ」というか何かが日本を戦争に駆りたて、近隣諸国や自国民に多大な損害を与え、昭和天皇には「死」まで覚悟させるような事になったのだと思います。
「歴史」から真摯に学びましょう。天皇制をつぶさないためにも。

2004年4月28日
過去の滅んだ国や組織に見られる傾向?
その時の権力者ヤ巨大な組織には口をつぐみ、手厳しい反撃はないと思われるところに攻撃を仕掛け、価値観の押しつけをおこなったところが多いかな。
日本でもありましたね。「非国民」という言葉で。そして危うく天皇制も失うとこでしたね。異質な考え方を互いに尊重し合う。そして、より良い社会を作るためにはどうすればよいのか。科学の分野でも異質な研究者が世紀の大発見などしてますね。
中村教授の青色ダイオードの発明、東芝のフラッシュメモリーなどは研究のとき、企業から妨害みたいなことを受けたらしいですね。IBMなどの研究所から多くの重要な発明があったのもいろいろな考え方の研究を受け入れていたかららしいです。
韓国と北朝鮮の差は、異質な分子に対する扱いの違いでは。台湾と中国ですね。ソ連のとき、停滞していたロシアが混乱から抜けてきて発展中ですね。ソ連のとき、異質は排除でしたね。
異質な考え方を受け入れられる社会を日本も目指す必要があると思います。イラクでの人質事件の被害者パッシングを見ているとね。政府経費は政府が支出を決めて使ったのだから政府を批判してほしいですね。
第二次世界大戦の出征のときに「生きて帰ってこい」という家族を「非国民」呼ばわりしていたのと同じよな感じを受けました。
「チップス先生 さようなら」(イギリスの全寮制学校の教師をテーマにした映画)の中で第一次世界大戦のとき、イギリスの将軍がチップス先生に「次代の立派な青年を育ててくれてありがとう」といったとき、チップス先生は独り言で「明日が決して来ないことを(never come)」と言っていました。第二次世界大戦直前の映画です。

2004年4月12日
司馬遼太郎氏の講演集より
昨年より司馬遼太郎の講演集が文庫になって発売されています。
それの第1巻をを読んでいて「雑談 昭和への道」にもあった話を読みました。
戦争末期に司馬遼太郎氏の所属する部隊(戦車隊)は北関東にいたそうです。アメリカ軍上陸のときには南下して首都を防衛するのが役目だったそうです。
軍の高官が来たとき、誰かが「上陸があったら避難民が道路にあふれていると思うので交通整理等するのですか」と聞いたところ、高官は「轢き殺せ」と応えたそうです。
この時の軍部の上層部の感覚を現していると思いました。国は「国民」があってこそ存在できるのに、軍を支えているのも実質は国民ですね。それを忘れてというか、遊離した状態の思考になって、現実が判らなくなっていたのですね。
どうして、このような状態になったのか言うことを検証する必要が絶対に必要だと思います。
今の官僚もこれと類似する部分があるように思います。

2004年4月9日
アルカイダなどのテロと一向一揆などから思うこと
時代が違いますので、簡単には比較できないと思います。
まあ、どちらも殉教の精神は凄いですね。ということは、信仰が第一であるということです。
日本は織田信長が行なった一向一揆というか石山本願寺との戦い、比叡山の焼き討ちなどで宗教と政治の関係で政治のほうが優位にたったのでは。
イギリスでは、イギリス国教会の成立でかな。ヨーロッパでイギリスの近代化が一番早かったですね。宗教と政治との関係で見るとイギリスがもっとも早く王権のほうが上になったためと思っています。
イスラム社会では、信仰が絶対ですね。戦国時代の一向宗も信仰第一であったと思います。
現在の話だけでみると、契約(法秩序)優先の文明と信仰第一の文明との摩擦でどちらかというと押されているほうが「テロ」という手段を使っていると思います。
西洋社会でいう「近代化」というのは信仰の自由は認められていますが法のほうを優先することによって達成されるものです。その軋轢がいろいろな形で出てきているのだと思います。
歴代のアメリカ大統領の中で比べてみると今の大統領、ヘマしましたね。私の希望としては「落選」してほしい。
それと日本の「八百万の神々」の考え方、一神教の過激派からみたら許せないでしょうね。
でも、人質をとるというのは許せないことです。即時解放されることを求めたいです。

2004年4月8日
昨日の靖国神社参拝に対する判決より思うこと
靖国神社の成り立ちとかその後の様子を調べてみたいですね。
ただ、日清戦争のころはそうでもなかったようです。日露戦争やその後になるほど「靖国神社」というのが大きくなってきているように思います。
日露戦争ですが、日本が何とか勝てたのは日本人の勇敢さもありますが、兵器の水準が当時の世界最先端でした。そして、多くの戦場での大砲などの重火器の数でロシアと同じか上まわっていました。
海軍では、日本はこの戦争に備えて最新鋭艦を増強していました。陸軍も海軍も最新兵器を持っていたわけです。
ところが、第4軍が旅順要塞に対して「突撃」をくり返し、多くの将兵が亡くなりました。海軍が203高地の重要性をいっても聞かず、逆に少し攻撃したことによってロシアがその重要性に気づき、要塞化してしまいました。
その結果、陸軍も海軍も損害、苦労が続くわけです。
それでも、この第4軍の司令官と参謀長は出世していますね。日露戦争を長引かせる原因を作っているのです。でも、この件に関して、何ら反省も調査もされていないのでしょうね。それどころか、出世させたということはこの失敗を誤魔化す必要があるわけです。出てきたのが「爆弾三勇士」などではないかと思っています。
軍にとって、何かつごうが悪くなりそうになると「軍神」を作り上げたのではと思います。
日本の陸軍は世界一という思いこみなどもあって、満州、中国と入っていって果ては「大日本帝国憲法」を潰すことになる太平洋戦争に突入していったと思っています。
ノモンハン事件についての司馬遼太郎氏の話で日本軍は「織田信長時代の兵器に毛がはえた程度」とまで言われています。
後になるほど、特に軍部の靖国神社に対する思い入れが凄いですね。
日露戦争から昭和初期にかけて、自分で調べたこともあるのですが精神衛生上非常に悪かったです。自滅の道のように感じてしまいました。
未来に対する「糧」となるような歴史認識が欠けているのが日本の現状かなという感じがします。

2004年3月21日
日本の歴史について、そして現状認識について
特に日露戦争あたりから考えてみましょう。
日露戦争史ですね。軍にとって都合の悪いことが隠されているのですね。特に第四軍ひどかったようですね。その失敗を誤魔化すために「爆弾三勇士」などが作られたのだと考えています。そして、それにも係わらず、参謀長は出世してますね。乃木神社なんかができていますね。
日露戦争の日本軍は、「世界の先端装備」で戦争しています。このことも抜け落ちていますね。
ノモンハン事件でも、その状況を検討し後に反映させることをしていませんね。
それと、何か事情があると「軍神」がやたらと出てきています。これも「指揮の失敗」や「装備の悪さ」などを誤魔化すためだったようです。
時代は古くなりますが、元寇でも「神風」が強調されていますが「土塁」を築くなどした結果、博多沖などで三ヶ月も上陸できなかったため、台風に遭遇したのです。この点についても長いこと無視されてきていたのでは。
日本の国体を潰すような太平洋戦争にどうして突入していったか、真面目に検討されていませんね。そして、自らの失政で大日本国帝国憲法を潰したことに頬被りしています。あの戦争さえなければ、大日本帝国憲法のままだと思います。
このあたりを真面目に取り組まないとまた同じ失敗が行われるような気がします。そして、今度は日本が立ち直れない可能性もあると思います。
現在の改憲論もこのことについての検討無しにされていると思います。今まで、日本に攻めてきたのは「元帝国」だけですね。それ以外は日本から出て行ったいますね。
そして、アジア諸国に多大な損害を与えた戦争の反省ですね。これを真剣にしてもらわないと、また、日本が潰れると思います。

2004年3月13日
日経ビジネス2004年3月15日号時流超流を読んで
この最初にあるのが「東芝訴訟、桝岡氏が鳴らす『知の空洞化』への警鐘  技術立国の現場が危ない」です。
東芝の話になるのですが、桝岡氏がフラッシュメモリーを発明したにもかかわらず、会社はその可能性を見抜けなかった。そして、インテルや韓国サムスン電子に技術供与して両者に独走させる結果になったそうです。
また、光ファイバーでは、西沢順一氏が開発しているのにアメリカのコーニング社から技術導入した企業がありましたね。
多くの経営者はどうして発明とか技術に疎いのでしょうか。また、日本人に独創性がないと思いこんでるのでしょうか。
発明に対する対価の問題もありますが、発明が認められない。研究活動に対しての評価が正当にできないと言うことも大きな問題ですね。
経営トップとか官僚などのトップになるほど、技術などに疎くなるのは日本の特質なのでしょうか。
古い話ですが、ノモンハン事件のとき、ソ連軍との機械力の圧倒的な差を見せつけられても改善しなかった帝国陸軍と通ずるものがある気がします。日露戦争当時の兵器で何とかなると思っていたようです。日露戦争のとき、日本は世界の最高水準の兵器を持っていました。
もともと、日本は新技術の吸収、発展させる能力が高かったはずです。それが、どうしてこのようになったのでしょうか。
そこの点を検証する必要があると考えます。
まあ、定期考査に問題集の問題をそのまま出題するような教師をなんとかしてほしいですね。こんなことをされると自然科学系の科目を多く履修していても何ら意味はないと思います。その上、その履修の少ない文系ではなおさらですね。
技術などが解らない経営者が多くなるのは今の教育の現状では仕方がないような気がします。

2004年2月27日
これも教育の問題かな
最近、また司馬遼太郎の「雑談 昭和への道」を聞いています。いろいろと考えさせてくれます。
第二回の終わりのほうで、ノモンハン事件(日本軍の敗北で終了)を指揮していた将軍の話した言葉を紹介していました。
たしか「日本の兵隊さんは強いと聞いているから何とかしてくれるだろう」ということだったと思います。前半はほぼ正確です。日本の兵隊は実際よく戦いました。でも、ソ連軍が火力等を含めた総合力で日本軍を圧倒しました。
その時、自分で指揮している配下の兵隊をこのように言っているわけですよ。
この将軍、現場を見ていないか、見ていても現状認識ができないのでは。そして、将軍になるのは陸軍大学の出身者ですね。当時、日本で一番優秀だとされているところですよ。ところが、頭の中と現実を結びつて有機的に考えるということができないということですね。
ただ単に「覚える」ということを「優秀」と見ていて「ものごとをいろいろな角度から観察などをして総合的に考えて判断を下す」という訓練をされていなかった賜物かな。
この傾向、今でも続いています。何とかしてほしいですね。
そして、このノモンハン事件の教訓はあとの戦争には生かされていません。これも現状とよく似ていたりしますね。

2004年2月25日
古い本の話です。
古い本といっても、20〜30年前の話です。
当時、イザヤ・ベンダサン(山本七平氏らしいです)の「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになったことがありました。
私は、読んでないので今日、浅見 定雄氏の「にせユダヤ人と日本人」という本と一緒に注文しました。「にせユダヤ人と日本人」のほうが後で出版され、読んだことがあります。
浅見 定雄氏はユダヤ教というのかヘブライ関係を研究されている方です。「日本人とユダヤ人」を読まれて内容に疑問をもたれて出されたようです。
この2冊を読み比べてみたいと思っています。読解力とは、論理的とは、というようなことが幾分でも判るのではと思います。
書物などを理解するというのは、前提となる「理解している知識」というものが必要になります。この前庭がないとそこからの説明が必要になるわけですね。「日本人とユダヤ人」の内容を正しいと思った人はよい本だと評価し、正しくないと思った人はインチキ本と評価したわけですね。
この2冊の本の評価は、それだけを読むのではなく関係資料も調べてみるとよいということになります。
話は変わりますが、論文を書くということは「その主題に関する事項と『関係する周辺の事項』を有機的に理解」しておく必要があると思います。
『関係する周辺の事項』というのは、結構幅広いはずだと思います。

2004年2月10日
国際化と問題点について
昨日に続き、題目のみ設定パターンで書いてみます。

現在は、交通手段や通信手段の発達により海外の情報や物資が素早く日本に入ってきたり、また、海外に出ていっています。
日本で生活していくうえで海外からの物資などは必要不可欠になってきました。また、日本からの物資を必要とするところも多くなっています。
文化的にも、日本のアニメ、ゲームなどは海外でも高い評価を得ています。海外から日本にたくさんの文化的情報も入ってきており、交流が盛んになっています。
日本一国で生活するのは不可能な状態になったといえます。
そのため、外国の事情等をよく理解して付き合う必要が出てきていますが、日本のこともよく理解しておく必要があると考えます。
そして、その違いを踏まえた行動ができるようになることであると考えます。
世界の中の日本ということを意識して主張すべきところは主張し、聴くべきところは聴くという態度を取りながら相手と対等に付き合うことができるようになることが必要である。
ところが、相変わらず鎖国のときの感覚の発言が時々あるような状態です。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。多くの日本人の意識が「おらが村」のままであるということです。
常に「お国自慢」のみに終始して「自己解剖」ができていないからです。過去の歴史の自己検証することをしないため、国際化どころか国内的にも多くの失敗を繰り返すのです。

2004年1月29日
久しぶりに司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読んでみて
新聞ネタではありません。この「昭和への道」は、日本がどうしてあの破滅的な戦争に突き進んでいったのかについて、司馬遼太郎氏が語られているわけです。
そこに見られるのは、「情報」を使えなかったというか理解できなかった日本の状況が語られているように思えました。
ノモンハン事件ですが、ソ連軍との兵器の格差を見せつけられおきながら改善することなくアメリカなどとの全面戦争に突入していくわけですね。
日露戦争でも、戦争を自己解剖することなく美化されていますね。今の官僚の姿勢と相通ずるものがあるように感じられます。
その他にもいろいろあるのですが、教育においても問題点が指摘されています。
今一度、日本の歴史に対する考え方を見なおしてみてはと思います。
詳しくは司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読んでみてください。NHKからはビデオセットが売り出されているはずです。
私は、「雑談 昭和への道」を知る以前に日露戦争の通説に疑いを持ちはじめたところからこの時代の歴史を私なりに調べるようになりました。

2004年1月5日
歴史教育について今一度考えましょう。
歴史教育の目的は何なのですか。年代と事件名と関係した人名とその概略を覚えることだけで良いのでしょうか。
高校ともなればもっといろいろな解釈を論じ合ってもよいのでは。歴史を一つの価値観だけで見る危険性を理解させれば目的の一つは達成できたことになるのでは。
ドイツの1985年のときの大統領の演説「荒野の40年」で「過去に対して眼をそらす者は未来に対しても盲目になる」というような意味の件がありました。
これは、過去の都合の悪い部分を隠したりして検証反省しない者は再び同じような失敗を繰り返すという意味ですね。
日本は現実に同じようなパターンの失敗を繰り返してきています。例を上げると「バブル期の土地投機」ですが、誰かが煽ったわけでもないのに国中熱病に取り憑かれました。あとは見てのとおりです。
第二次世界大戦のとき、日本にはヒトラーみたいなのはいません。東条英機は偶々首相になっただけです。軍部は熱病に取り憑かれはように戦争に突き進んでいきましたね。どこが違うのでしょうか。
指導者がいないのに暴走するという点は同じかなと思います。
だから、歴史教育は国を潰さないようにするために方法等を考え直してください。

2004年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年ほぼ一年間続けてきました「諸々の言いたいこと」をシツコク今年も続けたいと思います。ストレス発散にももってこいですので。
早速、元旦早々に話題を提供してくれましたね。小泉首相の靖国神社参拝。
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」の中の一つに「自己解剖」についての話がありました。自己のよくないところを第3者に洗い出して貰って検証することですね。日本はこれができていない。というかできない。
だから、表面的には謝罪をする。でも、謝罪するばかりで反省をしていない。歴史を鏡として教訓に学び、悪い点を直す行動が伴っていない(考え方ですね)から関係各国でがたがた問題が提起されてくるのですよ。
関係諸国は日本の第二次世界大戦への反省を上辺だけとしか見ていないのでは。本心から反省していると見てくれていたら天皇陛下が靖国神社に行かれてもなにも言わないのではと思います。
どうして昭和天皇に死を覚悟させるような戦争をしてしまったのか。どうして自滅に進むような戦争の泥沼にはまっていったのか。嵌められたという人もいますが、では、「なぜ、簡単にのってしまったのか」などについて、まじめに国会で議論したことはないでしょう。この真面目に反省するということによる一番の受益者は日本人であるのですがね。

2003年12月23日
天皇陛下のお言葉
本日は、天皇陛下の誕生日ですね。新聞に陛下のお言葉がでていました。
一部をそのまま書かさせていただきます。
「私どもは皆でこのような過去の歴史を十分に理解し、世界の平和と人々の安寧のために努めていかなければならないと思います」と述べられてます。
これは歴史を上辺だけで都合の良いように理解するのではなく、日本にとって都合の悪い部分もしっかり噛み締めてほしいというお気持ちかなと読まさせていただきました。
二度とあのような戦争を繰り返してほしくないという陛下のお気持ちを大切にしたいです。

2003年11月4日
日経の私の履歴書を読んで思ったこと
今月は、フィリピンの元大統領のフィデル・V・ラモス氏です。
また、昨日の記述のです。フィリピンは、1900年代初頭、フィリピンとアメリカの関係をアメリカの植民地支配と書いています。
くどいようんですが、ラモス氏は、アメリカの陸軍士官学校に留学している方ですね。
ことこのようなことに関しての支配した方と侵略された方の感じ方ですね。それが現れていると思います。このことに対してアメリカはどうしてるのでしょうか。誰か情報を教えてください。
そして、1941年12月のことですが、今度は「日本侵略軍」と書いています。これが現地の人々の感覚でしょう。それであとの状況次第で友好的にできると思うのですが、アメリカ人より日本人の方が現地の人々の感情を逆撫でするのが上手ですね。
なぜでしょうか。それは、歴史を「自身の教訓」と受け止めていないからではないでしょうか。その結果の一つが太平洋戦争であったのでは思います。
それと「村意識」ですね。偏狭な縄張り意識、偏狭な共同体意識が俗に言うエリート層にも露骨に見られるのも日本独特であったりするのではと思います。

2003年11月3日
日経の私の履歴書を読んで思ったこと
今月は、フィリピンの元大統領のフィデル・V・ラモス氏です。
昨日の記述の中に、フィリピンは、1898年にスペインに対して独立を宣言しています。しかし、それと前後してアメリカが新たな支配者として現れ、我々(フィリピンの人々)は「アメリカ侵略軍」と戦ったとあります。
ラモス氏は、アメリカの陸軍士官学校に留学している方ですね。その方をしても「侵略者」は「侵略者」なのですね。これと同じような見方が「日本とアジア諸国」の間にあるのでは。日本がどう言おうが、アジアの国々の人々の日本に対する思いの根底にはこれと同じような感情があるというのは否定できないと思います。
前にも書きましたが、過去の歴史に対する反省は結局日本のためになるのですけどね。だれが、明治憲法を改定しなければならないような事態を作り、アジアの諸国民からは侵略者と呼ばれるようなことをしたのでしょうか。そして、あの戦争に突入していったときと同じような光景が日本国内でよく見られます。その結果が今の閉塞感ですね。
戦争こそしていませんが、同じような失敗というか無駄なこというかそういうようなことをよくしていますね。教育でも相対評価にこだわり、絶対評価にしてもまず基礎的な学力のところから評価手法を確立する必要があるのに興味関心とかなんとかを同時にするから混乱していますね。
今、大学で絶対評価的手法を取り入れているところが増えつつありますが、その手法というか概念が広まるのにはまだまだ時間がかかるでしょう。
センター試験ですが、資格試験的利用に限るようにしてください。高校のセンター対策は「当てもの」対策みたいになっています。各科目の論述対策をしているところの大学の受験生のほうがセンターの得点が高いのはなぜですか。
教育に対する、評価に対する反省というか事例研究とその解釈ができていないためではと思います。一部の天才を除いて人間の能力に分野のバラツキ、成長時期のバラツキはあっても大差はないはずです。その点を考慮した教育的価値観の確立も望まれます。

2003年10月30日
久しぶりに歴史教育について思うこと
まあ、内容は日記に時々登場させていますけど、今日はこの件についてだけに絞りたいと思います。
以前のドイツの大統領が戦後40年の演説{荒野の40年」でしたか。その中で「過去に眼を閉ざす者は未来に対して盲目になる」という意味合いのことを言われています。
日本の歴史教育はこの点から見ると全くなっていないですね。明治から昭和にかけてアジア諸国は混乱状態などにあったため、日本軍は対した反撃も受けずにやりたい放題をしていたのではないでしょうか。
その中には多くの教訓(どちらかというと失敗例)が含まれています。ところが、小中高校では、事実?の羅列ですね。
大学に行かない生徒も多いわけですから「過去の事象」から問題点や良い点を見つけ出し討論しそれを未来につなげることための学習というのが必要だと思います。大学ではもっと深い授業をする必要があるわけです。
その時、論理のすり替えやごまかしをしないで日本に取って都合の悪いこともありのまま教えるというのが必要ではないでしょうか。そこから日本の未来を切り開くために必要な事柄が見えてくるので思います。
最近、このすり替えやごまかしがひどくなってきているのではと思います。
大日本帝国憲法を潰すことになる戦争にどうして突入していったのかといいようなことですね。
今の状況を見ていると、過去の失敗例を無視しているとしか思えないのです。もう一度、日本を潰す気ですか。極端なことをいうと昭和初期、日本共産党のいうように「戦争」をしていなかったら日本の憲法は今も「大日本帝国憲法」であったと思います。

2003年10月1日
久しぶりに歴史教育について思うこと
昨日もかな。歴史教育としましたが、教育全般についての思いだったりして。
歴史の扱いですね。例えば、織田信長は、やたらと気が短いように捉えられていますね。でも、美濃攻めに10年ほど。石山本願寺とも約10年ですね。三木城の攻撃も長かったのでは。
それと奇襲ばかりが強調されているような面がありますね。桶狭間でも自棄糞ではないと津本陽氏の本にありました。桶狭間以降の戦いぶりからみてそうだと思います。一般的には「自棄糞」説が強いようですね。
鎌倉時代の蒙古の来襲での台風、あれも鎌倉幕府と九州武士が1回目の来襲の経験から土塁を作ったり、戦法を変えたので上陸できず夏の間3ヶ月ほど蒙古は海の上で留まる羽目になったということです。夏ですよ。台風が来て当たり前ですね。ところが、帝国陸軍は「神風」ですわ。幕府などの対応には目を向けていません。それは「ノモンハン事件」のときの処理などにも現れています。
歴史を教訓として未来を考えるという視点が欠けているのですね。そして、今の入試、その対策としての歴史教育はこの視点にはなっていないのでは。単に出題に対応するだけ。大学での教育も生ぬるいのでは。
だから、中国の抗日戦争記念館などを単純に反日施設というのがいますが、あの施設を造るようにしたの日本軍の中国の行状でしょ。日本軍がなぜ、ということを日本人が考え、そこから未来を見据えるためには、日本のためにも見学する価値はあるのではと思います。過去の都合の悪い部分から目を背ける者は未来も見えなくなります。だから、戦争への道の失敗と同じような失敗「メダカ民族的失敗(誰というリーダーがいないのに誰もが同じ行動をなにも考えずに取ってしまうということ」を戦後も繰り返しているではないですか。
より良い日本の未来をつくるために歴史の都合の悪い部分に真剣に真剣に向き合う必要があると思います。
あの戦争がなけれな、日本の憲法はいまも「大日本帝国憲法」のままのような気がします。
ですから、現憲法は押しツケられたのではなく、自らの行動のツケであると思います。そこの反省がないと「近いうちにまた」という危険性がありますよ。

2003年9月30日
本日の日経、私の履歴書「井植敏」氏を読んで感じたこと
人間、未来に向かって自己を向上させ目標というか希望を実現させるように努力することが大事であるというような感じを受けました。アイアコッカ氏とは電動自転車でシルクロードを走る約束をしているそうです。
そこで、感じたのは以前の分にもありましたが「失敗」というか「不祥事」というかそのようなことが起こったとき、その原因等を見極め、反省し将来につなげる対策を考えることが大事であるという意味合いが込められているのではないでしょうか。
日本人の下手な過去の出来事や今の失敗に対する反省、例えば、日中戦争の出来事に対していろいろ中国とありましたね。本当に戦争について検証した場合の一番の受益者は日本だと思うのですが。中国に多大な損害を与えただけでなく、残留孤児などに見られるように日本人にも多くの被害をもたらしていますね。
その反省というか検証というかしていないので日中戦争に突入していったときの同じようなパターン、バブル期の土地投機、なぜ、あそこまで土地に集中したのでしょうか。あのときは「中国進出」が、バブル期は「土地」は信仰対象みたいになったのかな。日華事変は「陸軍」、上海事変は「海軍」だったかな。
どこかに空港ができると隣の県でもつくる。同じような感覚ですね。それでどちら空港も赤字。
あの時の国民性を検証して同じような失敗をしないようにするという反省ですね。してませんね。
大日本帝国憲法を潰したのは戦争に負けたからですね。少し考えたら負ける可能性の高い戦争に突入し、陸軍と海軍のなわばり争いの合間に戦争していたとも言われてますね。今の各官庁もなわばり争いをしていますね。国が滅びそうでも村を優先する感覚、何とかしてほしいですね。
そのために「歴史」に真面目に向き合うというのが必要ではないでしょうか。日本の未来のために。

2003年9月7日
日経ビジネス2003年9月8日号の特集「さらば本業」から感じたこと
この逆は、「本業にこだわる」ですね。どちらにしろ、「世界で一つ。Only One」であれば、競争にさらされることがまずないのですが、そうそうできるものではありませんね。
そうすると、常に今を点検し、素早く変身する力が必要になるわけですね。このとき、役に立つのが過去の事柄を調べ、それの良いところ、悪いところを見抜く力ではと思います。
「過去に対して目を閉ざす者は未来に対しても盲目になる」これは1985年に西ドイツの大統領の演説の一節です。同じことが至る所で言えるのではないかと思います。
今の教育ではその力を付けられるようなことをしているところは少ないのではないかと思います。記憶だけの勉強は人間を駄目にするのでは、ものごとを深く考察するような勉強の方が結局はよく覚えていますよ。

2003年9月1日
定住在日外国人の年金などについて
最近の裁判で定住在日外国人の障害年金受給についての判決がありましたね。それを聞いて不思議に思ったのは、定住外国人の方は、日本人以上にしっかり税金を徴収されているのですがね。それで、福祉関係も長いこと除外されていましたね。ひょっとしたら今もかな?
国政への参加については、幅広く認めている国からほとんど認めていない国までいろいろあるようです。でも、社会福祉に関しては、特にヨーロッパでは外国人に対してももっと充実してますね。日本は、税金だけがっぽり取って長い間除外していた。相当なものだと思います。日本人と同じように税金を徴収しているのなら同じ福祉などの権利を与えるべきではと思います。その昔、今のダイエーの王監督も税金対策が大変だったと聞いたことがあります。
日本に今いる在日外国人についてですが、強制連行で日本に連れてこられた人の子孫が少ない理由は、強制連行された人の多くが、死んでしまっているという現実があるのです。このあたりの点については各自、まともな資料で調べてみてください。都合の悪いことに蓋をするようなことを続けていたため、負け戦争に突入して大日本帝国憲法を変える羽目に自ら追い込んでいったのでしょ。あの戦争をしていなければ、今でも大日本帝国憲法のままだったと思います。
都合の悪いことから目をそらし続けると今度は、天皇制も危なくなるかもしれません。日本を潰すのには直接攻撃しなくてもできますからね。この食糧自給率の低さ、ほかの物資も自給率低いですね。その上、在庫も少ない。だから、アジアで、太平洋で、世界のなかで生きていくためには、あの戦争までのことについて、都合の悪い部分から目をそらすことなく検証し未来につなげていく必要があると思います。

2003年8月15日
終戦記念日かな?敗戦記念日では。
これも誤魔化しかな。確かに「負け」は認めたくない。でも、現実を見る必要があると思います。
ノモンハン事件でも帝国陸軍は、現実を直視せず口止めで誤魔化し装備等を近代化することもしていませんね。
「どこが良くなかったのか。」とかの原因を直視し、そこから将来になすべきことを考えるのが政治家の役目ではと思います。
「過去を見ないものは、未来に対して盲目になる」これはドイツの大統領が1985年に行なった演説の中にあります。
日本は過去の歴史の暗い(都合の悪い)部分から目を逸らし過ぎではないでしょうか。

2003年8月12日
一昨日の日経の社会面(34頁)の「語る現代史」ブラジル日系人を読んで
見出しに「ルーツ求めて初期移民を映画に───女性監督、今の日本もどかしく」というのと「黄金郷は幻、過酷な生活」という見出しがありました。
日本の移民政策、その後の移民に対する取り扱い、棄民政策そのものという感じがするのですが。
だから、こちらで移民された方々は自力で今の社会地位を作り上げていったのです。
情報開示ですね。これが昔からずさんだった。この移民の例もそうです。記述からそれが読み取れますね。どうして、隠すのでしょうか。戦争前および戦争中の大本営もホント、隠蔽と誤魔化しですね。そして現実も判らなくなってしまった。
昨日に日記の内容と同じようになってしまいましたね。

2003年8月11日
昨日の日経のSanday Nikkei の「内外時評」求められる歴史的洞察力を読んで
「国の進路を説明できるか」という見出しがありました。
書き出しは、映画の「スパイ・ゾルゲ」を見てということから始めています。ゾルゲに情報を与えた尾崎秀実の場合についてはどうなのかとかいうことが書いてありました。「尾崎の見たのは、見通しも決断もなく各国の最後尾からずるずると戦争に突っ込んでいく惨めな祖国日本の姿である」とありました。
当時の日本の日露戦争以来の誤魔化しの体質、情報を活用できない体質、歴史的事象を洞察できない体質がそのまま出ていますね。
現代の日本はどうか。変わっていないですね。同じ失敗、または失敗を隠蔽するためにおこなったさらなる失敗、このような事例が多数見られます。このようなことを起こらないようにするには、情報操作をしないこと。
今、イギリスで大変なことが起こっていますね。イラク戦争に突入することを決めた情報についてです。ただ、イギリスの国会、凄いですね。時の政権であろうと「間違い」があれば、徹底的に追求していますね。
その点、日本は「道路公団」の財務諸表や、その他諸々のことで「誤魔化し」や「隠蔽」などがよく起こっていますね。あるいは、間違いを認めないとか情報の歪曲がよくされていますね。
アメリカは、次の大統領選挙では今度は民主党かな。政権が入れ替わると、政府の高官も入れ替わりますね。日本は、変わらないですね。下っ端には関係させずに高官は政権が変われば入れ替えてみるのもいかがなものでしょうか。
今の状態では、日本は沈んだままですね。

2003年6月10日
ニュースより
多くの新聞、ニュースで報道された昭和天皇の草稿の件です。その内容は、自らの戦争責任を認め、国民に謝罪しようとした詔書の草稿です。
このたびの戦争を含めて、戦争の責任は時の政府が取るべきであると思います。憲法で見かけ上主権者になっていますが、実際、行政上などは国務大臣などの責任のもとで行われました。
責任がない天皇が謝罪して、責任あるものが謝罪しない。おかしいのではと思います。天皇をこのような状況に追い込んだことに対する反省をしてください。

2003年6月7日
ニュースより
日韓首脳会談のあとの記者会見で、韓国の大統領の発言の中で、過去の歴史についてありましたね。将来的には単なる記録となるようにということだったと思うのですが、これは、先の中国の主席の「歴史を鏡として」と同じような意味合いで使っているのかなと思いました。東アジアで、歴史を真面に認識できない国が2つほどあります。どちらも違う形ですが国の存在が危うくなりかけていますね。そして、どちらもそのことに気がついていない官僚が多数いますね。帝国陸軍もあの戦争のとき、日本が潰れるなどとは思わずに泥沼には行っていきましたね。このことなのですよ。自滅していっているのにその問題点について考えていない。
どうなることやら。

2003年5月20日
ニュースより
大分よくなりましたが体調不良です。でも一言。
小泉首相、自衛隊を「軍隊」と呼びたいのですね。そうなら、太平洋戦争までの出来事を反省させなさい。反省しないから、信用が無いのですよ。日本を自滅に追い込んだ戦争を反省して2度と繰り返さない。近隣諸国に迷惑をかけない。その点の反省が無いから、いつまでたっても同じような失敗を繰り返しているのですよ。この国は。

2003年5月17日
ニュースより
自民党は教育問題を今後の論戦の中心に持ってくるようですね。有事関連法案の成立に見通しがつきましたからね。
教育基本法とかをいじっても日本の教育問題は解決しませんよ。覚えることが勉強をいう長年の思いこみはなかなか解消されませんね。歴史認識でも真面であれば、どうしてあのような戦争に脇目も振らずに突入していったのか。反省しているはずですからね。もう少しで天皇制を失いかけた戦争にです。戦争をしていなければ、日本は「大日本帝国憲法」のままで行けたと思える国ですから。押しつけられたのでは無く、自らの行動の結果として今の憲法があるわけです。そのあたりを認識できるような教育にしないと今度は天皇制が・・・。
日本を潰さないためによく考えてください。

2003年5月4日
憲法について
大日本帝国憲法を改正せざる状況に追い込まれる原因となった戦争を始めたのはどのようなことからだったのか。司馬遼太郎の講演集「雑談 昭和への道」にもありましたように当時の指導層は何も考えてなくて、ただ「戦争」と思っていただけでは。皆が「戦争」というから。誰が言い出したのですか。判らないですね。バブル期の「土地投機」と同じですね。恐い体質が残ったままですね。大事な天皇制を守るといいながら、実際は昭和の憲法に変えなければならないことを日本がしたのですよ。この点を理解していないと、また、同じ道に進んで行って今度は「天皇制廃止」などになったら目も当てられませんね。そうならないためにどうしなければならないのかよく考えてください。もし、そうなるようなときは、国民に多大が犠牲がでますよ。あの時、アジアの人々も日本人を多大な被害を被り、日本の国家体制が名目上変わりました。次は、それではすまないと思います。憲法を変える前にするべきことがあるはずです。「日本にとって都合の悪い過去に対して目を閉ざすものは未来に対しても盲目になる。」戦後40年のときのドイツの大統領の演説から思った言葉です。この言葉の意味を噛み締めてほしいと思います。

2003年4月4日
ニュースより思うこと
本日の朝のNHKのニュースで、昨日イラクの国営放送の映像で撃墜したアメリカ軍機の残骸にロシア語の文字が読み取れたとありました。
アメリカは何時からロシアのミグとかスホーイを輸入し始めたのでしょうか。
そこは置いといて、フセイン政権が倒れた場合、その後でフセインへの協力者はどうなるのでしょうか。
勝ってしまえばアメリカは、国際法に則ってすると思いますが、フセインに弾圧されていた人々がどうするかですね。その点を政権側の人間は恐れているのではと思います。
発展途上国では、政権が交代した直後、前政権関係者が殺害されるということはよくありますからね。
化学で有名なラボアジェは、ルイ王朝の徴税官(下っ端)をしていたというだけでギロチンされたそうです。ところが、日本が連合国に降伏した後、この手のことは起こりませんでしたね。
それは、本多勝一のいう「medaka民族」としての体質が存分に発揮された為ではと思います。
昭和16年に総理大臣に誰がなってもアメリカと開戦していたと思います。あの時は、政府上層部のほとんどが開戦論者だと思います。
しかし、ドイツのヒトラーみたいな人物はいません。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのと同様の状態です。何も考えていないのです。
そして、非戦が非常に言いにくい状態だったのでは思います。リーダーの存在がないのに等しい状態です。medakaの群れと同じなのです。この何も考えない状態は今も続いています。

2003年4月3日
ニュースより思うこと
本日のNHKのニュースでも、イラクの国営放送の映像が放送されていました。それを見て、昭和20年までのニュース映画を見ているような感じがしたのは私だけでしょうか。
話は古くなりますが、日本の特攻隊ですね。特攻出撃のとき、天皇陛下からの賜り物であるとしてお菓子が配られたそうです。その中には「ヒロポン」が混入されていたという話を聞いたことがあります。素面では突っ込めません。それで・・・。あの時の日本も言論統制厳しかったです。

2003年3月6日
本日のNHKのニュースで、日本国内の「外国人学校」の大学受験資格について、イギリスなどの評価機関の認定を受けているところだけ認めるというものでした。当然、日本の高校よりしっかり勉強させている中国や韓国などの学校関係者からの落胆の声が出ていました。
それなら、日本の高校も、イギリスなどの認定機関の認定を受けさせてみてください。どれだけ、認定が受けられるか見物です。一発で認定を受けれるところも多いでしょうが、これで高校?、一応高校も多いですからね。文部科学省は、自国でも判断しなさいよ。脱亜入欧では、日本は成り立たなくなってきてますよ。

2003年2月23日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」がまた始まりました。今回は「特区攻防」です。
「古いシステムに執着し、新時代への一歩を踏み出せない日本病が、再生の道を狭めている」とあります。この体質、別に官僚だけの問題ではないと思います。多くのところで見られます。これは、司馬遼太郎が「雑談 昭和への道」の中の「自己解剖の勇気」のところで話されていますが、国家として自分の欠点、失敗を自分自身で検証する勇気がないということです。個人レベルでもこの勇気のある人は少ないのではと思います。この勇気がないから、古いシステム、考え方にしがみつくのだと思います。同じ失敗を繰り返すことにもなるのです。

ココより前は2003年分、下は2002年分

2002年12月9日
昨日の日記書いていて思い出したのですが、以前、中国の首相が「歴史を鏡にして・・・」と言われましたね。ドイツの前の大統領も同じことを言われていますね。過去を自己検証出来ない者は、未来も見えなくなるとか。
今の日本に必要なのは、多くの分野で過去の検証をし、それをより良い未来に結びつけていく努力ではないでしょうか。過去の失敗を検証しよう。より良い未来のために。
何が失敗なのか分からない人が多いかも。

本日、朝のTVで石原慎太郎が「日韓併合」について何かいってましたけど、あちらの人は、日本の脅迫の元だとかなんとかいっているようですね。この食い違い、どこから来るのでしょうか。歴史的に見て同じ失敗を繰り返す日本。自己を点検できない事例が日本国内でぼろぼろ出てきていますが。

2002年08月15日 木曜日

「終戦の日」が来ました。私なりに調べた範囲によると、日露戦争での戦後処理(日本軍内部)のあり方がデタラメであったために軍部内において歯止めが効かなくなり、最後には「大東亜戦争」まで「ずるずると」突き進んでいったと思います。日本の未来を考えるうえで大切な時代(調べれば調べるほど嫌になる時代、体に悪い時代)なのですが、表面的にしか取り上げられてません。取り上げようとすと「ひょっとして国内の問題でできない。」日本的ですね。これでは、あとの世代が可哀想です。大日本帝国憲法を改正させられるような戦争に突入したのは誰ですか。日本人の国民性を考えると戦争をしていなければ、いまも帝国憲法のままだと思いますがね。