煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)

主に教育関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。ここは2004年4月以降です。
過去分 2003年4月から2004年3月分まで 2003年3月分まで

2004年12月31日
大晦日
今年は雪のところが多くなりましたね。漸く、冬ですね。
今年、アイルランドでは、不特定多数の集まるところでは「禁煙」になりましたね。居酒屋もです。
本来、飲食店は「禁煙」だと思います。タバコの煙は味味覚および臭覚を麻痺させますからね。
よく、禁煙すると太るというのは「味がわかるようになって食べ物がおいしく食べれる」からです。当然、香りもよく判るようになります。
日本でも「禁煙」のところが広まってきていますが、役所(国および都道府県などを除く)でまだのところが残っているようですね。
もっとも、たばこの害を教えていて吸っている訳のわからない人もいますが。
これは、今一度「知行一致」の意味を噛みしめて欲しいですね。
大晦日なので、タバコのことで今年最後にしたいと思います。

2004年12月22日
「直下型地震 予知できない」を「知っている」が「半数どまり」が意味するもの
この「  」内は本日の日経一面の記事の見出しです。
新潟で地震があり、大きな被害が出ましたね。そして、「直下型」の怖さについて現実に被害が出て、その体験も語られているにも関わらずにです。
「学習」が行動へと変化しない一例になるのでは。日本の教育のよくない点ですね。「覚える」ことはしても「理解してよりよい行動」にするということがあまり求められていないですね。口ではこのようなことを言っているのですが、実態は暗記力試験で且つ相対的にみた評価に終始しているからかな。
表面的にしか物事を見ない人が多いような気もします。教育の質が浅いからかな。それとも国民性?国民性なら教育がしっかりすれば少しはマシになるのでは。
物事に対する興味が非常に早い段階から失われていってしまっていることも大きな原因でしょう。
それと学者というのか専門家がもっとハッキリと限界と可能性を普通の人々にわかるように説明もしていないですね。説明をしてもマスコミが取り上げなかったりするのかな。
大事な情報が抜け落ちているのも気になります。

2004年12月18日
またまた、日本の子供の学力低下について
本日の日経教育面がこのことについてでした。
『勉強「嫌い」「楽しくない」増加』という大見出しが。
勉強とは本来面白く楽しいものであるのでが、どうしてこのような感覚になっていったかを考える必要がありますね。「ゆとり」教育が第一の犯人では内と思います。
文部科学省のゆとり教育がそれに拍車をかけただけだと思います。
マークカードに頼る入試、定期考査(こちらは択一式、多くのところで問題集そのまま出題らしい)。それで勉強を覚えることだけと思ってしまった人々。この意識が子供に蔓延しているようです。
同じページの「まなび再考」によると、高校生で家庭学習するかどうかで、俗にいう上位層の勉強をする部分とそれ以外の勉強しない部分に大きく分かれていると言うことです。一般高校で家庭学習をしている生徒の割合は低いそうです。
じっくり文を読んで考えさせるということをしなくなってますね。
総合学習ですが、指導が良いと効果が上がるのですが、多くの教師は指導しきれないでしょうね。大学での卒論・ゼミが?のところが多いように思います。指導された経験が必要だと思います。
この例でも「教える側」が勉強をどう思っているのかということが学力形成に大きく関わっていると考えます。そのほかの要素も大きく関係している場合もありますが。

2004年12月16日
理数科目の学力低下
昨日の日経にあったのですが、低下の理由として「授業項目」や「時間数」の問題があがっていたと思います。
それより、大きな問題があると思います。教える側の「理数」への考え方ですね。基本的に「理科、数学、算数」が好きなのか。そして、基本的なことを理解しているのか。この「理解」には、単に覚えているだけとか入りません。
学校教員の養成方法の問題も浮かび上がると思います。理数ができなくても、いや「勉強」しなくても小学校教員になれるということですね。いくつかの科目の単位は取る必要があるのですが、それ程度で好きになれるのかな。
小学校も教科担任とクラス担任の併用型にする必要があるのでは。今でも一部教科は「専任」がやってますけどね。
今は昔と違って自然と親しんだり、ソロバンなどに取り組む機会も減っていますので、興味を持たせ、持続的に取り組むようになるような動機付けのできる力量の求められて生きているのでは。
そのためには、教材等を用意する時間も取れる体制も必要ですね。

2004年12月12日
「読解力」急低下
本日の日経社説の一つです。最近、言われ出していますが、相当前から指摘されていた人もいます。
大学入試でも、センター試験の得点だけに近いところから足きりにはつかうものの個別試験の得点のみのところまでありますね。
「読解力」の両極端にバラツキ始めているという指摘もあります。
それで、今の教員養成課程のある大学(国立ですけど)は、センター試験だけとか、それに近いところが多いですね。そして、今の勉強の風潮は以前に増して「点取り」のみに傾いているところが多くなっているのでは。
旧帝国大などの入試問題は、普通の個別試験でも「読解力」+「論述力」の必要な問題が多いのですが、俗に言う「入りやすい」ところほど「択一式」が多くなっています。小論文を課して「読解力」や「論述力」を見ようとしているところが多いのでが、如何せん普通に通用する「読解力」のはずが、受験生や教師は「小論文対策」の意識から脱却できていません。
結局、学力として必要なのはなにかということが判っていないためでは。「覚える」ということだけだと、人間はコンピューターに及びません。「知能コンピューター」は、まだ開発段階だと思います。そして、完成できないのでは。人間の能力をどのように見るかということが大きく「読解力」「論述力」などに関わってくると考えています。

2004年12月11日
法科大学院の記事から思うこと
本日の日経教育面は「法科大学院」についてでした。そのなかで、司法試験の合格数についてもあり、法務省などは3000人ぐらいで押さえようとしているとのようです。
そして全体の合格率が低い場合、依然と同様に「予備校」もしくは「予備校的」が蔓延り、本来の理念とはかけ離れるのではないかということがありました。
質については、大学院での授業レベルを保たせ、資格試験的な方法で確保するべきで、人数制限による方法は良くないですね。今の大学入試等の良くない点のこの資格試験的レベル確保がされていないからでは。
競争のみになるような制度は、兎に角「合格」だけを求めて「質」は二の次になります。大学や大学院の卒業、終了のレベルを維持させる方法ですね。その方が良いと思います。
弁護士の数については、東京の70分の1程度の地域があるとのことですので、もっと、多くしても良いと思います。身近に良い弁護士が開業しているというのは心強いですからね。
日本は、もっといろいろな分野で規制を緩和するべきです。そして、不法行為に対する罰則を強化するようにするべきです。例えば、健康保険の診療報酬の不正請求など。官僚の政策的無駄遣い。
イタリアでは、公共事業を削って子育てにその予算を回しているところがあります。理由は、「道を造って誰が利用するのか。」ということです。

2004年12月8日
OECDが発表した学力調査から思うこと
7日の発表によると日本の学力は急落したそうですね。大学生の学力については以前から良くない定評がありまた。
日経の本日の「春秋」によると、文部官僚はこの10年間、「学力低下という事実を、正式には認めてこなかった。」とあります。「ゆとり教育」とか、教材削減とかやってきた成果ですからね。
大学も共通一次、センター試験、多くの大学でのマークシート利用の入試ですね。この2つが相互に絡み合ってきたのでは。
そして、「ゆとり教育」となっても、勉強は「点取り」としか思っていないのが多いですね。
ただ、官僚はそのような傾向を正すべき立場でしょ。ところが、余計拍車をかけてきたのでは。「一度決めたことは変えない。如何に状況が変わろうとも。」という官僚体質が良く出ています。
農林水産省も。その他多くの官庁でね。
帝国陸軍なども、その決めたことを続けるために「実態のない空虚な言葉」を多用しましたね。それと、同じなのでは。「国民のことは考えなくて、自らの決めたことをまもる」を最優先するという体質ですね。その結果、現状が見えなくなり、さらに悪い方へと悪循環に陥っているように思います。
サマワの治安状況についても、小泉総理は「安全」と言っているから・・・とか言っていたような気がします。
ブッシュも似てるような気がしないでもありません。

2004年11月29日
勉強は何時するものか。
まあ、一日のうちの時間というのではなく、生涯においてです。私は、基本的には勉強というか習い事というか生涯続けるものだと思っています。その方が頭を老化させずに活躍させることができると思っているからです。
でも、その基礎となる部分は若いうちに高めておく方がよいですね。未だに不十分なところは困っています。
今月の日経「私の履歴書」の武田國男氏の本日の分で「・・・ボキャ貧できっちりした意見一つ言えない自分が心底情けない。それもこれも若いときに勉強してこなかった報いというものだろう。・・・」と嘆かれています。武田薬品工業の社長として、国際的に通用する会社にまで育てられた方がです。
今の教育はいかがなものでしょうか。受験受験を意識するあまり、大学に入学する前から勉強への意欲を殺いではいませんか。上手に意欲を育てているところもあります。しかし、多くは単なる点取りに終始していませんか。
また、大学でも、非常に上手に学生を育てているところのあるようですが、「惰性」のところも多いのでは。大学を卒業してからも自主的に勉強というか自己向上に取り組み続けるような教育ですね。できているところは少ないかも。

2004年11月27日
教育の目的
私は、「人生をよりよく過ごせるため」にが目的だと思います。タダ単に目先のことを達成すのではなく、長い人生をよりよくにということです。
この「よりよく」とはどのようなことでしょうか。例えば、進学に於いて次の上級学校に「入学」することだけを目的とするのは、本来の目的から大きくはずれていると思います。将来、立派な人格者になることが出来、どのように「生きる」ということを実現できるようにだったり、自分のやりたい分野で一流になれるようにとかでは。教育はある意味で目的達成のための手段だと思っています。
ところが、「手段」が「目的」になっているような気がします。そして、「覚える」ということだけに固執させて「勉強」をつまらなくさせていると思います。また、教師の単なる思いこみで児童生徒を指導している例を時々見かけます。児童生徒はそれによる被害に気が付いていないところが哀れです。
学校スポーツなどでも「勝利」を目的にしているようなところが結構多いような気がします。最近は「故障」に対する意識が高くなってきているの以前よりマシにはなっているかも。
長い人生をよりよく暮らせるように「基礎力」をうまく身につけさせることか。「自分で疑問点を見つけ出すことができ、その疑問点について調べ考えて対策ができるようになる。」というが最低限必要な基礎力だと思います。

2004年11月20日
「学力謀れぬ一斉テスト」努力より家庭環境が左右
これは、本日の日経教育面の「まなび再考」の見出しです。
一斉テストとは、文部科学省が実施しようとしている「全国一斉学力テスト」です。
テストの中身が問題なのです。今、日本でおこなわれている「テスト」は知識を問うことが主体になっています。それを基礎に思考力を見るのも少しあるようですが。
そうすると、学習時間の多寡が関係していきます。学習時間を多く取れる家庭とは。そして、子供が学習しようという気を起こす家庭環境を作り出せるとこは?
この二つを満たすのは、親の収入が多くて高学歴の場合が多いですね。
生徒個人の能力以前の問題があります。
そして、この手のテストで順位が悪かった子供の諦めがその格差に拍車をかけていると思います。
価値観の多様化で「評価の多様化」を。評価基準が一つだけでは、能力を見いだせない子が沢山でます。
特に「相対評価」は止めて欲しいです。文部科学省が「絶対評価」としているのに相対評価に固執しているところがまだまだ多くあるようです。

2004年11月13日
教育に求めるもの
今、NHKで「学校が変わる」を放送しています。普通、一人の教師が一クラスを教えています。そこに保護者やや地域の方が参加して教えると言うこと始まっている学校が出てきました。
これは、周りとは無関係みたいな学校よりよりよい学校になると思います。本来、人付き合いの基本は「家庭」のはずですね。それが「学校」に求められている現状がある。今までと違いタイプの授業も地域の方の参加で始まっています。
新しいタイプの授業も大きな意味をもっていると思います。
ところで、日本は「覚える」ということを、教育に求めていますね。「知識欲」とかいっても「覚える」ということに価値観をおいています。これを打破しない限り基本的な改革はできないと思います。
私は、教育とは「自らの手で問題点などを発見し、自ら調べ、解決策などを考え出せる」のようなところに価値があると思っています。知識注入型ではPCより遙かに人間は劣ります。
人間たる価値は、「好奇心を持って物事に取り組み創造的なことを成し遂げる」ことができるところにあると思います。今の日本の教育では、多くの子供にとって「不適切」な状況になっています。
教育に対する価値観も変える必要があると考えます。

2004年10月30日
勉強・生活「やり直し」支援
これは、本日の日経教育面の教育の見出しです。
都立高「エンカレッジスクール」の挑戦 ということで校長に寄稿してもらっています。
「エンカレッジ」とは勇気づける、励ます、力づけるという意味だそうです。
中学時代に勉強面・生活面で積極的になれずに低迷したが、もう一度高校でやり直したいと考える生徒を受け入れ、支えていくこと。そして、やる気を育て、生き方を考えさせ、成就感・達成感を実感させることで、中途退学者やフリーターを減らすことが目的だそうです。
その内容は、日経を読んでください。
存在感というか自己と他者との関わりの中で認められる体験を持たせるというのが重要なようですね。それと、成功体験も積ませること。
でもこの前に「変なプライド」「皆と同じ」などにこだわる気持ちを捨てさせる必要があるのですが、上手にされているようですね。
すべてに「一斉授業」や「相対評価」をよしとする考え方を捨て去る必要があると思います。この高校の教職員の方々はこれが実践できているのですね。だから、生徒がついてくるのだと思います。
人間、いろいろな成長過程があります。全員に同一歩調を求める方が異常です。少々、年数などがかかってもじっくりと自己の存在感を持たせてやれる教育というのが必要なのではと思います。

2004年10月26日
大学激動 第2部「迫るバブル崩壊 B」
今回は、大学の質の話です。ある私立大学がテンプル大学日本校に助けを求めたということから話を恥始めています。
文部科学省が漸く日本校を「各種学校」扱いから「大学」なみの扱いに変更した。アメリカの大学は実質的な競争が激しく大学の質を保たないと脱落するようです。
日本は「護送船団方式」の名残で保護されていたみたいですからね。
さらに「デジタルハリウッド大学」のような大学が特区につくられてきていますね。
既存の大学の存在意義が問われつつあります。
企業の採用活動が大学卒なら持つべき最低限の力とその個人の培ってきた能力、魅力をよく見極めるようになって欲しいですね。すでに実践しているところも出てきていると思っています。
そうすると、大学の人材育成力が大学の評価の大きな対象になると思います。もともと優秀な学生が沢山入学するところでなく、大学の力と学生の共同作業で人材を育成しているところを高く評価して欲しいですね。

2004年10月25日
大学生が以前より勉強するようになった?
一昨日の日経の教育面にこの話が出ていました。
気になるのは、中学校や高校の延長線上のような勉強態度があるみたいなのです。
それでも、勉強をしないより余程いいですけどね。
今の小中高の教育は、まあ受け身てきですね。考査問題も「選択式」が多いし、高校になっても予習をする生徒は私ら頃に比べて減っているようです。
私よりひどい「指示待ち」族だったりして。だから、授業に出て「指示」を求めているのかな。
学生の要望の中に「すべての授業で出席を取りそれを成績に反映して欲しい」というのが非常に気になりました。そこに存在しただけで「成績」をいっているように感じてしまったのです。大学ぐらいになれば「自学」がある程度できて欲しいですね。大学教員の授業が悪ければ、今は調査しているところが多いので報告すればいいのですが、学生が授業を受ける態度が受け身だけでは教員も大変ですね。
だから、授業ですべてを「指示」して欲しいのかな。気になる特集でした。

2004年10月24日
大学激動 第2部「迫るバブル崩壊 A」
昨日から始まり、本日は日経社会面に移った連載の題です。
中国地方のある大学の話が出ていました。地元の県と市も補助を出し、市長も理事に就任したけれど開学以来定員に達したことがないそうです。
あれだけ補助を出すのなら「公設民営」の形態をとれば、同じ内容でも学生が集まっていたのでは。
また、四国のある公設民営の大学、公立とすればもっと集まっていたと思います。
ここにレッテルで選ぶということが如何に強いかということがでています。どのようなレッテル(イメージ)を受験生や保護者に持たれているいるかということが学生募集では大切なようですね。
まあ、進学した大学が潰れるのは困りますけど、もっと大学の中身を研究する必要が受験生の方にも必要ですね。

2004年10月23日
大学激動 第2部「迫るバブル崩壊 @」
これは本日の日経一面で始まった連載の題です。
もうすぐ、少子化による「大学全入」が始まるというのに大学数は増えています。
さすがに国立大学は増加していませんが、公立大学は、ここ10年ほどで沢山できましたね。私立大学に至っては沢山増加という感じです。
さらに有名私立大学が定員増(臨時定員の恒常化など)で志願者を集めており、定員割れの私学も目立つようになってきています。
ある都市部の国立大学で4月の当初に一時的に欠員が出たところが出ました。(追加合格で定員に達しました。今年の日経より)
また、ある国立大学の教授は「競争相手は都市部の私学」という記事も今年の日経に出たことがあります。
そうすると、東北のある大学みたいに破綻ということも今後国公私立問わず出てくる可能性があるわけですね。
昨年か一昨年に中国地方のある大学が学生を移籍させて学生数を零にしました。この場合、学生は路頭には迷わずすみましたが、いつもこうできるかどうかは判りませんね。
文部科学省に大学が倒産という事態を想定した学生の救済対策を早く確立するとともに、中国地方の大学みたいな軟着陸しやすい環境の整備も求めたいですね。

2004年10月21日
教員免許に更新制
今日の新聞の見出しです。小中高校などの教員の資質保証に前文部科学省大臣が打ち出したのを中央教育審議会に諮問した。
まあ、いろいろ問題がありますね。一つの方法として専門職大学院を必修みたいにする案もあるようです。
ここでも大学教育の問題が大きく出てきています。長らく適当に教育してきたツケですね。
日本の大学が学生の教育に力を注がなかった結果が大きいかな。大学教員の資質の方が先では。なにせ、時々、これで大学の教員?という人を見かけます。私の大学の時の先生と比較になってしまうのです。
これは学部による格差、大学による格差が結構ありますよ。私立大学で大学によって学部によって教員の質に違いがあるように国公立にもあります。
それと、教員採用試験の問題は、ある程度の大学に入学する力があれば通ります。大学で勉強する力が落ちているから倍率ではなく問題の程度が難しいように感じるだけだと思います。だから、教員採用試験の問題を公表していないですね。
全体的な大学教育のレベル向上を同時にしないと問題教員は減らない可能性があります。

2004年10月16日
公立学校の前提
これは、本日の日経教育面「まなび再考」の見出しの一部です。
見出しは「公立学校の前提」と「学級間格差を、無くす努力を」のふたつです。
今の国の義務教育(国および地方公共団体、保護者への義務です。子供ではありません。子供は権利です。)の方針では、学校並びに教師を選べませんね。
これは、どこでも同じ教育が受けられるという前提ですが、この同じ教育というのは「同じ教材を使用する(教科書など)」ということだけです。
そら、差はひどいと思います。日本人がおとなしかったから、今までは問題が起こらなかっただけでは。自己の向上および教育に熱心な教師もおられますが、子供の程度を決めつけどのように向上させればよいかを考えない教師、力量不足をそのままにしている教師などかな。
ただ、評価の仕方によっては、よい教師が問題教師になることがあると思います。
児童生徒の将来より自分の出世を優先しているような教師も悪い方にはいると思います。
大学でも、教員の力量の差があるのは歴然と事実だと思います。そこで、大学当局などが改善しようとしても「反対勢力」のため、うまくいかなかったり、どこかの首都大学みたいに何をやってるのか訳のわからないところがあります。
公立の小中高校を今まで以上に保護者などの厳しい目が必要かな。
入学した生徒などを如何に向上させたかがその度合いが公立学校の評価になってもよいかなと思います。高校などでは、俗に言う「優秀な生徒」が集まるところは俗に言う「進学成績」がよいのは当たり前です。そのようなものは教師の力と評価しなくてよいと思います。中には生徒の「足」を引っ張る教師もいますので気をつけましょう。

2004年10月9日
公立高校の統廃合
これは、本日の日経教育面の「まなび再考」の見出しの一部です。
高校の小規模化によるデメリットについてありました。ある程度に規模を維持する方が教育内容や程度を維持できるというものです。
弊害の一例として、小規模になると、教科内であっても専門外の科目を教えたり、さらには免許外教科を臨時免許状で教える事態が増加するというものです。
でもね、専門分野でも怪しい教師が結構いるようですね。簡単な問題演習をするときでも、全問の答えを問題集に書いていっているとか。
誰でも「ど忘れ」とかそのときだけ「パニック」みたいになることがあるとは思いますが、全問はね。
どっかの教育委員会がテスト(高校で教えている内容で高校生結構得点できる問題)をしたら、平均的高校生のレベルに達しなかったのが結構いたようです。
これって、教員採用時の方法にも大きな問題があるのでは。例外だと思いますが、どこかの国立の教育学部では、理学部などと取り違えて「自分の趣味」の分野を教えていた教官がいたみたいです。
こんなのいるので規模が大きくても教師運が悪ければ、自力で勉強するとか、塾でとかする必要が出てきますね。
そこそこ全国的に有名な私学で非常勤講師が授業時に「教科書ガイド」を使っていたのがばれて「クビ」になったという話を聞いたことがあります。公立ではないことかな。
ですから、小規模というのはダブルパンチを受ける可能性が高いわけですね。
どのような教師が「よい教師」かについては、いろいろな価値観があり、簡単には言えません。

2004年10月2日
国立天文台のアンケートから
国立天文台の小学生を対象にしたアンケート結果について、本日の日経教育面にありました。
小学生の4割が「太陽が地球の周りを回る」と思っていることなどについてです。
今の学習指導要領では、小学校での理科の時間が英国の半分であるとか理由を挙げて時間増加による教える方の時間的ゆとりが必要とありました。
理科を本質的に好きになる時期での時間数不足は深刻ですね。
でも、教える教師の多くが理科をほとんど勉強していない、または「嫌い」というのが多いのでは。大学の入試科目を見ればこれは明らかです。
そうすると、理科が「苦手」でも小学校では教えなければなりませんね。悲惨な結果がアンケートにでてきただけですね。自然に接する機会の減少も大きいですが。
ある大学の教育学部から改編でできた学部の卒業生が、「専門科目の程度が低い」などと学部との懇談会で述べているのがそこのHPに出ていました。
教員養成の仕組みを考える必要がありますね。単に「大学院修了」を課してもそこのレベルが低ければ何もなりません。

2004年9月25日
教育の事後評価
本日の日経教育面の「学び再考」の見出しです。筆者は最後で「事後評価への転換は、評価される限られた指標だけに敏感で熱心な教育機関を大量に作り出し、結果として教育の低下を招くだろう。」と述べられています。
例えば、ノーベル賞学者の数とかですと、これは選定者が優秀なので問題はないかと思います。ところが、多くは評価する方が大したことが無いので安易な基準(思いこみ)で評価して数値化する恐れが今の日本では非常に大きいですね。
本来、教育とは能力が解らないとかのばされていない者を育てる訳でしょ。優秀なら教育の必要がないのでは。
優秀(この優秀はどのような意味でしょう)な学生が多く入学するところは、優秀な人材がたくさんでて当たり前です。そうではないところから優秀な人材をいかに多く輩出させているかが「教育」ではないでしょうか。
優秀な人材の基準はないのでは。教育機関の評価は、多面的に多数の指標について求めていく必要があるのでは。COEは、教育というより研究分野です。単純に評価しようというのは間違いだと思います。

2004年9月21日
意欲開発に平均点はいらない
これは、昨日の日経のオピニオン面、「インタビュー 領空侵犯」の見出しです。
インタビューに答えられたのは、IFIビジネススクールの尾原蓉子氏です。
「キャリアとは職業を通じて築く成功の軌跡のようなもので、何かをやり遂げなければ形成されません。その最大の原動力は本人の意欲です。」と述べられています。
また、「教職は聖職(今は死語かな)だからと先生方がビジネス社会から隔離された現状ではうまくいきません。子供たちが就労体験をしても、学んだことの価値を評価できないからです。・・・」
まあ、教師からは未だに「教育の場だから・・・」という言葉を聞きます。現実の社会から目をそらしているとしか思えない使い方です。社会人の経験者が増えてきているはずですが、どうなっているのでしょう。
教師の相当数は、「だれにでも何か能力がある。」ということを解っていないようですね。だから、平均点が好きですね。ペーパーテスト(それも問題集そのまま)の点数で生徒を評価したがりますね。
人間は、本来は存在しているだけで個性的です。それを無理に型にはめるから「個性化」などという訳の分からないことが起こるのでは。

2004年9月18日
「数学的考え方」重視を
これは本日の日経教育面の「教育」の見出しです。
数学において、計算力も大事ですが、「証明」で柔軟な思考力を養うということが大事であると述べられています。
中学高校で、じっくり考えて思考力を養うには「数学」がもっとも手軽に利用できると思います。
でも、マークシート方式や単純な計算問題の繰り返しでは、思考力は養えませんね。実社会において、計算はコンピューターにさせますね。人間は「思考」をすることが求められています。
これは、一部研究者や技術者のみならず、多くの人が日常生活でも直面しているわけです。
「思考力」がないから、他者追従型の人間が増加しているのだと思います。
でも、数学教師のレベルが低いと「数学的考え方」はつきませんよ。レベルの高い教師もしますが、低いのもいます。全体的な底上げを。
大学入試でのマークシートを止めるか、個別試験で必ず「記述式」を全ての大学、学部で実施して欲しいですね。

2004年9月17日
義務教育「留年も」
これは12日(日)の朝日新聞一面にあった見出しです。
発言の主は、河村文部科学大臣です。
まあ、留年とかは別にして、「義務教育」の「義務」はだれの義務でしょうか。
これは、国および地方公共団体と親に課せられた「義務」ですね。今までの教育では、奇妙な同一視の下、習熟度別でさえ否定していたところがやたらと多いですね。
この義務教育は、国民として生きていくための基礎教育のはずでしたね。その基礎の基準をまじめに決めずに、全員進級というでしてきました。その結果によるところが多いと思います。
留年をさせるとかするのでしたら、まず大学での教育水準についてからして欲しいですね。そして、高校の卒業程度をどのようにするか。
そして、国民に対しては「人間の能力」には違いがある。得意分野の違い、発達状態の違いですね。「個性化教育」などしなくても、もともと「全く同じ人間」なんていないのです。
留年させるとしたら、そこらあたりの理解が得られてからですね。
でも、教師の質を高めてくださいね。

2004年9月13日
国際学校、なぜ続々開設?
これは、昨日の日経ファミリー経済面のエコノ探偵団の見出しです。
この背景には、「教育行政への不満を吸収」(これも見出し)があります。
私自身の子は、お金さえあれば留学させたかったです。せめて大学卒業後に何らかの方法で海外を経験するようには言っています。
極端な言い方をすれば、日本のは教育ではないですね。ここまでの考えを持つ親は、違法を承知で国際学校を希望するわけですね。
日本の教育は、「個性化」とか言っていますが、「画一的」ですね。勉強も教員養成がよくないから、研究(児童生徒の能力を伸ばす)熱心な先生方もおられますが、問題集に答えを書いていかないと授業ができない教師、生徒の反応にお構いなしに授業をする教師、受験に関係ことはするなと言う教師(受験教科の学力向上が怪しくなります。)、進路指導で進学後のことなど全く考えないで国公立大学なら全国どこでも勧める教師、この逆の教師もいます。その結果、どちらも生徒が被害者になっているのですが、気がついていないようです。大学によって、同程度の学力で入学してもその後に大きな違いが出ることがあります。そして、逆転現象もね。
大学もいろいろあります。高校もいろいろあります。
小中学校のね。アメリカみたいに学校以外のところでの教育も認めては。

2004年9月11日
学力形成
学力の形成について、本日の日経の教育面、「学び再考」にありました。
漢字の読み取り能力についてでした。まあ、親の学歴が高い方がよい傾向にあるということです。
問題は、それを固定的にとらえる人が多数いると思います。確かに、違いは出るでしょう。でも、発達段階のばらつき、元々の能力のばらつき、などで固定的でないはずです。
周りの大人(親および教師)が固定的な観念で子供に接していると、子供はそれを感じ取り、「諦め」の境地に入ってしまい、向上心を失っている例がよく見られます。
それに追い打ちをかけるのが、「定期考査」などの問題の作り方ですね。問題集そのまま、これ結構多いようです。理由は、割愛しますが、学力格差は固定的になります。そして、下方降下が多くて実質的な上昇はあまりないですな。
勉強の意義、これに付いても周りの大人(親および教師)の考えに見事に同調してます。入試のためだけの意識が強いと受験科目以外は捨ててますね。
これも、総合的な学力向上を妨げていると思います。

2004年9月7日
フリーター対策
昨日の日経の「領空侵犯」でこのことが取り上げられていました。
インタビューを受けた方は、「教育」で置いてきぼりにされているのがよくないとか言うようなことを述べられていました。
もっともだと思いますが、ここで日本でよく見られる問題点にぶつかります。「置いてきぼり」にしないように手を差しのばすというのはどこでもしていますね。
それでも、成果が上がらないとき「留年」とかになりますが、大学はまだしも、小中高では、非常に抵抗がありますね。解らなくても進級だけはさせて欲しいという保護者および本人の意向が強すぎます。
また、教室にいるだけで「単位」を認めてはという教師もいますし、問題集そのままを考査に出題する教師。まあ、勉強しなくても「記憶力」があれば、ボチボチの成績が取れるわけですね。
それで、社会に出たら通用しませんがな。勉強をほったらかして「働いている」(3Kの仕事など)をしている人の方がしっかりしてます。
兎に角、身内のなかで身内の基準であまあまにしすぎたツケが出てきているのではと思います。
教師の中には、何も考えずに学部など関係なしに「国公立大学」を勧めるバカがいます。何がしたいのか、どこで就職したいのか、などを考えて進路指導する必要があるのにです。
その結果、遠いところの大学に進学して「地元」に戻ってきたら就職口がないということになって、フリーターを増やすようなことをしています。
よほど特別なことを学びたいとかいうのがなければ、地元が一番です。地元に学びたい学部、学科がないときは、地方に出向かないといけませんが。

2004年8月21日
教育の目的
教育の目的は何なのでしょう。
前にも書いたと思うのですが、「人間になるため」でしょうね。「人間」をどのようにとらえるかで目的が違うのでは。
人間は、学習をして漸く人間になることができるのです。それも、相当部分で実体験が必要です。それと、本などを使用した学習とを組み合わせることによってその効果を高めることができると思います。
「自ら疑問などに対して資料を集め、考え、そして最後は自身で判断する能力、それも適切な想像力を伴った思考による判断、未来に対して謙虚な予測をすることのできる判断力」をつけることかなと思います。
適切な判断をするためには、学習およびその練習が必要ですね。今の学習、「覚える」そしてそのまま「答える」ということに重点を置いている人が目立つようにも思うのですがいかがなものでしょう。「判断」の練習にはならない学習です。

2004年8月21日
教育の目的
教育の目的は何なのでしょう。
前にも書いたと思うのですが、「人間になるため」でしょうね。「人間」をどのようにとらえるかで目的が違うのでは。
人間は、学習をして漸く人間になることができるのです。それも、相当部分で実体験が必要です。それと、本などを使用した学習とを組み合わせることによってその効果を高めることができると思います。
「自ら疑問などに対して資料を集め、考え、そして最後は自身で判断する能力、それも適切な想像力を伴った思考による判断、未来に対して謙虚な予測をすることのできる判断力」をつけることかなと思います。
適切な判断をするためには、学習およびその練習が必要ですね。今の学習、「覚える」そしてそのまま「答える」ということに重点を置いている人が目立つようにも思うのですがいかがなものでしょう。「判断」の練習にはならない学習です。

2004年8月18日
日本の活躍しているオリンピック選手
柔道の谷亮子選手は道場育ちですね。ほかの柔道の出場選手も道場かな。柔道は、伝統的に道場がたくさんありますね。
水泳は普通でも少し有望選手は、スイミングスクール出身ですね。
男子体操ですが、6人のうち3人は、朝日新聞によりますと大阪の体操クラブ出身ですね。
サッカーのJリーグができてから、強くなってきていますね。
卓球の福原愛選手も、学校の部活動とは無関係ですね。
そのほかもあると思うのですが、判らないのでこれくらいにしておきます。
ハッキリ言って、学校の部活動を、特に運動部の指導とか、大会のあり方を考えて変革するべきです。
水泳など、ほとんどがスイミングスクールでの指導になっているのも関わらず、学齢の時の大会参加は、学校の水泳部に所属しておくことが条件だそうです。これは、他の運動部でも同じでしょう。
学校は、「才能を見抜き、適切な指導者を紹介する」とかに重点を置くべきです。学校単位ではなく社会全体で運動を楽しみ、才能のある者を見つけ出し、適切な指導が受けられるような体制にする必要があると思います。
学校の名誉などといって「優勝」などにこだわった指導は、選手寿命を縮める危険性が高いと思われます。選手寿命が縮むだけでは済まない事態もあるようです。

2004年8月16日
日経「日本も一人っ子を鍛えよ」より
本日のオピニオン面の「インタビュー領空侵犯」の見出しです。
まず、中国の一人っ子政策による現状についての認識が示されています。
そのなかで、中国は少数精鋭の教育を受けてきただけではなく「ハイレベル」な競争にもさらされてきたということが書かれています。育ってきた政治情勢や社会情勢にもふれられてます。
日本は、競争回避社会かな。まあ、順番はつけますが身内の順番ですね。対外的にどのような意味をもつのか、したことがないのでは。
だから、「ゆとり教育」という訳の分からない全員ぬるま湯教育をやったりするわけですね。大学卒業レベルとして、どの程度が妥当なのか。それを超える競争ならいいのですが、実態は一部学部や学科を除くと曖昧ですね。
GPAを導入している大学が増加してますが、各科目の基準を対外的ハッキリさせているのでしょうかね。日本技術者教育機構の認定コースなどぐらいですね。
法科大学院のレベルも司法試験の合格者数でみるようなアホなことをするのではないかと思ったりします。
そのようなことで、「真に鍛える」ということができるのでしょうか。これは、小中高校も同様です。甘すぎるから、活力がなくなってきているのでは。

2004年8月10日
「考える力」
「考える力」はどうすればつくのでしょうか。
日経ビジネス2004.8.9〜16(合併号)の有訓無訓で室伏重信氏は、「指導者が全部お膳立てするのが一番良くない。自分から動こうとせず、ロボットになっちゃう。」と書かれています。
自身の現役のときの体験ですね。がむしゃらに練習のみをした経験、その後自分で自分のフォームの分析をし考えた経験などが書かれていました。「指導者はいろいろな経験があった方がよい。問題点が病で技術的なトレーニングが薬とすれば、個々に病気が違うので、心を込めて絶えず選手を見ていなければ、なにを投与して良いのか分かりません。」とも書かれています。
そして、指導者を乗り越えさせるためには「考えさせる」というのが必要ですと言うことです。常に現状より良くするにはどのようにすればよいのか、考え続ける必要がありますね。
教育の現場でも、答えを与えるのではなく、考えさせ、調べ見つけ出させる訓練をもっとする必要があります。何日か前に書いた「回答」をさせるようなことばかりしていると力はつきません。
「回答」ではなく「解答」させるようにするべきです。「回答」は、問題集などの答えを考査などでそのまま書かせる意味で使っています。考えなくて良いという意味です。

2004年8月7日
教育とは
教育とは、何なのでしょうか。事柄を暗記させるだけのことですか。日本の教育に対する感覚、おかしくありませんか。
人間は「学習」をすることにより「人間」になります。生物学的には、学習をしなくても「人間」ですけど、社会的には「学習」というのが必要ですね。
この学習、結構失敗を繰り返しながら学んでいき、怒られもしたり、誉められたり、色々体験しながらですね。
それで、周りの状況からよりよい方向にするにはどのようにしたらよいかを考えてみたりとか、段々、知能がついてくるのですね。
いまは、実体験だけでは、間に合わないので学校などでの「学習」というのがあるのです。
ところが、その学校での「学習」に大きな問題があるのです。
定期考査で使用している問題集の問題をそのまま出題する教師が多いようなのです。生徒は、問題集の答えをそのまま「回答」します。考えるなどしないわけですね。
このような例になるかどうかですが、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」第2回でノモンハン事件について話をされ、そのときの師団長の呟きを言われていました。「日本の兵隊さんは強いと聞いているから・・・・」です。おいおい、師団長、あんたの部下でしょう。それを「強いと聞いているから」というのは思考停止も極まったと感じます。部下を全く見ていない証拠ですね。
司馬遼太郎氏も「教育」は大事です。このような愚かな者をつくらないために。といわれています。
現在はというと、何日か前にも書きましたが、肺ガン等の治療をしていて「喫煙」している医師も、あの師団長と同類ですね。思考していない。少し想像力を働かせるだけで「禁煙」できるでしょ。それを考えない。ある県立病院のHPに年1回のCT検査だけで安心できるようなことを書いていたところがありました。
喫煙をすると、本数比例で確実に「肺機能」の低下が起こります。進行の速いタイプのガンですと、年1回では不安です。そのあたりが分かっていないのですね。
教育とは、都合の悪い情報も含めて取り込むことができ、整理し、その中からよりよいと思える未来への予測および行動ができる能力を育てることだと思います。
アメリカ(ブッシュ大統領)は、ベトナム戦争の失敗を軽視したか、気に留めなかったのでしょう。学習のし損ないの例ですね。

2004年8月4日
私大定員割れ、最多の155校
これは、本日の日経社会面の記事の見出しです。
日本私立学校振興・共済事業団のまとめによるそうです。
以前から私立短期大学の定員割れが問題になっていましたね。短大のほうは昨年、今年と定員割れの割合は減少しているとこのことです。
大学の方はふえている。受験生を集めることのできるところとそうでないところの2極化が進みつつあるようだとしています。
でもね、受験生や保護者、教師がどのように判断して受験校を決めているのでしょうね。
親や教師の場合、昔の固定観念で考えている人も結構いるようです。
例えば、「私学の授業料は国公立に比べて遙かに高い」というものです。私学文系と国公立との年間の負担額の差は国立で「下宿代」を入れると、多くの場合、自宅通学の私学の方が安くなります。理系は国立の方が下宿しても安いかな。
私学の内容も学校によって色々あるように、国公立もあるのですね。そこらが分かっていない人が結構います。
「受験生に人気がある」大学が、就職の時、有利な大学とは必ずしも一致しませんね。大学院進学の多いところもありますね。就職では出てきませんが。
まあ、どこの大学でも「その他」(就職でもない、進学でもない)に分類される卒業生を抱えています。どうしてでしょうか。
大学選びも難しいです。

2004年8月3日
国立大学の学外委員へのアンケート
『この4月の法人化にあわせて各国立大学が設置した「経営協議会」の学外委員を日本経済新聞社がアンケートしたところ、3人に2人は「評価の低い国立大は淘汰(とうた)されるべきだ」と考えていることが2日、分かった。』というのが日経にでていました。
学外委員の方の考えている「淘汰」の基準はどのようなものなのでしょうか。
論文の発表数などでは、旧帝国大学系がほかを圧倒していますね。特に理系では。これは、大学院生の数に比例する部分がありますからね。なにせ、院生は「人足」と喩えられることもありましたし。
論文の質、これは、人足のレベルが高いほど高くなる傾向があるのでは。産学連携みたいなものも。
入学してきた学生をどれだけ鍛えてレベルを上げることができたか。これも基準は難しいけど、こちらなら教員の努力が現れているかな。
優秀な者が入ってくるところは、さらに優秀に。それなりの者が入ってくるところは、鍛えて非常に優秀な人材に育てる。この場合、それなりのところの方が良いですね。でも、基準の取り方ではどうなるか判りません。
まあ、「評価の低い国立大は淘汰(とうた)されるべきだ」であっても良いと思いますが・・・。なにを以て「評価の低い」とするのでしょうね。

2004年7月30日
慣用句”誤用”広がる
本日の日経(まあ大抵の新聞には出ていると思います。)にでていました。文化庁による日本語調査でその「誤用」の程度がひどくなってきているというのです。
いろいろなHP巡りをしていると、面白い「誤用」または「間違い」に出会いますね。
例えば、学校での補習授業の「補習」を「補修」としていたところがありました。変換ミスだと思うのですが、学校での勉強したことの繕いを「補修」している。のかな。
言葉は時代とともに少しずつ変わってきたいますし、変わっていくと思います。でも、最近の変化は少し速すぎるのではと思います。これは、学校教育などで「論述」などをさせずに、「当てもの」みたいなテストを多用している。それも、問題集そのまま出題し「回答」させている。この「回答」ですが、問題集の答えをテストの答えにそのまま回送しているという意味です。
このようなことで、言葉の意味を注意はあまり払いませんね。テストに良くでる言葉に気をつけるぐらいですね。
あやふやな記憶で使うから、「誤用」が多くなり、記憶がはっきりしないから「誤用」されたのが正しいと思いこむ。増幅していって「誤用」の方が「定着」ということになるわけです。
言葉は、「誤用」でも広まってしまえばそれが「正しい」となってしまうものだと思っています。いろいろな場面で、言葉を使わせ、誤りをその場で指摘していくしか「誤用」を少なくする方法はないと思います。

2004年7月29日
メモリアル・ブランダー(世紀の大失敗)
本日の日経、私の履歴書で島津製作所会長の矢島氏が書かれていた言葉です。ノーベル賞を受賞した島津製作所の田中耕一氏の失敗についてです。
10日前に、野依氏の言葉で「その中に実験やその他で『予想外でも別の価値発見』ということがある。失敗から新しい可能性を見いだすセンスを磨くには『幅広い見識』が必要だと説かれています。」と書きました。
この2つ、どこか共通しているところがありますね。失敗をそのまま、無駄に終わらせない。そこから、何らしら価値を見いだしているわけですね。でも、価値を見いだす能力はどのようにしたらつくのでしょうか。
私としては、失敗経験が重要な役目をしていると思います。一度の失敗でも、「失敗したらおしまい」という感覚ではなく、「敗者復活」できるという感覚が必要になると思います。そうでないと、大きなことのできない、こぢんまりとしたことだけをする人間になるような気がします。
やってはいけない失敗もありますけど、失敗を恐れすぎてはいませんか。

2004年7月25日
広がる院内禁煙
本日の日経医療面に出ていました。まあ、以前から他の施設に比べて禁煙率が高かったですがね。ここにきて、分煙ではなく、全面禁煙ですね。
これは、昨年の健康増進法の施行で加速されているそうです。
さらに、第三者の立場で医療機関を審査している「日本医療機能評価機構」は来年7月から審査基準に「全館禁煙の方針が明確」という項目を盛り扱くことで検討してしているそうです。
これは、「今後は院内で少しでも喫煙できるようなら、機構の認定はでないということ」と理事の方が明言されています。この機構の認定は医療報酬にも影響するとのことです。
いろいろあって、全面禁煙が増加中なのですね。
ところで、医師の喫煙率ですが肺ガンなどに係わる診療科の医師で男女とも13〜14%らしいですね。どのような教育を受けてきたのでしょうか。これは、女性看護師の喫煙率24%ぐらいでもいえます。
患者への指導も課題ですが、このような医療従事者に対する対策も重要課題だと思います。

2004年7月24日
教育の評価法
本日の日経教育面の「まなび再考」に次のような評価法が紹介されていました。
「パフォーマンス・アセスメント」といって、思考過程も含めて学力評価をするとのことです。
「複合的な学力を多元的な尺度で測定する。」「十分に時間を与えて、式や答えだけでなく図や絵などさまざまな表現方法を用いて自由に思考過程を記述するように求める。」というものだそうです。
訓練を受けた採点者が1人の答案に20分ほども費やすそうです。
ここの子供の思考過程やつまずきなどがあらわに出てくるそうです。
そうすると、どのような授業を受けてきたのかも判るとのことです。
この方法は、子供の学力が適切に評価できるだけではなく、教師も鍛えられていくことになるとのことです。
本日は「とのことです」多用してすみません。

2004年7月20日
今日は終業式
多くの地域で終業式でした。まあ、夏休みが長いか短いかとかについてはさけて話をします。
多くの学校で「通知票」なるものが児童生徒に渡されているはずですね。
そのことなのですが、小学校では大分前から数字では評価を書かない方向だったですね。そのように進んでると思います。
文章表現が多くなりますね。それはそれで良いのです。
全ての校種に関係するこのなのですが、どのような基準で評価したのでしょうか。非常に難しい問題だと思います。相対評価でも、本来は基準と言うことがあったはずです。
いまは、文部科学省の指導に従えば「絶対評価」ですね。その基準を児童生徒にも保護者の方にも分かりやすく解説できれば、文章表現の通知票の方が絶対によいと思います。
そのように変わっていってくれることを期待しています。

2004年7月19日
失敗したときの対応の仕方?
本日の日経、「ひと・ピープル」の「私の苦笑い」にノーベル賞を受賞された野依良治氏の談話が書いてありました。
その中に実験やその他で「予想外でも別の価値発見」ということがある。失敗から新しい可能性を見いだすセンスを磨くには「幅広い見識」が必要だと説かれています。
この「幅広い見識」はどのようにしたら身につけることができるのか。丸暗記では駄目でしょうね。一言では言えないですね。暗記するだけなら「電子辞書」の方が正確ですね。PCなどの記憶装置の方が正確ですね。
学校などはそのあたりを考えて評価方法を決めるひつようがありますね。
野依氏は「ノーベル賞学者は最初の発見者ではなく、初めに価値を見いだした人」と言われています。この価値を見いだすということも「丸暗記」式勉強法では無理ですね。
予想外の結果(失敗を含む)から真の意義や価値を発見できることが大切であるともね。
目標通りにしかできないのでは、様々な可能性を潰してしまうのではとも。
大発見が「不確定性」に依存していることは歴史が証明しているのですが、ビジネスの分野でもと言われています。
パスツールの言葉「幸運は用意された心にのみ宿る」というこのと意味も考えてください。

2004年7月3日
教育の内容
本日の日経に社会面にトヨタなどの設立する中高一貫の学校のことが出ていました。
トヨタは、豊田工業大学という大学も設立しています。
外から見ると、今の日本の教育を信用していないようにも感じられます。
なぜでしょうか。日本では、教育の質、程度ではなく、序列と修業年限のみを求めてきたからでしょう。
しかし、大学教育は、技術系の場合、「日本技術者教育認定機構 (JABEE) の認定制度」というのが広がり始めました。これは、卒業生のレベルを規定しているのです。詳しくは、HPで。
法律は、法科大学院ができましたね。経済系統も専門職大学院ができたりしていますね。ダブルスクールも資格がらみですね。
ようやく、卒業生の質に目が向き始めたところですかな。
次は、高校卒業レベルということでしょう。なにせ、教室の机に向かって座っているだけで卒業させているところが多いですからね。定期考査は、問題集そのまま。それもご丁寧に問題番号を教えていたりします。答えを、丸暗記するだけです。そのような状態に嫌気がさしたのでしょうね。
まあ、とりあえずの対策としては、センター試験で60%以上の者に卒業資格を与えるというのも良いかもしれませんね。多くの高校で大騒動が起こりますが、相対評価に慣れた問題の質を考えない教師にはこの程度の刺激を与える必要があるのでは。それと、世間の学校に対する評価の仕方も再考願いたいです。

2004年6月26日
各地域の学力調査
本日日経、教育面「まなび再考」で取り上げられていました。
主な点は、結果の扱い方、特に公表の仕方ですね。東京都は、単に平均点を羅列しただけだそうです。そして、「保護者に公表することでいっそうの学力対策を促す」とか都教育委員会は言っているそうです。寝言もいいとこですね。公立学校は学区制に縛られていますね。そうすると、地域格差が厳然としてあります。困難校もそうでないところも法律により教師数は生徒あたり同じですね。差が出て当たり前です。そのあたりがわかっていない。そしてこの地域格差を解消する手だてをしているのなら、まだいいのですが、そのような施策はされていない。
問題の質とかの問題があります。そのあたりはどうなのでしょうか。
学力調査をするのは良いのですが、その結果の扱いに慎重さ、賢明さは欲しいですね。およびそこから出てきた問題に対する改善策等をも示して欲しいですね。特に地域の格差についてね。
親の最終学歴と子の進学状況を記事が以前に出たことがあります。親が高学歴の子ほど大学に進学する割合が高くなっています。地域の保護者の状況が学力水準をある程度規定している可能性がありますね。

2004年6月19日
「教育論」について
私もよく「教育論」を書いたり、その手のHPを作ったりしています。
このとき、論拠はどこからでしょうか。多くは自身の経験、新聞、テレビ等の報道、本などですね。
本日の日経の教育面の「まなび再考」に筆者のお茶の水女子大学教授の耳塚寛明教授は次のようなことを書いていました。
『「私の教育論」を超えるために必要なことは、偏らない事実の観察、因果的理解、意図せざる帰結までも見据えた処方箋の提案など、いずれも当たり前のことに過ぎない。にもかかわらず、こと教育論議にあんると人は「私」を語り出してしまう。』とありました。
この中の「偏らない事実の観察、因果的理解、意図せざる帰結までも見据えた処方箋の提案など、いずれも当たり前のことに過ぎない。」の部分の当たり前のことができない教育を受けてきた人が教える立場に立って教えている。教育行政に携わっている。
怖いですね。このような状態が日本では延々と続いているのです。まずは、「偏らない事実の観察と因果的理解ができる人材」を育てる必要がありますね。

2004年6月8日
健康について
多くの生物では、生殖年齢というか子孫を残せるあたりまでは、元気なことが多いですね。人間の場合、これは何歳ぐらいまでのことでしょうか。30〜40歳ぐらいまでかな。
ですから、30歳ぐらいまではそこそこ、ぼちぼちでもあまり病気などにならないのですね。
ところが、最近、体を痛めつけている話をよく聞きます。例えば、絶食ダイエット。後の悪影響が大きいですね。どうして、そのようなことをするのか。教育が悪いのか。原因と結果とかの関係などがわからないとか。より正確な予測ができないなどでは。ものすごく単純な思考法になってしまっているのが大きな原因でしょう。
この同類は、医療関係者の煙草もね。それと、煙草の害を教えていて吸っているというものですね。これも普通の想像力があれば、気が付くと思うのですけどね。
教育を何とかしたいですね。

2004年6月7日
久しぶりに「本日の日経より」ということで
一つは、一面の「オフショアリングの衝撃」です。まあ、ハイテク分野でも業務を海外に移す動きです。
ハイテク技術者が移民として来た場合は、受け入れ国の雇用数は減らないですね。ところが業務を海外に移すオフショアリングでは、その分の雇用が減少してしまいます。移民として呼び寄せるより安くつくそうですね、企業にとっては。いま、起こりつつあるのは高度な専門職の分野だそうです。国全体としての衝撃は、以前より大きいのでは。
もう一つのは、スイッチオン・マンデーの「シグナル発見」です。「日本製 欠陥品増える」とあり、その原因として「製造業の『設計力』衰退?」とあります。高度化した製品の設計で欠陥が増えてきているというのです。製造現場は今のところ、依然と同様のようです。
その原因の一つとして、今の大学院教育に問題点あるというのです。理論中心で実物を知らないとね。でも、これは大学院教育にある程度のお金も回していないからかな。実験装置が買えない。必要な資材が買えない。大きな実験棟を作れないから大規模な模型等を作った実験ができない。など、教育に対する投資をケチっているからでは。
国として自業自得ですね。このようなことで、ハイテク業務が海外に流出しまったら日本はどうするのでしょうか。

2004年6月6日
5月29日の日経の教育面、「まなび再考」より
この著者の受験のときの体験が書いてありました。科目にいっては受験に必要な内容を越えて勉強を勉強していたと。
この傾向は、共通一次試験の導入や高校入試の内申書重視でなくなってきたのでは。それは、新興の受験校や公立で顕著に見られるかな。
お子様の学校の定期考査の問題は、どのようになっていますか。買わせている問題集、そのままですか。択一式が多いですか。このような場合、一部の例外的な生徒を除いて「暗記」のみの勉強に終始しているようです。
公立なにも分からず、「暗記」とでもそこそこ得点できます。そこに、評価が相対評価ですと「皆でサボれば怖くない」、平均点が低くなれば評価は下がらないから、ぼちぼちの勉強に終始する。学力はつきませんね。
自分の意志で受験の範囲外までも勉強すると、範囲内のこともより良く理解できたとありました。
今の勉強は「効率」を追求しているようで「非効率」の学習になっているように思います。

2004年6月5日
日経ビジネス、2004.6.7『技術者の反乱「会社は何も分かっちゃいない」』を読んで
この特集の内容は、日経ビジネスを読んでください。
ここで感じられるの日本の教育というか、国民の教育に対する認識の問題が良く現れていると思います。
日本だけだそうですね、「理系」「文系」に分けたがるのは。この点をさらに拡大すると「入試科目」とそれ以外になりますね。それ以外を勉強しないわけです。教師の中にはそのように誘導するのまでいるみたいです。
大学でも、理工系の学部のオープンキャンパスで「うちの学科は・・・をいらない」などと宣う先輩がいる。文系のほうでも、某国立大学の経済学部でしたか、入試に数学Vを課したことに文句を言った教師がいます。
このようなので他分野が分かりますか。国公立は入試で5教科7科目とかしていますが、今のセンター試験のようなマークシート方式ではやらないよりマシという程度です。入学後、アメリカみたいに厳しく教育するのならいいですけどね。
経営者の中に「技術は分からない」とかいうのまでいますね。
日経ビジネスの連載記事で「小さなトップ企業」というのがあります。ここの登場する企業は経営トップが「経営」も「技術」も分かっていますね。
それと、「ものつくり」、何もないところから新しいものやシステムなどを試行錯誤をして作る。成功したときの喜びとか。未知のことが分かったときの楽しさ、このような感情ですね。教育の場で、これを全ての分野で体験させることができるような仕組みがほしいですね。
単なる「覚える」というのは、コンピューターなどの方が良いですね。「人間とは何か」ということをより考えることも必要でしょう。そうすると、基礎があれば、他者のことがより理解できるのでは。

2004年5月29日
本日の日経、教育面「数字は語る」より
今日のこの教育面は他にもネタにできるのがありますが、これにします。
統計の扱いですね。高等学校の海外への修学旅行ですが、一昨年は同時テロ、昨年はSARS騒ぎで減少していると思いますが、それ以前は増加していますね。公立も私立も。
もともと私立の方が早く始めたので人数も多いですが、近年、公立も増加してしています。実員では2002年度は、ほぼ同人数ぐらいになっています。
問題は、このグラフでそれどれの設立者別でも実施割合がわからないと言うことです。普通、高校は公立の方が多いですね。それから考えると、まだまだ、私学に追いついていないと思うのですが。
それが、このグラフでは、割合も同程度という感じを与えるおそれがあります。解説は「格差縮小」となっているので良いと思いますが、単なる見た目では「同数」ということから「同程度」の割合と誤解する人もでるのではと思うのは極端でしょうか。
最近、小泉総理の北朝鮮訪問などについての世論調査がありましたが、どのような方法か併記して欲しいですね。たとえば、乱数で電話番号を選んで実施したとか。ね。統計数字は、調査方法、出てきた数字の扱い方、検定方法等によって全く正反対の目的にも使えます。
統計数字や世論調査、アンケート調査などの数字を鵜呑みにするのは危険であると考えています。

2004年5月22日
進学先選び
大学進学とか高校進学で進学したところに合わなくて退学したり、転学したりする者が結構な人数に上るはずです。また、大学の場合は、就職の時になった気がつく場合もあるようですね。
大学の場合、進学先選びは多くの本人の意志であることもあるのですが、現状を知らない教師の指導の場合もあるようです。
難しいですね。どのようになっても最終的には本人がその責任を取ることになります。
教師も社会人のはずですが、世間離れしているというか時代の変化に対応していない者が結構いるようです。
ただ、どこに進学しても最善の努力が必要ですが。そして、場合によっては「転身」する勇気も必要です。
まあ、理系の大学の場合、私はその大学の大学院の就職状態がそこのレベルを示すのではと思います。また、大学院への進学率の高低が大学の教育レベルを幾分か表していると考えています。

2004年5月8日
本日の日経、教育面「数字は語る」より
今回も文部科学省の2002年度学生生活調査です。大学生(昼間部学部生)の家庭の年間収入です。
どの程度の人数を調査したのでしょうか。ある程度、多いのでは。地域に偏りはないとは思います。文科省ですから。資料にするなら、この記事の記述では不十分ですね。
医学部、歯学部などをどの程度、入れているのでしょうか。芸術系も授業料は高いですね。親の負担は大変ですね。私学が高額側になる要素について何も触れられていません。理系学部の平均すると私学の通学生より国公立の下宿のほうが少なくてすみます。
学部ごとの比較が必要なのでは。
それと、大学ごともあれば思います。
私の経験です。大学院生の頃、どちらも理系です。兄が旧帝国大学の大学院、私が全国的に名が知られている国立大学の大学院で授業料減免の申請をしました。同じ、所得証明書ですね。兄は「半免」で私は「ダメ」でした。これ、院生の親の所得水準の差と推定しています。
私学間でも同様のこと(親の所得水準の差)が起こっていると思います。
だいぶ前でしたが、親の学歴と子の学歴の相関についての記事が出ていました。
授業料を高くすればするほど、この親の所得格差による進学機会の格差は大きくなってくると思います。親の所得格差の多くは、どのような教育を受けることができたかと言うことの関連が考えられます。

閣僚などの年金加入期間や未納の問題について、今のマスコミの追求では、肝心なところが抜け落ちる危険があります。今の年金の最大問題は少子化でしょう。この対策が常に後回しにされてきたように思います。それと、甘い予測ですね。そのほか、周知徹底の不足(自営業、専業主婦など)や複雑な年金制度(異なる年金制度の間を転々としたに多い。)による不本意未加入になってしまった人たちの過去の分への対策です。
今後については、対策強化の合意ができているようなのですが十分ではないかもね。障害年金は国民年金(基礎年金)に加入し年金保険料を納めていることが必要なのですね。これの広報活動は、為されていないのに等しいような感じを受けています。受給の為の保険料納付期間についても。

2004年5月5日
本日の日経一面の「世界で勝てるジャパンへ新戦略」より
見出しの中で「適正見極め 脱『画一』」というのが目につきます。
「画一」ですが、例として平泳ぎの北島康介選手を指導するコーチの話が出ていました。「どこに行っても指導者が、北島をまねた、スクロール数に固執した泳ぎをさせている」というのです。
どこかで検証もされずに良いと言われることを無批判に受け入れてきた結果でしょうね。
海外は、「スポーツは科学」であるというのと「スポーツに対して向き不向き」があるということをわかった上で選手の発掘、指導をおこなっているのですね。
日本は、水田の青田買いみたいな感じで選手の囲い込みをおこない、上達しないのは努力不足とか、精神が弛んでいるとかですましてきましたね。アメリカは、学校時代はできるだけいろいろな競技をさせているようです。
まあ、サボりもいますが「あわないスポーツ」、「あわない練習」を一生懸命練習させるのは、させられる方にとっては悲劇ですね。
関西学院大学のアメリカンフットボール部の練習時間は1991年から徐々に減って今は半減しているそうです。
京都大学のアメリカンフットボール部では「1年生が一番偉い」そうです。
スポーツの練習とかについて今一度多くの人に考えてほしいですね。

2004年5月2日
昨日(土曜)の日経、「数字は語る」より
今回は大学生の学生生活費(学費と生活費の合計)です。どのようなサンプリングなのかよくわかりませんが、文系理系をあわせたものなのでしょうか。
調査は文部科学省です。
国公立は、文系理系医歯薬系などどれでも基本的に学費は同じで本代等に少し違いが出るぐらいですね。ところが、私学は大きく違ってきます。出ている数字はそれをまとめての平均でしょうね。
そうすると私学で自宅通学と国立下宿を比べると、グラフより私学が180万ぐらいかな、国立下宿が190万ぐらいかな。私学が文系の場合、さらに少なくてすみます。国公立は文系理系関係ないですね。
私学下宿が高くつくのは分かり切っていることですが、文系では自宅通学の私学の方が国立下宿より大分安くなると思います。それと、各大学には、就職に強い地域と弱いところ、強い職種、弱い職種、教授陣の専門分野などからくるやりたいことができるのかなどがあります。
大学選択の時、学費だけで選ぶと余分にお金が掛かったり、専門の先生がいなかったり、就職の時困ったりすること(さぼりはどこにいても同じ)のないように考えた方がよいですね。
全国、どこでも就職できる大学も少数ながらあります。教授陣がそろっていて専門外の悲劇の起こりにくい大学もあります。理系は以前より大学院進学の時、他大学や他の専攻にかわる学生が見られました。文系も大学院進学が増加しつつあるようなので状況は変わるかも。
ただ、企業の採用姿勢が「実力重視」「人物」をよく見るようになっているとしたら、どのような企業に就職しているのかは、大学の教育レベルを見る指標の一つになりますね。企業の採用姿勢によります。

2004年5月1日
『「指導力不足」教員66%増』より
見出しに過去「昨年度認定 過去最多の481人」とありますが、これは、今まで公表されなかったというかうやむやにされていたのが制度として認定公表されるようになっただけだと思います。医療事故と同様に表に出るようになっただけと考えています。
採用試験でも、国家公務員のT種試験と比べてみるとその程度の差は歴然としています。教員採用試験の方がレベルが当然低いです。面接等のエキスパートが行っている様子も窺えません。レベルの低いのが混じる要素が大きいわけですね。
本人に学力等の力が無ければ「威張る(高圧的)」になったりしやすいです。近年、是正しようとしているようですがなかなかですね。遅刻欠勤についてもちゃんとできなくても今まで言われなかったのが近年は報告されるようになっただけですね。
まあ、ある私学では、教室に「教科書ガイド」を持って行った講師が首になったことがあると聞いたことがあります。教科書に指導書の内容を写していく教師は結構いるようです。専門の科目でもしているのがです。
制度の問題なのかどうかわかりませんが、自己の向上のため「勉強」している教師がいる反面、何もしないで指導書頼りのもいる。
教員の採用、研修等をしばらくの間「外部委託」をしてみるのもいいかもしれませんね。
皆さん、一度書店で教員採用試験関係の問題集を見てみてください。大学受験参考書と見比べてください。

2004年4月28日
過去の滅んだ国や組織に見られる傾向?
その時の権力者ヤ巨大な組織には口をつぐみ、手厳しい反撃はないと思われるところに攻撃を仕掛け、価値観の押しつけをおこなったところが多いかな。
日本でもありましたね。「非国民」という言葉で。そして危うく天皇制も失うとこでしたね。異質な考え方を互いに尊重し合う。そして、より良い社会を作るためにはどうすればよいのか。科学の分野でも異質な研究者が世紀の大発見などしてますね。
中村教授の青色ダイオードの発明、東芝のフラッシュメモリーなどは研究のとき、企業から妨害みたいなことを受けたらしいですね。IBMなどの研究所から多くの重要な発明があったのもいろいろな考え方の研究を受け入れていたかららしいです。
韓国と北朝鮮の差は、異質な分子に対する扱いの違いでは。台湾と中国ですね。ソ連のとき、停滞していたロシアが混乱から抜けてきて発展中ですね。ソ連のとき、異質は排除でしたね。
異質な考え方を受け入れられる社会を日本も目指す必要があると思います。イラクでの人質事件の被害者パッシングを見ているとね。政府経費は政府が支出を決めて使ったのだから政府を批判してほしいですね。
第二次世界大戦の出征のときに「生きて帰ってこい」という家族を「非国民」呼ばわりしていたのと同じよな感じを受けました。
「チップス先生 さようなら」(イギリスの全寮制学校の教師をテーマにした映画)の中で第一次世界大戦のとき、イギリスの将軍がチップス先生に「次代の立派な青年を育ててくれてありがとう」といったとき、チップス先生は独り言で「明日が決して来ないことを(never come)」と言っていました。第二次世界大戦直前の映画です。

2004年4月24日
日経ビジネス2004.4.26号「有訓無訓」より
今号は、広中平祐氏です。ハーバード大学留学中の出来事から次のような表題を付けられています。「ベテランが陥る罠 若い芽を摘むその一言」というものです。
ご自身の経験から、秀才ばかりでは成り立たない。元気のいい”落ちこぼれ”が時々思いもよらない大きな仕事を成し遂げることがあるとね。でも、ベテランの一言で若い人の芽を摘んでいることがよくある。
「経験とか知識というものは恐いものです。発想の『壁』を作ってしまい、自由な考え方ができなくなってしまう。自分で気がつかないうちにだんだん周りが見えなくなっていき、若い芽を摘んでしまう。ベテランが絶対にやってはいけないことです。」と書かれています。
広中氏の言われている「壁」は、養老氏の「壁」と同様のものでは。私は、このような「壁」を持たないように勉強をしていきたいのですが、すでに相当持っているような気がします。この手の「壁」は本人には気づきにくいものですね。

2004年4月17日
養老孟司氏の本より2004年4月18日
本日の日経、健康面「はつらつ養生訓」より
『たばこ「損多し」』とあります。がんの要因であることは知られているのですが、そのほかについても書かれています。
喫煙は心拍数を増加(ニコチンや一酸化炭素などの作用)させ、不整脈を誘発するとか。末梢血管を収縮(ニコチンの作用)させて心臓の負担を増加させ、心臓病の要因になるとか。
その他も書いてありました。喫煙は老化にもかかわっています。皮膚の老化を促進し、顔のしわが増える。老化に伴う脳の萎縮も促進することも報告されている。
喫煙でやせることで女性の喫煙率が高まっているそうです。ところが、たばこによって体重は減るものの、男性ホルモンを優位にさせ、おなかに脂肪がたまるようになるとのこと。ウエストラインが崩れますね。そこで無理なダイエットをすると体を壊します。
骨粗鬆症も要注意。こちらも他にもあります。
以上は喫煙者だけの話ですが、煙が出ますね。それで、周りに重大な被害を与えていることを喫煙者は忘れないでほしいですね。どこに受動喫煙で被害を受けた者がいるか判らないはずです。非喫煙者のいる場合は当然ですが、不特定者がいる可能性のあるところでは吸わないようにしてください。

今日、「死の壁」という本を買いました。その冒頭に「バカの壁」について書かれていました。
取材がたくさんあったそうです。養老氏が「身体を使え」と書かれていたので、「どのようにしたらよいか」とかいう質問がたくさんあったそうです。
「身体」は各人少しづつ違いがありますね。だから、共通の「これ」というのはないのです。各自で少しづつ違った「答」を見つけるしかないのですが、どこかに共通の「答」があると思いこんでいるのでしょうね。
これなど、学校教育で、「答」を丸暗記させてきた報いかな。世の中、共通の「答」のないことがたくさんありますね。「子育て」など、その筆頭では。
進学でも、いろいろ調べても入学してみないと解らない部分というものがあります。「よい」と思っていてもよくなかったり、その逆であったり、思っていたとおりのこともあったりですね。
だから、「自分でいろいろな情報を集め、自分でその価値判断をして、自分でそれらを総合的に考えて結論を下す。」ということが必要なのですね。そのためには、どのようなことをすれば良いのか、各自で考えましょう。

2004年4月15日
本日の日経、文化面「交遊抄」より
今日は、横浜ゴムの社長さんで大学時代の恩師についてでした。
そこでは、新人に過酷な小論文修行が課せられたそうです。経済学で毎週違うテーマで1週間で仕上げることが求められ、徹夜することもしょっちゅうであった様です。できが悪いと「再提出」「再々提出」となるが期限の延長はなかったの事。
内容的には、論旨がしっかりしていること、大きな内容や分析を本質を外さずコンパクトにまとめることが要求されたそうです。その結果、経済学の基礎知識が習得できたと感想を述べられてます。
結局は、自分の頭で考え、他の人に読んでもらって批評をしてもらい、また考えて書き直すということがものごとを理解するうえで重要であるということです。
ところが、今の教育と来たら、この手の訓練をどこまでしているのか疑問ですね。
覚えるということにのみ、力が入っているような気がします。大学や高校でこのような訓練をしているところもあると思うのですが、そう多くはないのでは。普通の人間は、この手の訓練を受けたことがない場合、指導はできないと思います。
総合学習の不安点にもなります。

2004年4月13日
本日の日経、国際面「曲がり角の大学 C」より
今回は中国についてです。中国は現在、大学への進学率は17%ぐらいだそうです。経済成長を続ける今の状況では就職口に不足はないはずですが、ミスマッチによって相当苦労してるようです。
アメリカ留学の経験のある中国人からみると、中国の教育は「知識詰め込みと試験対策が主。問題を見つけて解決する力を養う教育ではない。」と感じるそうです。日本も似たようなものでは。どちらも儒教、科挙(知識試験で選抜)みたいなところですからね。
まあ、中国のほうが「英才教育(飛び級)」とかもしていますので、現状からの脱却は早いと思います。日本は「浮きこぼれ」もつくっていますからね。中国の「英才教育」組の多くが、アメリカなどで活躍しています。そのような人材が大量に帰国すれば、大学教育の現場にも影響を与えると思います。
ところが、日本は、なぜか従前の考え方のまま、制度だけをいじろうとするからギクシャクするだと思います。

2004年4月11日
昨日の日経教育面の連載「数字は語る」より
東京大学の学部卒業後の進路についてのアンケートの結果が出ていました。
理科系の大学院進学希望が64.1%で”常識化”している。これは、理系では学部だけでは十分な能力が身につかないためでもあるが、大学院進学理由(2つまで選択)をみたとき、気になったのは「社会にでたくない」というのが18.2%もいるということである。
これは、実社会での関りを極端に減らした勉強や親子関係の問題があるのかな。
私など、大学受験の時から相談はするけど一人で手続きやその他をしました。入学式や卒業式には親は来ませんでしたし、大学生にもなって親が来るのを不思議に思っていました。
今は、子離れできない親が多いようですね。すると、子も親離れできない?→社会に出たくない。という考え方もでてきますね。
普通は、親のほうが先に死ぬのです。子が後に残されます。自立させるための方策を考えよう。フリーターの増えている理由の一つのように思います。

2004年4月10日
日の丸、君が代について思うこと
日の丸、君が代でいまだごたごたするのは、日露戦争から昭和20年まで、特に後の15年戦争についての反省というか歴史の検証ですね、それが全くなされていないのに等しい状態であるということからきていると考えています。
国旗に罪はないのです。その旗の掲げて行なった戦争ですね。それが、どのようなことから開始され、日本国内外でどのようなことが行われて来たのか。その結果、何が残ったのか。
相変わらず、「臭いものに蓋」式に逃げていますね。君が代でも同様だと思います。
ドイツの軍隊、戦闘部隊、治安維持部隊としてコソボなどに派遣されていますね。これは第二次世界大戦に対する国内での取り組みの結果、近隣諸国とのわだかまりが非常に少なくなったことによって実現し、ヨーロッパで真の主要国になりましたね。
どこかの知事が何か言っていますが、しっかりと反省してほしいですね。それが、日本の継続的な発展の道だと思います。アジア諸国と日本の関係は、今のところ、経済力で日本が優位のあいだは今のような戦争に対しての取り組みでも付き合ってくれていますが、どうなることやら。
貿易輸入額で中国が日本を抜きましたね。中国がアジアで第一の経済大国になるのは時間の問題だと思います。その他の国々も発展してます。
ドイツのように周辺諸国と本当に良い関係になるように「歴史」などに取り組めるようになったら、ごたごたなど起こらなくなると思います。

2004年4月6日
昨日の日経一面の連載「増える採用」より
最近の採用数増加の背景には、景気の回復よりも「採っても採っても若手社員が次々に辞めていく。」という現実があるようです。
2000年3月卒業組が入社3年後までに離職した比率は中卒73.0%、高卒50.3%、大卒36.5%といずれも過去最高を更新したとのことです。
今は、昔と違って「合わない」となると簡単に辞めるようです。一つの原因として「企業と学生のミスマッチ」というものです。
採用・就職時に重視することで「やりたい仕事ができる」を挙げたのは企業の37.6%に対し、学生は77.0%。終身雇用に幻想を持たなくなった学生は無理してやる仕事より「自分探し」を重視するからとありました。
企業の採用姿勢に問題もあるので改革に乗り出しているところの例が出てました。普通のインターンシップのほかに「ワンデーインターンシップ」とか「お試し」派遣とかなどです。
もう一つは、教育の問題。最近、中学校で1週間ほど企業体験ができる制度が全国的に広まってきてますね。大学教育の程度の問題もあるかな。企業の採用活動の時期を卒業後にできないのかな。卒業論文は、受け身でない活動ですから指導よろしければ、積極性、責任感、コミュニケーション能力、論理構成力などを養うことができるはずです。もっと自分を見つめることができると思います。その大事な時期を就職活動で邪魔をしているのですから。

2004年4月5日
本日の日経社会面の連載「サラリーマン」より
きょうは第550話で「破綻からの再出発」です。大阪府が教員採用で社会人枠に合格した先生のことがありました。勤め先の銀行が破綻して教師に転身した経験をもとに「失敗」の教訓を伝えたいと頑張られています。
でも、今の教育は児童生徒に経験させても良い程度の失敗もさせないようにしているのでは思います。自身の失敗経験、そしてそれを乗り越えてきた経験があれば社会人から転身された先生の話ももっと生かされるのでは。
後半分は「教員も意識改革」です。会社でも変化を嫌うところが多いようですが、どの組織も基本的には変化を嫌うのは同じ。企業から転身してきた校長が「変化を成し遂げた達成感は組織が味わうもの。教職員も子供らのために変化する学校組織の一員と自覚するよう意識改革を求めている」そうです。
意識改革ですが、ここでも教育に対する価値観の問題が立ちはだかってくると思います。「どのような教育がよいのか。」ということです。文化祭も模擬店での収益に関しても、「教育の場だから儲けさてはダメ、損もさせない」というのと「損得があって当たり前」でいくのか。覚えさせることに熱を上げるのか、考えさせながら理解させるのか。とかね。
子供にどのような大人になってほしいのかという価値観ですね。そのあたりの議論抜き、検証抜きですると、評価で大きな禍根を残すことになると考えます。