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主に歴史関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。

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2008年11月12日
国会での参考人質疑のニュースを聞いて、「歴史を鏡にできない人々」

 11月11日に参議院防衛委員会で参考人質疑がありましたね。前航空幕僚長に対して参考人質問をしていました。
 まあ、答弁の内容はその手の方面の論文と同じみたいなので省略しますが、感じたことは「帝国陸軍と同様の体質」ということかな。『「美化」することだけが士気を高めるということ。』
 日露戦争が日本軍がこの手法を大々的に取り入れた最初かなと思います。旅順攻撃の第4軍の作戦(近代要塞への突撃主体の攻撃)で多くの将兵が無駄死にしました。目を逸らさないでください。203高地の攻防でたくさんの将兵が死傷しましたね。その原因をつくったのはロシア軍に203高地の重要性を認識させる軽い攻撃を仕掛けたことにあるようです。そして、203高地も要塞化されました。将兵の勇敢さだけでは取れなかったはずです。大砲の威力が必要で実際使われています。正面攻撃はことごとく失敗し、そばの203高地に兵力を集中し、そして旅順のロシア軍を降伏させたのは第4軍の指揮官ではなく、直々に・・・が指揮した結果ですね。
 でも、大砲などの重火器の部分があとの記録では抜け落ちたような扱いだったのでしょう。突撃だけを美化するためにね。その結果が「突撃大好き帝国陸軍」となり、ノモンハンで死傷率70%以上になっても原因を考えず、口封じだけをしましたね。
 そして、元亀天正の頃の装備に毛の生えた程度の武器でアメリカに戦いを挑むということをしでかすとこまで突き進んだのでは。中国は内戦もあって弱っていましたし、仏印ベトナムとかマレイ半島とかインドネシアとかは支配国がヨーロッパでドイツと戦っていた隙を突いてような感じで支配地域広げていっただけですね。
 航空機とかよかったのですが、相手は改良しているのに初戦のときの勝利に酔いしれて実質的には改良しなかったですね。
 イギリスの戦艦を航空機で撃沈しながら、戦艦主体の艦隊編成を変えようとしなかった海軍。まあ、後で慌てて戦艦の予定を空母に変えたのがあったっけ。
 組織を強くするのは、犯罪行為は別にして「失敗」を隠さず表に出し、その失敗の原因を検証し、失敗を繰り返さない方策を考えることでは。犯罪行為は処罰対象ですね。
 この「歴史を鏡」とするための前提の一つが先の大戦では近隣諸国は「侵略された」と認識していることを認めることではないでしょうか。

2008年11月2日
またまた、戯言が。「侵略国家はぬれぎぬ」という論文を出した自衛官更迭される

 10月31日にYahooで見つけた時事通信配信の記事に『「侵略国家はぬれぎぬ」=空幕長が懸賞論文で独自史観−日中戦争正当化、反発必至』というのがありました。
懸賞論文なので、審査担当がいるはずですね。最優秀に選んでいるところを見るとこの審査担当者の頭の中も想像できますね。
 これに取り上げようと思っているうちに、防衛大臣が「更迭」すると言明して「更迭」されましたね。
 日本とアメリカ、イギリスなどとの違いは「公文書」の扱いに端的に出ています。あちらは不利なのまで結構きちんと整理して保存しており、適切な年数経過後、公表されています。それで、日本との外交文書が公開されて、政府答弁との食い違いが指摘されて、騒動が時々、起こっていますね。
また、戦争等についての第三者が研究して報告する制度があるということです。
 日本では、例えば、日露戦争の戦争史を編纂した大佐は左遷されたとか。正直に書きすぎたということでしょうか。司馬遼太郎氏が「雑談 昭和への道」のなかで語られていました。
今回の騒動もこの延長線上の自衛隊(旧日本軍)の体質から来ている可能性が大きいですね。戦後、大人しくしているけど、気を緩めたら、あの天皇制を潰しかけた亡霊が出てきそうです。「臭いものに蓋」体質ですね。身内にとって都合の悪いことを隠し続けた結果が満州事変、日華事変、太平洋戦争へと続いていったのです。
「侵略」かどうかは、外国軍が入ってきた国が思うことです。国外に軍を派遣した方がいうことではないと考えています。第二次世界大戦での連合国軍とドイツ軍ではフランスにとって、侵略軍は「ドイツ」でしょうね。アメリカ軍もフランス国内で戦闘をしましたが、こちらは「解放軍」といまでも思っている可能性が高いですね。でも、日本の近隣諸国は今回のようなことが日本国内であると一斉に何らかの意思表示をして、あの戦争は侵略戦争だと思っていると声明を出しています。
 侵略をうけた側は1000年経っても忘れないと思うべきです。主催社の経営するホテルを利用するのは避けます。日本を潰したくないので。天皇制を守りたいので。

2008年10月15日
ETV特集「戦争は罪悪である〜ある仏教者の名誉回復〜」を見て

10月12日に放送されていました。日中戦争開戦時に「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と見破った僧侶の話でした。
当時、ほとんどの宗教宗派が戦争に協力していました。これは、どこの国でもあることかもしれませんが、日本の場合、国家神道との関係もあってより協力的であった可能性があります。
なにせ、初詣に始まり、お彼岸、花祭り、お盆、お彼岸、新嘗祭、クリスマス、除夜の鐘とはしごする民族ですからね。キリスト教でも一部を除いて反戦はなかったようなので、仏教では「協力一色」だった可能性が強いですね。
国内の反対勢力を抑圧することで自らの思いのままに戦争を推進していた時代です。そのときに「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き始めたら、官憲にとってはゆゆしき事態ですね。それに、周りの住民にとっても「御上」(天皇を含みません)の威光に逆らっているわけですから、検挙裁判になりました。それでも、信条を曲げなかったのが真宗大谷派の高僧・竹中彰元であったというのです。真宗大谷派はこの事件で布教使資格のはく奪処分をしています。戦争協力状態でしたから当然かも。
問題はどうして名誉回復に70年も時間がかかったのかということです。戦争をしていなければ、大日本帝国憲法のままであるだろうし、近隣諸国民に多大な被害を与えることもなかったであろうし、国内的にも空襲を受けることもなく、また、戦場で戦死する者もでなかったであろうにです。
その戦争反対を唱えた僧侶や知識人、キリスト教信者は投獄されたりしています。それらの名誉の回復が遅々として進んでいない現状があるから、このような番組が作られたのでしょう。先週は「戦場の報道カメラマン」でした。
戦争をして勝てる見込みはなかったと思うのですが、軍部は理解できていなかったのでしょうね。状況判断ができないということでした。それと、同じ状況が現在の官僚にも見られます。「歴史を鏡」とする意味を理解してほしいですね。今度は戦争もできずに自滅しそうです。

2008年10月11日
戦争現場と報道写真

10月5日のNHKのETV特集「戦場カメラマン小柳次一〜日中・太平洋戦争従軍5千キロの記録〜」は「戦争現場と報道写真」の状況を考えさせる番組でしたね。
戦争というか戦闘場面とその報道との関係ですね。日本は早くから気がついていた?のか「戦意高揚」に繋がるような写真ばかりが大本営より発表されていましたね。
日露戦争のときからですかな。旅順攻撃での英雄的な場面とかですね。「軍神」とかですね。
実際は国民の目を現実の戦争から騙すためでしたね。旅順で203高地を確保するためには大砲の威力でロシア軍の機関銃などを破壊があって、突撃が生きてきたのに、あとあと「突撃賞賛」のみで扱っていたようですね。それが、日本軍の「突撃大好き症候群」に繋がったのかもしれないですね。
「戦場の現実」と「兵士たちの素顔」を国民に広く知らせることが報道には求められているのに軍の意向に沿っていたのが現実でしょうか。そして、多くの国で同じようなことが多かれ少なかれ起こっているようです。しかし、日本は徹底していましたね。そして、今でも『「戦場の現実」と「兵士たちの素顔」』はなかなか出てこないですね。
アメリカではベトナム戦争に対する反戦運動を盛り上げた要因の一つに「悲惨な状況(アメリカ兵のやベトナム人)の写真」があったようですね。戦争を続けたい為政者にとっては死者数より『「戦場の現実」と「兵士たちの素顔」』の方が怖いようです。
ソマリアからアメリカが撤兵した理由が「殺されたアメリカ兵の死体がトラックで引きずられていた」状況が放送されたというのが国民的撤兵要求に繋がったとか。ソマリアはベトナムの違って国連軍の一員だったかな。
そして、多くの報道は正確であるということと多面的であるということは両立しないようです。正確であっても偏った立場からという場合が結構あるので注意する必要があると考えます。
ただ、日本の大本営は酷かったですね。それが、大日本帝国憲法を潰し、天皇陛下に「死」まで覚悟させたのです。
いろいろな立場からの報道ができる社会を維持する必要があります。ただ、「個人情報の暴露」と「表現の自由」「報道の自由」を混同しないでほしいですね。

2008年8月28日
戦争犯罪に問われた者たち

8月24日NHK教育の「ETV特集」で「シリーズBC級戦犯」(2)として「−“罪”に向き合う時−」という番組が放送されていました。
この番組は、「BC級戦犯裁判」に該当したことについてでした。
いろいろ意見はあるのですが、天皇制崩壊の危機に陥らせた最高責任者たちの方はA級のほうで裁かれましたね。いまだに「天皇制を守った・・・・」というような本を出す人もいるのですが、天皇制を救ったのは天皇陛下自身ですよ。憲法規定にない越権行為で「ポツダム宣言受諾」を決断された天皇陛下です。
BC級戦犯の方は軍隊内では下層中間管理職にあたるぐらいの人たちが多いようですね。上官の命令により裁判なしでの殺害とかを実行させられた人たちですね。これらの人たちの上官の責任は?のまま、放置されてきてるのでは。
この犯罪に中に「現地住人を連行」しておいて、「このまま返すと我が軍の居場所がばれる」とかで婦女子を含めて殺害したのがあったといいます。これって、沖縄でもあったことではないでしょうか。ここにも、日本軍の体質が現れていますね。
現に裁判を通じてこの戦争について深く考えられた「飯田進さんは、獄中で自らの戦場体験を見つめ、戦前・戦後の日本社会の矛盾を訴え続けてきた。」というのです。
今の日本は「戦前・戦後の日本社会の矛盾」から目を逸らし続けているのでは。そして、1945年には戦争で、現在は公共事業などのバラマキで日本を滅亡に追いやろうとしているのではと思います。
どうも、「歴史を鏡」にできない民族のようですね。それと、日本民族も含めて「やられた」ことは忘れないですね。日本民族を含めてどの民族も「やられた」ことは忘れないですね。

2008年8月12日
東条元首相の手記を読んで思うこと

8月12日の日本経済新聞に1945年8月10日から14日にかけての東条元首相の手記が公文書館で見つかったという記事がでていました。これは新聞各紙にも出ているようです。
その概説と抜粋も掲載されていました。
開戦当時の首相ですね。ただ、陸軍に首相の椅子が回ってきたため、陸軍からということもあるようですね。そして、陸軍大学首席卒業の現役大将の東条英機が首相になった。もし、卒業序列が低ければ、首相にはなれなかったのではと思います。当時、だれが首相になっても開戦に突き進んでいたのではというような日本の状況ですね。それが非常に大問題なのにだれも触れようとしない。日本にはヒトラーみたいな人物はいないのです。東条英機を含めて「官僚」国家だったのです。それがどうしてかということは徹底的に解明していく必要がありますね。
少し調べれば、アメリカと戦争をすれば、どうなるかぐらいは想像できるはずです。それを調べなかった。調べても過小評価したり、無視した。日本の国力の絶対視にのめり込んだ。などが重なって自己陶酔に陥ってしまっていたのです。そして、大日本帝国憲法を潰す戦争に突入していったのですね。
当時、アメリカはドイツと戦争するためのきっかけが欲しくて日本を挑発していたようですね。それにうまく乗ったのが日本。その割には、アメリカも油断していた面があるようですね。フィリピンとかです。
長くなりましたが、手記の方ですが、状況認識ができていない。今の官僚というか行政機構の政策にその遺伝子が引き継がれていますね。沖縄の戦闘状況などの報告とがなかったのでしょうか。単に「玉砕」という報告だけかな。よい情報も悪い情報も適切に収集されたり、上層部に報告されてないのでしょうか。悪い情報の方なのですが、それを総合的に考える力がなかったのでしょうね。
「最後にどこかで決戦をして、勝利を収めて講和」という願望も書かれていますが、状況を認識できていれば、出てくる発想ではないですね。このような認識の甘さは今でも日本の各所で繰り返されていると思います。
別段、東条英機は卓越した指導者でない、当時の普通の官僚だったのです。そして、現在も普通の官僚が各所で東条英機のような「狭い視野・甘い認識」で族議員、たかり勢力と力を合わせて国を破綻に向かわせているのが現在だと考えます。

2008年6月29日
歴史的事柄の解釈「被害者側の感覚」

6月28日に朝日新聞のサイトで『下関市教育長「植民地支配は歴史的事実に反する」』という記事を見つけました。そして、29日には日本経済新聞の社会面に『「世界 いまを刻む」アメリカの日系人住民 「強制収容所の記憶 伝承」』というのがありました。
28日の方は支配者側の論理ですね。それに対して29日の行動は被害者側の論理ですね。アメリカは日系人強制連行について、「談話」ではなく国会決議で公式に非を認めています。それでも、日系人は強制連行の体験を子孫に受け継がそうとしているのですね。
で、日本の植民地支配については渡海文部科学相は27日の会見で、「我が国の植民地支配によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたという認識を政府は表明しており、私の認識も同じ。もしそれに反する発言ということであれば、大変遺憾だ」と話したというのです。
教育長という公的立場にある者が政府見解に逆らったわけですね。それも、近隣諸国の神経を逆なでする形でね。
「被害者側の感覚」を理解できないのでしょうね。ですから、『アメリカの日系人住民 「強制収容所の記憶 伝承」』についても教育長は理解できないのでは。そして、多くの民族が他の民族にされたことについて1000年経っても「忘れない」ということをね。
何年か前のNHKスペシャルでしたか、「エルサレム」という番組の中でパレスチナ人にインタビューしていました。そのパレスチナ人は「先祖が十字軍によって殺された。」と話していました。
左様、やられた方は忘れないのです。

2008年4月22日
映画「靖国」の公開近づく

4月21日に朝日新聞のサイトで『映画「靖国」公開、5月3日から渋谷で 各地も続々と』という見出しの記事がありました。
この映画、ガチャガチャ言っていた勢力は上映中止に追い込みたかったのかもしれませんね。試写会を見たにもかかわらず、内容も確認せずに近い感じで。
養老孟司氏が「バカの壁」で言われていたこと、「知っているという思い込み」とか「信条に反する」とかで、情報を拒絶してしまって、取り入れて考えてみようということができなくなっているのでしょうね。
太平洋戦争に突入していったときの軍部や官僚、右翼などが仲間内の言葉だけを聞くことができ、ほかの情報を黙殺して危うく天皇制を潰しかけましたね。そのときと同じような感じかな。
中国のチベットのことをいえた義理かなとも思います。ある考えだけを押しつけようとするところは、北朝鮮と同様ですね。
ところが、図らずも社会問題化して、逆に注目が集まって上映ということに。それも、はじめより多くの映画館でということになりそうですね。
なにか、今の日本は「内向き」思考が強くなっているように感じられます。エネルギーや食糧などの自給率を考えると「外向き」でないとだめだと思います。
企業買収でも過剰反応がよくありますね。それも、「内向き」思考のなせる技でしょうか。
外部からの視点に立って物事を考えることも大切であると考えます。

2008年4月4日
ドキュメンタリー映画「靖国」上映中止問題で思うこと

4月1日に朝日新聞のサイトで『マスコミ関連労組、相次ぎ抗議声明 「靖国」上映中止で』という見出しの記事を見つけました。
上映中止の経緯等についてはその後もよく報道されてます。また、上映中止が相次ぐ中、大阪のある映画館が上映するということです。
これで、思ったことは政治的意味合いのなくなった日本教職員組合の教育研修集会を中止に追い込んだ風潮と同類ではということです。
「反対意見」「批判的意見」の圧殺ですかな。この映画の意味するところではなく、自分たちの主張と異なる部分があるかもしれないということだけでの圧殺ですね。
このような風潮が広がると日本も北朝鮮やミャンマーの同レベルの国であるいう証になると考えます。そして、日本を破滅に向かわせるのではと思うのです。
くどいですが、今度、日本が破滅すると靖国神社は廃止されるでしょうね。天皇制も。そうならないためには、「歴史を鏡」として、ドイツと同様に徹底的な「自己解剖」を積み重ねる必要があると思うのです。それを、避けようとする勢力が国を潰す元になっていることは歴史を振り返ってみれば明らかであると思います。
天皇制を守るためにも、ドキュメンタリー映画「靖国」が上映できる環境をつくるべきです。

2008年3月29日
沖縄の集団自決に関する訴訟判決で思うこと

3月28日に沖縄集団自決訴訟に対する判決があり、大江健三郎氏、岩波書店側の勝訴という結果でした。
焦点は、自決に軍が関与したかどうかですね。そして、集団自決のあった地点には軍がいたこと。自決用に手榴弾などを渡していたことなどを上げて、大江氏側勝訴となったわけです。
大江氏の「沖縄ノート」は特定の司令官名をあげていたのでしょうか。
「ビルマの竪琴」にでてくる小隊長は音楽学校出身で兵隊に合唱を教えていたというのがありましたね。映画では、その音楽で敗戦(今回、訴えた方は「終戦」といっているのでしょうか)の時に戦闘のなく、友好的に捕虜になったとか。その時、三角山の司令官は頑迷に「敗戦」を信じず戦い続けていたとか。ようするに司令官にも良識を持っておる人も幾分かはいたということです。頑迷なのはたくさんいたかな。
また、敗戦後の中国で現地に残って国民党軍閥と共に戦いを続けた兵隊がいたということを元にした映画「蟻の兵隊」というのがあります。単行本も出ています。
兵卒の自発的意志ではないでしょうね。軍上層部の密約でしょうね。
また、満州の731部隊での人体実験などの隠蔽とか、軍上層部は都合の悪いことはひた隠しにしてきた歴史があります。それから見ると今の自衛隊は健全ですかな。比較する相手が悪すぎるのかな。
それと、「死人に口なし」です。集団自決したということは死んでしまっているのです。命じた方がシラを切り続けたら真相は分かりませんよ。
日露戦争に始まった軍部の「ごまかしの歴史」が日本を破滅に追いやったのです。そして、天皇制をも潰しかけたのです。
ドイツみたいに「歴史を鏡」にて、「自己解剖の勇気」(この言葉は。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」より)を持たないと日本は再び「破滅」へと進みかねません。今度、破滅したら「天皇制」が廃止される危険性が非常に大きくなります。そうならないためにも、歴史の歪曲は止めましょう。

2008年3月23日
日本に「信仰の自由」はあったのか。

3月19日に朝日新聞のサイトで「沖縄の戦死者遺族、靖国合祀の取り消し求め提訴」という見出しの記事を見つけました。それで、「信仰の自由」が日本に存在したのかということが???がでてきました。「信仰の自由」には「信仰の拒否」または「他宗教への信仰の拒否」が含まれているはずです。
日本はもともと多神教の国ですね。ですから、一神教みたいなことはなく、外来の宗教も受け入れてきたのでしょう。でも、古来の宗教観が壊されることはなかったようです。ところが、外来(日本古来のもにもある可能性はあります)の一神教は、その宗教だけを信仰するかどうかだけですね。外来(日本の一部を含む)の宗教を信仰すると言うことはそれ以外を信仰することができない教義になっていますね。
「靖国神社」の問題はこのような点で起こってくるのでは。「信仰の自由」には「信仰の拒否」も含まれるべきであると考えるのですが、日本の歴史を振り返ってみると「信仰の拒否」の否定の歴史が見え隠れしています。そして、特定の思想の強制をした時代がありましたね。
江戸時代は、今みたいな権利意識はなかった時代ですので、「寺請制度」による強制ですね。これで、仏教への庶民の信仰形態が形骸化したのではと思っています。
明治になってからの「国家神道」です。この延長線上に出てくるのが、「靖国神社」ではと思っています。
「信仰の自由」の否定が「言論の自由」の否定に繋がり、太平洋戦争へと繋がっていったのではと考えています。そして、大事な「天皇制」(国家神道にとって大事な)を自ら潰しかけたのが現実です。
太平洋戦争をしていなければ、今も「大日本帝国憲法」のままだと思います。それを「日本国憲法」に改定せざるおえなくしたのは「靖国神社への合祀」などに見られる国家主義ではなかったのではと考えている次第です。

2008年2月18日
過去と向き合う勇気、自己解剖の勇気

2月17日の朝日新聞の社説は「弁護士増員―抵抗するのは身勝手だ」というのと「豪首相の謝罪―過去と向き合う勇気」とでした。
どちらも、「自己解剖の勇気」ということでは通じるものがあると思います。
オーストラリアの先住民にたいする植民統治の誤りを謝罪したものです。詳しくは朝日新聞やオーストアリアの報道で確認してください。そして、このような動き、イギリス政府の奴隷貿易に関する謝罪、カナダ政府の先住民に対する謝罪、アメリカ政府の日系人に対する謝罪と補償などですね。
これらは、自国の過去の行為に対する検証抜きではできないことですね。
過去と向き合うことができるというのは、現状においても「自己解剖の勇気」を持っているということです。
これらの国に共通しているのか政府公文書の公開制度ですね。日米交渉での状況もアメリカ公文書館から公開されて論議を醸したことがありましたね。ある程度、年数が経てばすべてを公開するという仕組みがイギリスをして滅亡から救っているのでは。
日本はこの「自己解剖の勇気」を持ち合わせていないようですね。ですから、「過去と向き合う勇気」もなく、国際的に孤立していこうとしているのではと思います。
そして、この国は「受けた被害」は忘れないが、「与えた被害」に対しては「健忘症」のようですね。この「与えた被害」というのは近隣諸国民に対してだけではなく自国民に対しての「与えた被害」も含まれています。

2008年2月12日
建国記念の日

2月11日は建国記念の日でしたね。今年で皇紀2668年です。まあ、この「皇紀」西暦より660年長くなるようにつくったとか。だから、神話上の天皇在位期間が異様に長いですね。そして、歴史上になると普通の人と同程度。
それはおいといて、「建国記念の日」を巡る動き、「日本の建国を祝う会」が開催されたり、「建国記念の日に反対する集会」が開かれたりしています。
ところで、「紀元節」が「建国記念の日」と名前を変えて復活するまで大分期間を要しましたね。これはどういうことでしょうか。
それは、先の戦争で危うく天皇制を潰しかけた勢力が戦争推進派であったことと関係があるのでは。天皇のあずかり知らぬところで「天皇」の名を使って戦争をしていた。そして、近隣諸国に多大な被害を与え、国内でも多くの犠牲者を出したことに関係しているのでしょう。
「日本の建国を祝う会」に参加された方々、このあたりをドイツみたいに直視されていますか。昨年でしたか、NHKスペシャルで「エルサレム」について放送されたとき、その中であるパレスチナ人が「祖先が十字軍に殺された」と話していました。殺された方の民族はこのように忘れないのです。そのあたりが判っていないのでは気になっているのです。教科書検定などの出来事を見るに付け、また、自滅の道に進むのではと危惧しています。

2008年1月1日
未来のために不幸な過去の直視を

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、昨年12月に福田総理が中国を訪問しましたね。北京大学で講演をされました。これは中国全土に中継されたということです。
その中で、日本と中国の間の歴史について、「不幸な時期を直視し、子孫に伝えていくことが我々の責務だ。過去を見据え、反省すべき点は反省する勇気と知恵があって、はじめて将来に誤りなきを期すことが可能になる」との認識を示されたというのです。これは、先月も書きましたが、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカーの講演「荒れ野の40年」(1985年)のなかに「過去に対して目を閉ざす者は、未来に対しても目を閉ざす」という意味のことがありました。これと同様の意味だと思いたいです。
先月の沖縄戦についての訂正申請で自由民主党の一部議員が異議を唱えていたというような報道がありました。この議員の方々、「被害者は忘れない」ということを忘れているのでしょうか。この忘れっぽさが反感を買っていることに気がついていないようですね。
2008年をさらによくするためにも「未来のために不幸な過去の直視を」してほしいですね。