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主に社会的なものを集めました。2009年8月15日頃よりです。これ以前のものは「政治経済企業」や「総合その他」をご覧ください。
新しいものが先頭になるように配置しています。
過去分 2010年12月まで  2009年12月まで

2011年12月17日
「やさしい虐待 〜良い子の異変の陰で〜」虐待について考えましょう

 2011年12月14日のNHKクローズアップ現代で「やさしい虐待 〜良い子の異変の陰で〜」という題の番組がありました。番組の冒頭での取り上げ方から日本評論社の「こころの科学セレクション」シリーズの中の「依存と虐待」斉藤 学 編集にあった「共依存と見えない虐待」に中に述べられている虐待と通じるものを感じました。この本は1999年12月に発売されています。漸く、NHKでも取り上げられるようになったという感じがしました。
 この件については以前にも触れていますが、今回、また書かさせて貰います。
 子どもは親から徐々に離れていく傾向があるのが普通です。そして、反抗期や何らかの事象のあるときに自立することになると思います。共依存状態ですと、親が子どもに干渉しすぎることになっていくようです。それは、躾であったり、学習面であったり、するというのです。一般的に言われている「虐待」は暴力や暴言で子どもを支配しようとして、身体を直接傷つけ、精神面(人格)も傷つけます。ところが、共依存的要素による「やさしい虐待」では、周りから見た場合、「躾」を優しい言葉で、「学習」については成績面ですが、「頑張れ」とかで一見「良好な親子関係」にも取れるようです。しかし、どちらの親の意向に従わせること、子どもに依存し、自らの安定を得るために子どもを利用してとも考えられます。
 ですから、躾が行き届き、学業成績もよい子がこの「やさしい虐待」の被害者になっている可能性が高いわけですね。世間的に「良好な親子関係」とみれますからね。「親の期待」を子どもに押しつけるのも「虐待」ではないのでとも思います。「家族会議」で子どもの進路を決めるというのも虐待に繋がる可能性が高いわけですね。大抵は、「親の意向」に従うことが多いようです。「家族会議」と銘打ってする前に「親子で相談」というのが普通あると思うのです。その時、「子どもの本心」からの希望とかが伝えられているからですね。まあ、軟弱な希望のこともありますが、中には「?」と思うような結果を聞いたこともありました。「見えない虐待」の可能性が。また、成績での縛りですね。これも「見えない虐待」の可能性が。
 子どもにとって、第二次世界大戦前の方が進路の選択肢が実質的に多かったのでは。戦後、多くの価値観が潰れて「偏差値」というものを「魔物」にしてしまったようです。また、内申書重視の高校入試で「校内順位」という魔物も作ってしまったのです。
 それによって、ほとんどの親が子どもに期待するのはどこも「高偏差値」「高内申点」と同じ目標になり、子どもを追い立てており、学校でも追い立てているのでは。そして、「子どもは親にそのままで愛されている」という当然の権利が無視されている家庭が増えてきたのでは。要は「子どもを順位や偏差値の善し悪しでしか評価できない親や教師」です。これは、ある時の「カウンセリング研究会」であったある高校からの報告を聞いたときにも感じました。ところが、報告者は気がついていないのですね。
 「子ども」は生まれたときから親の愛(成績とか関係なく)を受ける権利を持っていますが、それが十分ではなく、且つ、「親の意向」のみに従わせようとしていることが原因の一つと思うのですが、いかがでしょうか。

2011年12月11日
温暖化対策について

 2011年12月11日未明に「南アフリカで開かれている気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)は、2012年末で期限切れとなる京都議定書の温室効果ガス削減義務の延長の決定と、すべての国が参加する法的義務のある新体制に向けた行程表を含む「ダーバン合意」を採択し、閉幕した。」ということです。
 気候変動が今みたいな「猛暑」とか「豪雨」でおさまっている間に対策を立て、取り組む必要のある課題ですね。「農地の砂漠化」は起こりやすく、「砂漠の農地化」は弛まざる努力が必要だと思います。そう、70億人を越えた人類を養うのに必要な食料生産をどう維持していくかという問題が近いうちに出てくると思います。
 現在の生物科学を活用しても、やはり「農地」という問題が付きまとうでしょうね。雨の降りすぎでは、今年のタイの洪水で農業生産はどの程度打撃を受けたのでしょうか。日本にとってはタイの米は輸入しても売れないので報道されていないのか、大した被害がなかったからなのかどっちなのでしょうね。
 オーストラリアでは「干ばつ」が頻発していますね。そのうち、全土が「砂漠」になったりしたら、日本はどうなるのでしょうか。アフリカでは「チャド湖が干上がっていっている」現象は「砂漠の拡大」と考えられますね。そして、アマゾンなどでの森林伐採も気になるところです。
 ブッシュ前大統領が「温暖化対策は経済に悪影響がでる」とかいって、京都議定書を批准しなかったですね。その結果がGMなどの倒産などの悪影響が出ましたね。結局は、温暖化対策は「エネルギー利用の効率化やエネルギー資源利用の分散化などで、経済に優しいところも出てきていますね。
 「リーマンショック」はGMなどの不振でアメリカ経済の深部で不況風が吹き始めて、従業員の賃金が下がって、新規住宅購入が少し減ったことが原因かも。それは、低燃費の日本車などにアメリカ車が負けたからかも。まあ、複合要因のひとつでしょうね。格付け会社の格付けを鵜呑みにし、CDSに頼りすぎるという「考えていない投資」ですかな。今回のEUの国債問題もですね。私は「同根」だと思います。
 まあ、話は逸れましたが、元に戻すと「食料生産どうするの」ということを考えて見て下さい。今の増産計画は「気候変動」が気温とか雨量とかで「降雨地域の変動」はない前提だと思います。砂漠の拡大が起こり始めたら、都市は維持できても、農地の維持は出来ないでしょうね。
 ですから、クリーンエネルギー利用や自動車などの低燃費化、公共交通機関の利用拡大、冷暖房を使わなくてもよいような住居の開発、とか手当たり次第の取り組みが必要だと考えます。

2011年11月5日
早生まれの子どもは様々な問題を起こしやすい?大人が原因では。

 2011年11月3日にinfoseekで見つけたロケットニュース24配信の記事に「早生まれの子どもは様々な問題に陥りやすいことが判明 / 成績不振、退学、タバコ・酒・麻薬、いじめなど」というのがありました。詳しくはネットで探してみてね。
 以前、日本経済新聞でスポーツ能力について同様な調査記事があり、その時は確か「サッカー」だと記憶しています。年代は小学生対象だったと思います。正選手に選ばれる割合は遅生まれのほうが、そのなかでも4〜6月生まれが多いというものでした。これは、小学校の学年単位で子どもを見ているためと思います。小学生での生活年齢1年のさは大きいですよ。
 過去に、朝日新聞の連載「いま、学校で」の中にあったのに、小学校新入生を生まれた月ごとに分けてクラス編成した例が出ていました。そして、1〜3月生まれのクラスは4〜6月生まれ主体より幼かったとね。これが、意味することは同じ尺度で評価してはいけないということですよ。
 それを、イギリスも同一学年で同じ尺度で小学校低学年から評価しているから起こったことでしょうね。
 子どもはだれもが「褒められる」ということで成長していくのではと思います。少なくとも、他人と比較されないでありのままを親が受け入れてくれるという状態が必要なのでは。親はまず、子どもがいるということを成績とか関係なく愛することが必要なのでは。
 低年齢の時から、同年代の他の子どもと比較されてきたら、よい気分はしないと思います。兄弟でも、親は比較しないというのが当たり前ですよ。子ども同士は勝手にわかってきますからね。
 このようなことで、劣等感を持ち始めたら、当然、成績不振、たばこ・酒やいじめなどに陥りやすくなりますよ。

2011年9月30日
海水浴場での喫煙に罰金

 2011年9月30日早朝にniftyで煮付けた神奈川新聞の記事に『海水浴場での喫煙に罰金「大磯町美しいまちづくり条例」成立/大磯』というのがありました。詳しくは新聞でね。
 海水浴場での喫煙については多くの自治体で「禁煙」の方向になってきていますね。大磯町はその効果をさらに高めるために「罰金」を始めるのだと解釈しました。喫煙の害については、今までいろいろと広報されてきましたし、この3月の原発事故に関して、「放射線障害の程度と喫煙の害の程度の疫学的調査結果」も新聞に出ていましたね。
 そこには、以前にも書いたように「受動喫煙」(夫婦間)でも一方が非喫煙の場合、非喫煙者の被害の程度は年間200ミリシーベルトぐらいになるというのがありました。くどいですが、今、問題になっているのは放射線では1ミリシーベルトや10ミリシーベルトなどですね。それから比べると、喫煙の害というのは大きいものなのですね。だから、「罰金刑」なのでしょうね。
 だから、たばこの害への取り組みを放射線と同様な程度まで厳しくする必要があるのではと考えます。ですから、復興財源としての値上げではなく、健康のためへの値上げになるので恒久的にもっと値上げするべきです。どうせ、すぐには喫煙者は急減しないでしょうから、関係業者の転業を進める時間はある程度確保できると思うので、値上げを。

2011年9月28日
中国で信号故障による事故発生

 2011年9月27日に中国上海の地下鉄において設備故障で徐行運転中に停車中の先行列車に後続が追突したというのです。この信号装置は7月に高速鉄道でも故障して、事故を起こしましたね。そして、多数の死傷者が出ました。今回は徐行運転中だったようで負傷者のみですみましたね。
 日本でも、鉄道事故が多発した時期もありましたが、どうも様相が違うようですね。こちらは、世界各地から最新技術を導入してですね。中国国内でも問題になっている「中国4000年の賄賂の歴史」の証明みたいな感じがしています。今回の事故は、ニュースで聞いていて「?」と思ったのは確か「徐行中」でしたね。「なぜ?」。
 日本での乗客を乗せているときの徐行運転では考えられないことですね。先の高速鉄道では後続への連絡がなかったみたいで、今回は指示があっても追突。中国も国を挙げて「金」「金」に突っ走ってしまっている感じを受けてしまっています。それは、国民に不満感を抱かせないようにするためのように感じますが、逆効果になっているみたいですね。この地下鉄や高速鉄道も作られた経緯の中に「対国民」というのもあるでしょうね。
 まあ、一党独裁をしている国の宿命かもしれないですね。今、中東などで起こっているのは、実質一党独裁やそれに準じている体制の国での革命ですからね。

2011年9月4日
「体罰=愛」の誤解

 2011年9月3日の日本経済新聞夕刊「こころ」面に「児童虐待を生む土壌 川崎二三彦さんに聞く」という記事がありました。川崎二三彦さんは現在「子どもの虹情報研修センター研究部長をされているということです。
 記事の中の大きな見出しに『「体罰=愛」の誤解いつまで』と「子の行動、親は熟知を」というのがありました。「体罰は法則的にエスカレートせざるを得ない」というのです。民法にある親の子どもへの懲戒権ですね。これに体罰も含むという意見があるというのです。このようにいっている人は自身どうなのでしょうか。はじめは軽い体罰でも、普通はしてしまうと子どもは大きくなっていくので、次はより強くとエスカレートするというのです。まあ、全員が全員ではないですけどね。でも、多数がエスカレートしているというのが現状かも。
 躾とかからの体罰は、ほとんどは「子への無知」からきているとも思えるのです。「なつかない」→「殴る」というのはよく報道されているパターンです。また、例えば、食事の時の躾でも「早すぎる躾」を判っていないとかですね。子どもの成長と行動に対する無知状態ということです。親は子どもを熟知しなければならないのですが、基礎的教養がなければ難しいですね。今の教育のように順位とかのめり込んで、本来必要な教養が無視されている感じがするのです。授業があっても「授業した」というだけで「教養」になっていないのですね。
 体罰は虐待へと繋がります。そして、この「体罰」も「虐待」も「見えない」というタイプもあるのです。「見えない虐待」とかになりますと、子どもの親も気がついていないことが起こりうるのです。俗にいう「勉強」ですが、一見進んでしているようでも「見えない虐待」状態の場合はどこかで切れることがありますよ。大人になってからの「家庭内暴力」とかもね。DVとかいう形で問題が出てきたりします。問題が出てこない家庭が「理想的」とかいわれているのが現状でしょうか。親子とも気がついていない状態だけなのにです。
 これにあるのは、基礎力を十分につけてより発展的にではなく「取り敢えずその場しのぎ」になってしまうことが多いみたいですね。ですから、勉強時間の割に効果がなかったり、昨日も書きましたが、大学入試センター試験「生物」で考察問題を増やすと平均点が下がるような勉強になってしまうのですね。
 順位競争の見えない虐待に落ち込んでしまったら、子どもが家庭内暴力を起こしても親は気がつかないでしょうね。これは、世間一般がそうなってしまっている感じがします。あの大阪府知事の橋下氏などはその典型でしょうね。子どもそのものを親が受け入れなくなってしまうとも思うのです。子どもにとっては居場所がなくなるということになります。
 おかげさまで、世間に間違った子育て家庭が多かったようなので、家でゴタゴタいうことなく難関大学に進学してくれました。

2011年8月15日
2年連続靖国神社閣僚参拝パス

 2011年8月15日「敗戦記念日」、まあ、確かに戦勝でも戦敗でも戦争が終わったことには違いはないのですが、本質を後世に伝えるためには「敗戦記念日」の方がいいのではないかと考えます。
 「靖国神社」は本来、国のためですね、戦った人を祀っていると聞いているのですが。本日が記念日になっている戦いは自滅的な戦争ですね。調べれば調べるほど、気分が悪くなる戦争ですよ。司馬遼太郎氏は「ノモンハン事件」を小説にしようとされたというのです。でも、調べれば、調べるほど「気が狂いそうになる」という理由で執筆断念されたとか。若い人に書いて欲しいと。たしか、これは「雑談 昭和への道」もしくは司馬遼太郎講演集にありました。
 そして、この戦争に突入していった時の政治情勢は今とある意味同じ、政局ばかりで建設的政策議論がなかったとか。ですから、あの時、だれが首相になっても「戦争突入」でしたかな。ですから、特定の個人攻撃では解決しないのが当時の状況なのでは。ただ、だれが首相になっても同じような政治情勢が作られてしまったことへの反省、そのような状況が起きた原因、そして、現在の検証、よりよい未来への取り組みが長い間全くなかったのでは。この反省、検証、未来への取り組みの切っ掛けとして、今日閣僚の参拝がないということに繋げて欲しいですね。
 あの時、たまたま軍部や政治の中枢にいたものが首相とかして、戦争突入を決め、実行しましたね。そして、教えるべき「国際法」も無視という野蛮なことをしています。今日でも「国際関係」の本質を理解している政治家はどの程度いるのでしょうか。
 今を見つめ、将来を考えるために「今日は敗戦記念日」ですよ。過去を検証しないものに未来はないですよ。

2011年8月13日
のどかな国の民主党代表戦

 2011年8月13日になりましたね。先日、懸案3案(補正予算と公債特例法案と再生エネルギー法案)が成立および成立の目途がたったということで、菅首相の8月内退陣が現実味を帯びてきましたし、本人もその気のようですね。
 まず、民主党の中に未だに「マニフェスト」の即時全面実施を喚いているのがいるようですね。震災がなくても予算がないため、実施の目途は立ってないということに気がつかない面々が少なからずいるということですね。昨年度の予算では「赤字国債」の発行を増やしての不完全実施でした。今年度予算はもうどうしようもないのにまだ喚いていますね。
 完全実施は即時でなくてもよいのです。それより、財政の健全化の方が先なのに、国家財政支出はまだまだ無駄が多いとでも思っているのでしょうね。例えば、河川改修よりマニフェストという面がありましたね。今年の豪雨でどう考えを変えたでしょうか。変化なしみたいな予感が。バブルがはじけた後、しばらくしてからの緊縮で無駄は減ってきていますが、一律削減の弊害で本来必要とするべきところも減額されているのですね。
 そして、担当者の頻繁な異動とかで「エキスパート」がいなくなり、いろいろなところで問題が出てきています。そして、必要な人へ予算が回らなくなってきていますよ。
 勉強不足でブレーンなしの「政治主導」を変えるつもりがないと思われるため、逆の意味でだれが首相になっても変化なしという感じです。ただ、どうして、参議院選挙で負けたのかを検証しておかないと次の衆議院選挙でも敗北でしょうね。菅首相が消費税のことを言ったりとかより、改革に逆行姿勢を示したことが理由だと思います。
 あの郵政選挙の時は「郵政民営化」一本で小泉元首相は戦いましたね。そして、勝利、その後、郵政民営化反対で自由民主党を離れていた国会議員を復党させました。これこそ、選挙の公約違反ですね。それで、郵政選挙の次の参議院選挙で自由民主党が敗北。民主党は承認人事で「元官僚」に反対姿勢を示しました。そして、先の衆議院選挙で民主党が勝利したと思ったら、「郵政逆戻り」の政党と連立を組むわ、「元官僚」を郵政の社長にするわで「改革逆行」を印象づけましたね。
 事業仕分けは面白い面もありますが、どちらも勉強不足ですね。結局、本丸は落とせず、味噌をつけた程度ですね。
 今、民主党の国会議員に「国家の危機」意識がどのような形でどの程度あるのでしょうね。自由民主党も含めて、国会論戦や運営をみているとあの戦争に突入していった時代、国民には厳しいですが、政権上層部は内部抗争に明け暮れるのどかな状況とそう変わりはないのではとも思います。そして、当時は敗戦。今は、財政破綻かな。あの当時、陸海軍はそれぞれ自説を曲げなかったようですね。ただ、「開戦」では一致してたみたい。今の民主党はそれより、マシみたいですが、現状を理解できている国会議員が少ないように感じるのが寂しいです。

2011年8月5日
絶対安全などはないですよ。リスクとどう付き合いますか?

 2011年8月3日放送のクローズアップ現代は「全県民被ばく調査 〜不安は解消できるか〜」というのでした。福島県民200万人を対象とした内部被曝検査ですね。そして、出てきたのが「安全の線引き」です。
 この「安全の線引き」とは、ある被曝量までを「安全」、それ以上を「危険」と見なすことになると思うのです。原発事故も「絶対安全」というふうにいって建設した手前、手直しは出来ないし、想定外は考えることが出来なかったですね。これも、どこかで危険度を線引きして「安全」と「危険」に区分したためでしょうね。
 放射線の害は、線量が増加するにつれて増加します。ただ、人間の免疫機構の働きとかである量までは表に現れにくいですね。ですから、医療現場で放射線が利用されているのです。また、放射線利用による利益と害とのバランスを考えて利用されています。自然放射線レベル程度ですと、放射線を浴びないより浴びている方が免疫機構の働きが活発になるという報告もあります。でも、害もあるのですが、免疫機構の働きで救われているのでしょうね。
 では、どの程度の被爆までが受忍できるかということでしょうね。医療行為の場合は一応合意の上です。今回の事故は住民の方にとっては「被害」でしかないですね。でも、がんとかが出てきた場合、原因の証明はしにくいですね。特に喫煙者のがんはね。なにせ、喫煙者の妻(但し、こちらは非喫煙者)の場合のリスクが年200ミリシーベルトに相当するともいわれています。
 「すべての放射線線量で絶対安全はない」と思いますが、発症のリスクは大きく違ってきます。それとの付き合い方が出来ない場合、医療行為での放射線利用もできないと言うことになるのでけどね。当然、喫煙など出来ないはずですが、どうなんでしょうか。
 また、書きますが「絶対安全」はない。相対的に考える必要があるのが「安全」「危険」であって、常に安全の割合が増加するように考えて行動する必要があると思います。JR東日本で東北新幹線を含め、鉄道利用者の被害者ゼロというのは、安全に向けて行動を積み重ねていっていたからでしょうね。
 人間の健康も放射線量もある程度をこえると被害が大きくなりますが、そうでない場合は普通の生活で健康への取り組みが大切になると思いますが、今回の事故に関する場合、「安全の線引き」というより、「補償の線引き」にすり替えられないように監視する必要があると思います。それと、不安を与えられた精神的苦痛に対する賠償もケチられないようにね。

2011年7月26日
いつも平均値でのみ人を見ると

 2011年夏になりましたね。また、汗が良く出る季節ですね。ところで、汗ですが、これは訓練しておかないと「良い汗」が出ないともいわれています。
 また、汗の成分も「下手な汗」には有機物とかも含まれるとか。塩分濃度もですかな。
 最近はやりのスポーツドリンクは塩類や糖分などがほどよく含まれています。その理由の一つは「水」だけより吸収がよいからですね。なぜだかは、調べて見て下さい。水だけですとそう大量には飲めないですね。
 汗をかくと当然、塩分が少しですが出てしまいます。このとき、日本人の平均的塩分摂取されている人にとってはそれほどのことはないでしょうし、上回る人にとっては別の問題が起こるかも。汗の塩分濃度が血液より低いはずですからね。血液の濃縮の可能性ですね。
 もともと、塩分摂取が平均より少ない人が大量に汗をかくと、必要以上に塩分流出になる可能性が高いですね。さらに、水分補給を「水」だけでしていると血中濃度の低下という可能性も。そのためには塩分補給が必要なのですね。それで、スポーツドリンクというのが出てきたのでは。
最近、「塩飴」や「塩キャラメル」とかが注目されたために出てきたのが、「日本人の塩分摂取量が多い」ということですね。でも、すべての人が過剰摂取になっているのでしょうか。平均値だけでみて、分散を考えないといけないのではないでしょうか。
 某菓子メーカーの「塩キャラメル」に含まれるナトリウムから計算した食塩量は1粒(5g)あたり0.06gと表示がありました。100粒食べて6gかな。もっと、塩の多いのもあるかもしれないですが、がたがたいうほどではないのでは。どこかの放送局で放送されたみたいです。
 それより、皆さん「良い汗」を出せるように汗腺を訓練しましょう。普通はこの「塩キャラメル」は1日に10個なんて食べないでしょう。精々2〜3個までかな。

2011年7月14日
便利になって、皆が使い出すと

 2011年7月11日のNHKクローズアップ現代で「携帯がつながらない 〜災害時の備えは〜」というテーマで放送されていました。
 東日本大震災の時、携帯電話で家族などの安否確認をしたり救助を求めたりと多くの人が時を同じしたみたいに使用して、つながらなくなりましたね。これは、いったら悪いのですが「毎度のこと」。災害時には繰り返されてきています。
 それで出てきたのが、災害時の「安否ダイヤル」とかですね。それでも、やはり、直接確認したいのが普通ですね。阪神淡路大震災の時は、携帯電話は良くつながっていたみたいです。今回ではPHSがですね。要するに、回線容量に対して加入者が少ないとか少ない時代は良く繋がっているということですね。
 実際の災害時、被害が酷いほどすぐには安否確認をする余裕がないのでは。被害の程度が軽い方が安否確認に気が回るのでしょうね。だから、災害発生から数時間、繋がりやすかった時間帯がでてくるのでしょうね。
 新しい通信方法とを広める場合、普通は先行投資の費用がかさんで「基本料金」とかが高くなりやすいですね。私のところの光ファイバーでは、初期費用をがっぽり取られました。それから、何年かしたら初期費用無料で、月額基本料も低下しました。こちらは、われわれも対象です。ソフトバンクモバイルがホワイトプラン980円を打ち出せたのも、企業買収で初期の先行投資をする必要がなかったためでしょうね。
 どのような通信手段でも、津波などで設備機器が使えなくなってしまえば、そのエリアは使えませんね。
 結局、緊急通報や救急、消防とかの連絡には別タイプの方式を持ってこない限り、今の携帯電話システムでは今回同様のことが起こり続けるでしょうね。便利で皆が同時に使うと必ず「輻輳」が起こりますよ。これを防ぐ方法は回線容量を常に常に全利用者の同時使用を前提にするとかする必要が出てきます。
 各自の端末で音声通話もパケット通信にし、且つ圧縮率を猛烈に上げるとか、普通使用している現行の技術水準より大幅な向上が必要かも。
 昔は、携帯電話は繋がりやすかったようです。固定電話も加入者が少ない時代は繋がりやすかった。回線容量に対して加入者の少ないPHSも繋がりやすかった。このような事例から災害時などの緊急連絡用の通信手段を考えて見る必要があるのでは。「赤信号、皆で渡れば怖くない」、「電話、皆が同時に使うと通じない」、皆が同じ時に同じ行動を起こす限り、つきまとう問題でしょうね。

2011年7月12日
福島県、全肉牛検査へ

 2011年7月12日の報道によると福島県が全肉牛検査検査をおこなうということを決めたというのです。これは、「福島県南相馬市の農家から出荷された肉牛から国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出された」ということからですね。
 ところで、東京電力は賠償責任を認めながら、歩みが遅いですね。他の県での農産物出荷規制とかに係わる賠償の話も遅いですよ。茨城県などの漁業の方も。避難住民の方の生活保障も「ケチ」という印象ですかないです。
 このような状態ですと、避難指示区域などでない場合、「補償」についての猜疑心から、兎に角「売ってしまおう」という意識を持ってしまった農家が出てきて当然でしょうね。その際の飼料等についても「補償は」と思うと屋外に置いていた藁を使用したくなるのでは。雨によって・・・とか思ったのでは。
 このような感情をなくすのは、より被害住民の立場に立った「賠償」の仕組みを作る必要があるのに、東京電力、政府ともどもまだまだのようですね。政府の方はこの期に及んで「具体策なし」でストレステストを言い出す始末です。EUはストレステストを津波も考えたものに変えたのを作ったみたいですが、日本はこれだけの行政機構がありながら、考えてなかったというお粗末のようですね。「民主党型政治主導」の弊害かな。

2011年7月2日
「がんばれ」ほどほどに 「頑張り好き日本」に提言

 2011年7月2日に朝日新聞のサイトで見つけた記事に『「がんばれ」ほどほどに 日本うつ病学会提言』というのがありました。
 記事を読んでみて感じたのは、「頑張り大好き日本」に対する提言ともとりました。震災で被害に遭われた方が復興に頑張られているのが、いろいろな話題でよくわかります。ところで、「頑張り」ですが、この言葉の定義ってどのようなものなのでしょうね。
 見るからに頑張っている感じの人、黙々型の人、見かけは悠然としていても内面では頑張っている人など様々ですね。普通は、震災とか関係なく、人間は「頑張って」いるのですよ。そして、精神的に弱い人に繰り返し「頑張れ」と励ましたりすると、精神が安定を保てなるのでしょうね。それで、「日本うつ病学会」が提言をだしたということですかな。
 「うつ病」との関連とかもあると思うのですが、たしか、「うつ病」で「頑張れ」とかいう励ましはよくなかったと聞いたことがあります。震災で普通の状態より精神状態がよくない人が多いですね。そこに、無粋な励ましはよくないですよということですね。くどいですが、無粋な励ましはいつでもよくないと思います。励ますときは相手のことをよく考えてみましょう。

2011年6月30日
原発事故、B型肝炎訴訟、水俣病、などなどの共通点

 2011年6月28日にB型肝炎訴訟で国の謝罪による和解がありましたね。皆が菅内閣でがたがたいうのはこのような訴訟で、判決受け入れや今回のような形の和解が多いからではとも思うのです。このような点では、史上初めての国民に向いている内閣であったのではとも思っています。
 この補償総額が2兆円を越えるとか、3兆円以上とかいわれていますね。今回の原発事故の補償や廃炉費用やその他費用は何兆円にもなるとか。水俣病では、原因企業のチッソは「賠償企業」として存続しているだけみたいですね。その他でも、少しの費用とかをケチったため、後で多額の賠償を支払う事例が多数あります。
 B型肝炎ウイルスの感染についての知見から、注射器の使い回しのリスクの高さが出てきたわけですね。注射器を使い捨てにする費用ですが、どの程度なのでしょうね。結局は感染リスクを無理矢理低く見積もることで経費が感染による損失より多く見せかけたのでは。今回の和解額から見たら、言ったら悪いですが「端金」程度でしょ。それをケチったために。
 薬害エイズもそうでしたね。あれは、血液製剤の在庫処分が引き金だったようです。本当にケチな話ですね。水俣病も。原発では、福島第二原発の建物の配置が変更されたととを受けで、海水を被ったときの対策でもしておけばということかな。防潮堤の過信もあったようですが、海水を被っても、建屋内に海水が浸入していなかったらここまで悪化はしていないですよね。福島第二がそうだったかも。
 巨大防潮堤を作ったりするより安上がりです。東京電力の体力なら出来ていたのでは。この件は「安全神話」も絡んでいますが、防水加工工事ならこっそり出来ていたのでは。あの建屋風景の報道を見ているとこう感じます。ですから、浜岡原発でするべきはまず、電源車配置などととに建屋や送電線などの防水加工ではと思います。他の原発も出来るだけ早くですかな。釜石の防潮堤は1200億円以上だったですよね。
 なにか、少しの出費をケチって後で巨額の損害を出してしまったというのが共通点のような気がします。

2011年5月11日
「絶対安全」というのはありうるのか?「絶対安全神話の国 日本}

 5月6日に菅首相が中部電力に浜岡原子力発電所の全原子炉の停止を要請したというニュースがありましたね。この関連報道の中である一般市民が「絶対安全」というのをいっていました。この「絶対安全」というのはどこから来ているのでしょうか。
 この地球自身もいつ何時巨大隕石の衝突という運命が待っているかしれないのです。地球自身が絶対安全とはいえないわけですね。ですから、地球あげて隕石探査がおこなわれているのです。地震についてもいつどこで起こるかの予測は不可能ですね。ですから、耐震基準とかを設け、より安全にするというのできているのです。
 新幹線は開業以来、乗客の死亡はゼロですね。これは、より安全にという設計を常に深化させているからですね。今回の地震でも、地震計は沿岸部にも配置されていたり、先の阪神大震災の教訓を生かして橋脚の強化とかがされていましたから、事故もなく復旧が早かったのです。飛行機も以前よりは墜落等の事故が減っています。これも、「より安全に」と常に努力しているからですね。それを怠ると時々事故が。
 ところが、日本では「絶対安全」をはじめから求めて、原子炉建設ではそのために「最初の設定からは安全であるが、想定外はしらない。」という絶対安全になってしまったのでは。「絶対安全」といったからにはあとからの手直しはできないですね。それより、「事故は起こる」ということを前提にその発生確率を下げるとか、起こってしまった場合の手順をしっかりと計画して訓練しておくという方が大切なのでは。
 「絶対安全」が前提のため、日本での訓練は「やらないよりマシ」という程度の訓練になっているようですね。「絶対・・」とかいうのはナシにしませんか。そうでないと日本が潰れますよ。

2011年5月5日
「後悔、先に立たず」、漸くでた「事故は人災」

 5月1日に各報道機関で報道された東京電力副社長が「“事故は人災”」といったというのがありました。もっとも「個人的には人災だと思う」というものです。
 そう、長い間「想定外」「想定外」と自らの「思考停止」を棚に上げた発言が繰り返されてきたあとなので、「個人的には人災だと思う」と「個人的」がついていますがよく発言できたと思うのです。
 「人災」ですと、東京電力の賠償責任がより重くなりますね。もっとも、共犯に近い保安院はどうなるのかという問題がありますが、天下り状況とか考えると「税金は使って欲しくない」ですね。
 後で思えば、原子力発電所建設および運営費用からみたら、ごく小さい部分を「防災」に使っていたらということでしょうね。
 このような背景には、「過信」と「認識不足」による思い込みがあったのでしょう。それと、常に「絶対安全」を標榜したがる国民性の問題かな。だから、施設設備の変更が困難になっていると思います。事故などが起こらないとできないような風潮も。でも、「絶対安全」とかを唱えているうちに、いつしかそう信じてしまって「思考停止」状態になっていったのでは。
 太平洋戦争に突入していった日本軍も「神国日本」や「突撃神話」などを信じ込んで「思考停止」状態になり、周りにもそのような状況を押しつけていっていましたね。それと、同じような状況にね。
 今回の事故に関してですが、フランスでは「事故は起こるもの」として、対策を考えているとか。福島では「絶対安全」という意識の下であったためが、事故後の対策にいろいろ問題が多発していますね。
 外部電源の問題ですけど、どこかの原子力発電所では、原子炉が停止して発電が止まったとき、どうするかで「隣の原子炉の発電機から給電を受ける」というのがあったというのです。これは、マグニチュード7〜8程度の地震すら、想定していないということをさらけ出していますね。
 余りにも自然の力を過小評価していたのが今回の事故ですね。

2011年4月19日
常識があるのでしょうか。「転入者に放射線検査要求」

 4月19日のNHKニュースで『転入者に放射線の検査を要求』というのがありました。詳しくはNHKでですが、ごく初歩的な常識があるのかという疑いを持ちます。
 放射性物質を抱え込んで持ち込むのではないですよね。放射性物質から逃れてきているのです。それも極微量(政府発表)の放射性物質が出す放射線から逃れるためですね。
 放射線障害というのは、放射線を浴びることで起こります。放射線を浴びたということは何らかの障害が出てくる可能性を持ってしまったということですね。それも、その時に浴びた放射線量に応じて浴びた人がだけです。この点が伝染病とは大きく違うところですね。この単純なことを科学者がたくさん住んで、研究所も多くあるつくば市が判っていなかったことを実証したニュースですね。
 普通に学校教育を受けて、その内容を覚えるだけではなく「理解し活用できる」ようになっておれば、出てこない発想だと思います。ということは、つくば市のこのような対策を考えた人々に対する教育の効果は???の連発ですね。水戸市と取手市も類似の行為をしていたともね。
 普通の庶民の人ではないのですよ、市役所とかの幹部はね。私が時々「国会議員はもっと勉強を」とか書いています。この言葉をつくば市の幹部にもという思いです。

2011年4月17日
大阪地検での証拠改ざん事件の判決出る

 4月12日に郵便割引制度への適用不正事件の裁判で、押収証拠のFDにあるデータの記録日時の改ざんをしたとして証拠隠滅罪に問われた元主任検事前田恒彦被告(43)に対する判決が出ました。執行猶予のない懲役1年6ヶ月です。この刑期についてはいろいろあると思いますので触れないことにします。
 国民からというか、裁判に関して関心のある人からみると、実によく捜査して「真犯人」を逮捕起訴しているが沢山あるというも承知していますが、「冤罪」も結構あったという認識を持っているのではないかと思います。逆説的にいうと元主任検事前田恒彦被告は上層部に報告しているわけですね。よく報告したという気がします。でも、どうして改ざんしようとしてしまったのかという点についてどこまで踏み込んだ判決になっていたのでしょうか。
 今までに出てきた「冤罪」は「消極証拠」を無視してきた結果だと考えられるわけです。どうしてでしょうね。どうして、今回の判決で『有罪立証の妨げになる「消極証拠」とも誠実に向き合わなければならない検事の行為としては常軌を逸したものだった、と非難。』しているのですが、他の冤罪の判決では?
 この事件を契機に『法相が事件後に「検察の在り方検討会議」』して検討を始めましたね。今まで、幾度の冤罪が発覚しながらされなかったことですよ。それが、世論の高まりを背景にしてだと思います。
 このような事件が起こる要因は「評価制度」の問題が大きいと思います。それを「検察の在り方検討会議」でどこまで深く検討でき、且つ、検察や世間が取り入れることができるかですね。世間には「兎に角、犯人逮捕」を急がせる雰囲気がまだ色濃く残っていると思うのです。犯人逮捕は早いほうが遅いよりはいいのですが、「誤認逮捕」では喜ぶのは「真犯人」ですね。判っていて欲しいです。
 そして、今回の事件でも取り調べの全過程の可視化がおこなわれていたら、改ざんする気にもならなかったのではと思います。

2011年4月9日
原発の電源喪失の疑問への答え?

 4月9日にinfoseekで見つけた読売新聞配信の記事に『全電源喪失、国は「考慮する必要はない」と解説』というのを見つけました。詳しくは読売新聞でね。
 そのなかに『規制当局である内閣府の原子力安全委員会は、1990年に定めた発電用軽水炉の安全設計審査指針の解説に、長時間の全電源喪失について「考慮する必要はない」と明記している。』というのがありました。これでは国の指針に原因が思われる記事ですね。このときの政権与党は自由民主党ですね。
 理由は送電線遮断では、狭い範囲であるとの想定ですか、すぐに復旧、また、非常用交流電源装置は故障してもすぐに修理ができると期待できるからだそうです。東京電力福島第一原子力発電所もこの規格ですね。まあ、第二発電所との違いは「津波」対策ですね。
 女川でもこの福島でも今回の震災で外部電源は長期にわたって停止してしまったと思います。それは、地震による被害範囲の広さですね。現に東北電力の仙台地区の発電所は復旧の目途が立っていないとか。送電網の復旧で被害地域以外からの送電を受けているということですね。それが、7日夜の余震で送電のバランスが崩れたためか、発電所を守るための停電で東北電力の東通原子力発電所は外部電源は結構長い時間遮断ですね。非常発電機が働いたので何事もなかったですね。 
 外部電源というのは「送電」ですから、送電網に何かあれば遮断されることになるのですね。今、PC使ってますが、送電が続くという前提でしています。地震とかが起こらないという前提かな。
 ところで、太平洋側での「海溝型地震」は巨大になりやすいですね。そうすると、地震の揺れによる停電が考えられますね。さらに、「津波」という危険性が出てくるのですね。女川原発は津波対策で敷地をかさ上げしていたため、非常用発電機が作動して、少々トラブルがあったようですが、特に問題はないということです。これは、「津波」で有名な三陸海岸に建設したということが「津波対策」をさせたわけだと思います。
 「津波」は海水ですね。電気製品が海水に浸かるとどうなりますか? 大抵は「使用不能」かな。完全防水されていればですが、発電所などの高圧線は防水はしていないでしょうね。また、発電機も大型は建物自体を防水にするほかないのでは。福島第二は海水のかかりにくい海から遠い原子炉建屋に非常用があったそうです。第一は津波のかかりやすい海よりのタービン建屋にあったそうです。
 福島第一原子力発電所は、一応国の指針を守って建設されていたことになるようです。平常の発電機を使って発電しているときは自前で供給できますが、原子炉緊急停止が必要な時は、ほぼ「地震」の時ですね。国の想定が甘かったということですが、これは国だけの責任かどうかは判断がつかないですね。福島第一原子力発電所のあとにつくられた原子力発電所では、不十分ながら「津波」対策みたいなことがされていたり、津波対策で敷地を14m高くした例があるからです。
 非常用の対策ですが、今回の事例からは「津波」がなければ、福島第一原子力発電所の程度にもう一系統ぐらいと、使用済燃料プールを別の建屋にしておくとかでも思ったりします。海溝型地震の震動には、震源の中央部分にある女川原発も耐えていますからね。直下型は解らないです。電源車とポンプ車配備は必須にしてください。

2011年3月18日
原子力発電所設計で、地震についてどの程度の知識があったのか

 3月17日にinfoseekで見つけた記事に『長谷川洋三の産業ウォッチ  元東芝エンジニアの「告白」:設計当時津波は前提になかった (J-CAST)』というのがありました。
 日本で事実上初の商業用原子炉設計をされた方の話が出ていました。そこにはマグニチュード8.0以上は起こらないことを前提としていたというのです。昨年3月14日にマグニチュード6.7のが起こっていますが、気象庁の資料では被害の出る地震は起こっていなかったことになるのですね。
 ところで、この地域は沖合に太平洋プレートと北米プレートが衝突し、太平洋プレートが北米プレートを引きずり込みながら、沈み込んでいるところがあります。これは、当然、三陸沖や北海道沖にとつながっています。このプレートによる構造は、世界最大級と言われる1960年のチリ地震と同様なのですね。
 ですから、世界の大規模地震が起こっているところを調べると基本構造は同じ。2004年のインド洋大津波を起こした地震もです。地盤の揺れは減衰しやすいみたいですが、津波は多くがそのまま広がっていっている場合も多いようです。
 建設当時、津波対策がなされていなくても、その後に地震などの教訓が生かされていたら、津波対策がなされて当然という立地条件の場所ですね。原子炉の方は「核物質」を入れているというので、地震とは関係なしに丈夫に作られているので今回も「無傷」ですよ。ところが、付属施設の津波対策がされていなかったために起こった2次災害と考えられますよ。その証拠に東北電力の女川原子力発電所の方の報道がないですね。こちらも津波が押し寄せているはずだし、緊急炉心停止しているはずですし、その後の冷却も必要だし、地震で火力も含めて停電のはずなのにです。
 津波は、地震のエネルギーがそう大きくなくても、地形とかで大きくなる場合があるといいます。そして、この目の前の海では巨大地震が長らく起こっていなかったというのですね。このプレート地形が長い間、地震を起こさなかったということはエネルギーが溜め込まれていったいるということになります。だから、基本的に「地震が起こる」場所では長い間起こっていないというのは、地震が起これば、そのエネルギーは巨大になるということですね。
 プレートの関係から見るとアメリカ合衆国東部は地震が非常に起こりにくいはずです。そこで、基本設計された原子炉は耐えられたのに、地震対策の不備が周辺機器で出てしまったということですね。改修の切っ掛けになる地震が世界で時々起こっていたのにというのが怖いですね。

2011年3月14日
東北関東大地震

 3月11日に起きた関東東北大地震で被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 ネットで見ていますと、専門家がバラバラに起こると推定していた地震が3つまとまって起こってしまったというのです。確かに長さ450〜500kmで幅約200km,面積ですと単純に計算すると10万平方キロメートルになります。
 そこで、最大岩盤が25mぐらいずれたとか。そのエネルギーは凄かったと言うことですね。ということは、「想定外」という言葉が出てくることになるのです。人間の考えることは「過去の経験」を引きずりますからね。南海地震、東南海地震は以前から続けて起こった記録がありますね。ところが、東日本の太平洋側ではなかったのかも。だから、同時はないだろうというのかな。
 それが、南海地震、東南海地震よりもっともっと同時に起こってしまったというのが今回の地震ですかな。東京電力の福島第一原子力発電所の状況ですね。地震による揺れで原子炉の緊急自動停止は成功しましたね。ただ、核分裂をさせていたため、ウランからの核分裂による物質などが自己崩壊などをすることによって発熱も続くということですね。その冷却に失敗したというのです。
 複数の冷却システムを備えていたのに次々と作動しなくなったというのです。この原因の1つは「想定外」の強さの地震であったと言うことですね。この結果の「津波」が影響しているような気もします予備電源の発電機の故障時刻と津波の時刻ですね。とすると、どうして、津波を被るような高さに発電所を作ったのかという気がします。「想定内」なら、大丈夫だったのでしょうね。
 想定は、マグニチュード8未満の地震だったというのです。今回は福島沖の方でマグニチュード8.8、これはマグニチュード8の16倍ですね。そのようなことが、いろいろな見込み違いにつながっていったのでしょう。
 ただ、よく放射性物質の漏れをあの程度ですましているとは思います。それだけ、原子炉とかの設計とかはよかったのでしょう。でも、周りの部分で手抜かりがという感じです。ひょっとして、東北電力からの電力供給を期待した非常時対策だったのかなとも思います。
 このような「想定外」が散見される中、いち早く避難された方々も多数いますが、津波の到来が早すぎて間に合わなかった方々が非常に多かったというのが今回の被害拡大の要因でしょう。ところで、11日の地震直後の名取川の河口付近を津波が遡上している様子が放送されていましたが、どうして、あのようなところを走っている自動車が、塩釜市でもなぜ、津波の方?に走っているとしか考えられない自動車が、???です。
 今回の地震では、津波の様子とかが実況中継されたところもあり、津波の怖さ、地震の怖さがより感じられました。

2011年3月12日
検察での取り調べについての最高検察庁の調査

 3月11日に平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(三陸沖太平洋大地震)が発生しました。被災された方々にはお見舞い申し上げます。被害の状況の全容がわかるのは大分先になりそうですね。ですから、地震については別の機会にさせていただきます。
 3月10日にニュース等で報じられていたのに『供述と異なる調書作成、検事26%「指示受けた経験」』というのがあるのです。これは、大阪地検での証拠改竄事件を切っ掛けにした検察の状況やあり方についての一連の検証等の活動でおこなわれたものです。
 『大阪地検特捜部の不祥事を受けて設置された「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)が最高検に調査を求め、2月に無記名で実施した。出向者などを除く1444人の全検事が対象で、回答率は90.4%にのぼった。』というのが記事になっていましたね。
 全国の検事のうちの26%が実際の供述と異なる調書を作るように指示されたことがあるとか。これでは、検察の作文ありきと言われていたことが実際にあったということになります。というので、調書の矛盾を突く形で冤罪と認めさせる形になった一例が足利事件かな。最後はDNA鑑定のやり直しをさせることで冤罪を認めさせることになりましたね。
 ここにあるのは、逮捕した者を起訴するかどうかは、証拠等ではなく、検察の意向と言うことにもなりますね。さらに、これは、上層部の圧力とでもいうのでしょうか。誤認逮捕は非難を浴びますね。そこで、逮捕したら起訴、そして、有罪にという意識が働いて検察に不利な証拠に対する判断能力が低下してしまうのでしょう。
 その上、『「自分が起訴、公判を担当した事件が無罪になると、キャリアにマイナスの影響があると感じる」との質問には、30.8%が「当てはまる」と回答。「上司や幹部は、誤りがあると思えば躊躇(ちゅう・ちょ)なく判断を変える」と思っている検事は71.2%にとどまった。また、21.3%が「自己の判断より組織や上司への忠誠が優勢になったことがある」と答えた。』というのは、昇進とかで無罪になると悪影響があると考えてしまうことですね。
 このあたりのことも、以前から、証拠不十分や検察不利な証拠等があるときは、「起訴しない」や「起訴取り下げ」でもその検事の評価を下げないとかしてほしいと書いていますね。まず、事情聴取からして、今は問題を含んでいますよ。よく、捜査していると思える事件も多いのですが、なにか「兎に角、逮捕」を目指しているとしか考えられないのも報道されていますからね。
 そこには、警察のメンツ、検察のメンツのみに固執してしまっているとのみ感じられる時があります。
 ですから、警察の捜査段階からすべてで「可視化」するというのが大切になりますね。「可視化」していない捜査で作成された「調書」は否定が簡単になりますからね。この手を使っている被告が出ているとも感じられる事件があります。これは、今までの検察の捜査の問題点が大きすぎたためと考えます。

2011年2月24日
政治と宗教の関係

 2011年になって、チュニジア、次がエジプト、そして、リビアといきそうですね。ただ、ニュースが正しいとするとカカザフィー、悪足掻きがすぎていますね。その原因の一つが今までの独裁で情報がまともに届かなくなってしまったのでしょう。
 今、中東地域のイスラム教が宗教の主流を占めている国でデモが頻発していますね。世界の主要な宗教の中で唯一といって良いと思うのが「イスラムは宗教の方が政治より優先されている」ということかな。そのような国で争乱が起こって政権が倒れたり、国内騒然としたり、デモが頻発程度の国を入れるとほとんどでなにかが起こっています。
 キリスト教と政治の関係は長年にわたってのカトリックの法王庁とヨーロッパ各国の関係かな。ローマ帝国時代まではさかのぼらないですよ。もともとイギリスは王と貴族との関係はマグナカルタ等で王権も法の下にあるというような感じの国です。そのイギリスで、ヘンリー8世が離婚したいため、ローマカトリックからの離脱とイギリス国教会設立をしているのですね。これで、イギリスではまず「法」次に「王権」その次が「教会」となる順序が成立かな。これで、もともと、マグナカルタなのでの精神があるので、民主化、近代化がヨーロッパで最初に進み始めたと思っています。
 大陸では、宗教改革の嵐が吹き荒れ始めます。でも、ドイツは遅くまで「神聖ローマ帝国」だったですね。で、英独仏のなかでは「遅れた」といわれることになったのかな。今のヨーロッパ型の近代国家は「政治」と「宗教」では、権力的には「政治」が優先され、宗教は各個人の精神面を受け持っているみたいな感じかな。
 日本は、飛鳥時代とかでも、「八百万の神々」で自然宗教なものだから、仏教もその一つとして取り入れた感じが強いですね。でも、奈良時代の道鏡や後白河上皇当時の僧兵とか石山本願寺時代の一向宗とかは政治権力を持っていたと言えるかもしれないですね。でも、織田信長に退場させられますよね。江戸時代の「寺請け」制度は幕府の道具ですよ。ですから、葬式仏教に成り下がったという思いをしています。国家神道も政治の道具にされましたね。「神風」です。「靖国神社」も軍に上手に利用されましたよ。
 そうそう、仏教はもともと政治とは縁が薄い感じがします。仏教国ともいわれるタイで、僧侶は政権の座にいないですよ。別に引きずり下ろされたわけではないですね。ヒンズー教も近代インドでは影が薄いですね。
 その中で「イスラム教」だけが「政治」より上位に君臨しているのですね。そして、信者の真の幸福を考えている宗教者も多いですが、そうでないのが多いということも、独裁とリンクしてきたことが今回の地域全域に民主化要求とかが広まった原因ではないかなと思っています。ヨーロッパや日本などが400〜500年かけて起きた変化を数十年で起こそうとしているのが今のイスラム社会かなと思ったりしています。

2011年1月21日
命の大切さ

 再開させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
 1月21日の朝日新聞のサイトに「ただ捨てられる命 犬・猫、殺処分を公開 松山の施設」という記事が出ていました。身近なところで命が粗末に扱われている例として、動物愛護に関するノンフィクション作品を手がける今西乃子(のりこ)さんが『「犬たちをおくる日」(今西乃子著、浜田一男写真)。1300円(税抜き)金の星』という児童書を書かれているというのです。児童書ですが、大人からの反響が大きいとか。
 ところで、殺処分(、「殺害」という形で、不要な、もしくは人間に害を及ぼす動物を処分することである。)される犬や猫は年間30万匹に上るというのです。そして、この大多数が「不要」として持ってこられたり、捨てられたりしたのが捕獲されたのでしょうね。
 「動物を飼う」といのは、畜産業では、最終目的というか処理方法がはっきりしていますね。そして、同じようにはっきりしているのが「ペットとして飼う」ということですかな。そして、ペットとして飼うというのは、家族の一員として受け入れることができない場合は資格がないのではと思ったりもします。ようは、人間の家族同様に接するということができないのなら飼わないことですね。
 しかし、現在は動物の感情とかを考えることもなく、ペットを飼っている人が増えてきているのでしょうか。その結果が、大きくなりすぎたとか、躾ができなかったとか、飼い主の見込み違いや不注意による理由ですかな。もし、そうなら、同じ失敗をしないようにするべきなのに次から次へとペットを入れ替えている人もいるというのです。その時、前に飼っていたペットは「殺処分」かな。
 これらは、気に入らなければ捨てるというか止めるということですね。新しいものに移るということ。でも、生き物を飼うのであれば、気に入らなくなっても寿命まで飼育するのは、飼い始めた時に負う責任でしょうね。それができないというのは、日常の場面でも問題がでてくることが多いと思われます。
 要するに、「気に入らなくなった」として、簡単にいろいろなものを捨てたりとか、文句を言ったりとかでしょうか。日常生活の内、消費生活の部分でもよい品を長くというのがあります。ところが、高度成長期に「大量生産大量消費」という生活に巻き込まれて、そのしがらみから抜け出せない状況をも通じるところがあると思います。
 もともとは「身勝手」で、悪い商業主義に乗せられてしまった人がこのようなことをする場合が多いのでしょうね。これは、子育てなどにも悪影響を及ぼし、同じようなことをする人間の再生産がおこなわれていると感じます。日本の教育がよくならない原因とも考えられます。特に「モンスターペアレント」などが犬や猫とはいいませんが、周りに言いがかりをつけているところなどは根本が同様かなと考えます。

2011年1月5日
地球気候変動で思うこと

 2010年末あたりからこの冬も世界各地で大雪とかになりましたね。その前の夏は「猛暑」ですね。そして、前回の冬は寒さが厳しいといわれながら、平均をとると暖冬。今回はどうなるのでしょうか。
 最近は気候の変動幅が大きくなってきているということでしょうか。温暖化もあるのですが、豪雨とかが多くなったりしていませんか。また、強風が多くなってきている感じがしませんか。風は太陽からのエネルギーが割と直接的に作用していないでしょうか。
 気温の変動幅も大きくなってきているようですね。「観測史上」とかいうのが増えてきていませんか。これらを異変と感じるのかどうかですね。気温の変動もですが、雨の降り方の変化の方が怖い気がします。突如として砂漠出現みたいな変動がおこると大変ですね。
 そのようにならないためには、やはり人間の活動の状況を変えていく必要があるのでは。地球気候が変化しているようなのです。
 地球環境は今まで以上の速さで変化しているのですね。ですから、人間も変化していくべきですね。その方向を常に考え実行しながらかな。それを怠ると人類が滅びるかもしれないですね。でも、すぐ、実行できる部分もあれば、そうでない部分もあるので急ぎすぎないことかな。でも、遅きにならないようにする必要も。
 国内情勢では、菅内閣は「平成の開国」の実行を!!!