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主に歴史関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。

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2010年8月18日
A級戦犯の釈放後の聴取書綴 発見

 8月18日の日本経済新聞社会面に「A級戦犯が語った戦争」という記事が出ていました。
 記事によると極東国際軍事裁判が終了してから10年後の1958年以降に釈放されたA級戦犯被告から法務省が日中戦争や太平洋戦争などについて聞き取った聴取書綴が国立公文書館に保管されていることが判ったというのです。昭和史の研究資料としても貴重だといえますね。詳しくは新聞でね。
 ところで、見出しに『日米開戦「勝算なく戦運に期待」』というのがあります。A級戦犯ですから当時重要な役職に就いていたと考えられますね。その時の状況を表していると考えられますね。そう、ノモンハン事件をうやむやにして、軍の近代化を怠っていた軍部の思考の延長線上で開戦に踏み切ったと考えられますね。妄信ですかな。嘘か誠か「神風が吹く」とかね。
 蒙古来襲の時は、九州武士を中心に防備を堅めて台風シーズンまで海上に足止めできたからで、運良く台風が来たわけではないのに軍部は・・・です。このような状況ですから、開戦に反対すること、開戦後に戦争終結や敗戦を口にすることは「犯罪」とされていたとあるのは、その通りであったと考えます。あの「玉音放送」の原盤も危うくということも伝えられています。
 なぜ、当時「最優秀」な若者が集まっているといわれた陸軍大学などの卒業生がどうしてあのような戦争を始めてしまったということが問題なのですね。当時の高級軍人は高級官僚ですよ。そして、反対意見などを黙殺したり、治安維持法等で弾圧までして戦争をおこない、国民や近隣諸国民に多大な損害を与えたわけですね。
 この聴取書綴を有効に活用して、当時の状況がより明らかになることを期待します。その成果と現在を照らし合わせ、現在をよりよいものにするために活用できるようにして欲しいですね。なにか、今の政権政党の中に当時の軍部と「反対意見などを黙殺したり」などでよく似た集団が結構多数いるような感じを受けています。日本を潰さないために「自己解剖」をおこない、その経過を現在に活用して欲しいですね。
 「過去に目を閉ざす者は、未来に対しても目を閉ざすことになる」ということをお忘れなく。先の大戦はまさにこのことを実証していると考えられます。日露戦争の一番公開したくない部分を封印したため、「突撃」や「軍神」とかを跋扈させ、近代兵器の軍隊から古典的兵器の軍隊に退化させてしまったのですからね。

2010年8月16日
敗戦の日に思うこと

 8月15日は確かに戦争が終わった(一部に例外あり。)ので「終戦の日」ですが、実際は無条件降伏するということで戦闘が終了した日ですね。
 「無条件降伏」というのはどのようなことなのでしょうか。考えてみましょうね。答えは各自で。
 ここに日本人がよくする「すり替え」が起こっていると思うのです。「臭いものに蓋」をして、何事もなかったような顔をして生きていくというものですね。それと、「水に流す」かな。これ、不法行為等をされた側が言い出してもよいものなのですが、あの戦争については日本人のほうから時々漏れ聞きます。そのたびに近隣の諸国民の反感を買っているようです。
 天皇制を潰しかけた軍人がまつられている靖国神社によく参拝が出来ますね。これなど、「臭いものに蓋」とか「水に流す」とかで済ませる体質そのもでしょうか。その割に、当時と同様に「少数意見」を尊重するということはしないですね。ここでいう少数意見と国会での少数意見とは質が違う場合があります。ようは、「村八分」的な雰囲気が残りすぎているのが日本かな。それで、国会でも正常な討論というか議論が出来ないのですね。原因の中には国会議員の勉強不足というのが大きいですね。だから、官僚に丸め込まれてきたのです。
 そうそう、天皇制を潰しかけた軍人も官僚ですよ。現場を知らない官僚ですね。それが、軍部の熱狂に煽られ、煽って戦争に突入していったのです。そのあたりを参拝した議員たちは理解しているのかな。それと、明治以降の靖国神社の利用のされ方、明治政府は国家神道を上手に使ったと思います。そのために明治天皇は国内を巡幸されたとか。明治の元勲たちが苦労して作り上げた日本を安っぽい考えで潰したのが先の戦争なのです。
 その結果の戦争で、日本人を含め、アジアの諸国民や対戦相手の国の将兵などに多大な死傷者をだすなどの損害を与えたのですね。この日がくる度に思い出して欲しいのに忘れ去られようとしているのが、「日本はヒトラーみたいなのがいないのに集団で暴走していった」ということです。この暴走中は少数意見は無視もしくは弾圧されていますからね。そのあたりは今日でも。民主党のマニフェストの実行においてもみられますね。「出来ないものは出来ない」ということを認める勇気を持っていないためにね。

2010年8月12日
A級戦犯についての一考察

 8月15日が巡ってきますね。そして、例年のごとく「靖国神社参拝」でいろいろごたごたしますね。今年の民主党主体の内閣は閣僚全員が参拝しないとしたということです。これは、民主党にしては珍しく「英断」のほうにはいると思います。
 というのも、先の戦争における靖国神社やA級戦犯などの関わりについて、日本は通り一遍の歴史教育および政府談話とかで逃げてきていますね。ドイツみたいに正面から取り組んでいない。
 東条英機はあの時、たまたま現役大将で陸軍大学を主席で卒業していたから「首相」になったと聞いています。もし、主席ではなかったら別の大将が首相になっていたはずです。そして、当時の状況は「集団ヒステリー」の状態で正常な意見を言おうものなら「袋だたき」かな。
 司馬遼太郎氏が「雑談 昭和への道」の中で、『ソビエトに派遣された駐在武官が、ソビエトの軍備について事実を報告しただけで「恐ソ病」というレッテルを貼られ、出世が止まった。」と述べられています。これによく状況は今の時代でもみられます。怖い怖い。ノモンハン事件でソ連の機械化部隊に死傷率75%以上という完全全滅的な損害を受けながら、対策は取らず、「箝口令」で封印したというのです。
 ようは、正常な状態で正常な討論が出来ない状態に陥ってしまっていたということですね。その結果が、ヒトラーみたいなリーダーなしで集団で暴走していったということになるのです。それを最後の最後に止めたのが昭和天皇とその側近かな。
 この集団暴走で活用されたのが、日露戦争でも活用された手法「軍神」とかですね。司令部の作戦ミスを「軍神」によって打破したとね。日露戦争での「爆弾三勇士」ももともとは乃木と伊地知の第四軍司令部の不明によるところです。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」や「雑談 昭和への道」などから読み取るとこうなります。この失敗を誤魔化すのが最大目的みたいな「軍神」がその後やたらと出現するというのです。
 このような精神論は、いつしか「世界最先端の兵器」(日清・日露戦争時)を持っていた国が「元亀天正の信長軍の兵器に毛の生えた程度の兵器」でアメリカとかを相手に戦争を始めることになってしまったのです。まあ、満州事変を仕掛けたある日本軍軍人とかはいますが、それを上層部が放置したのですから、同罪かな。
 戦後、65年になりますが、この「集団ヒステリー」の状態にどうして陥ったのか、今後、このような状況にならないようにするにはどうすればよいのかということが置き去りにされたままなのが日本なのです。
 だから、若手官僚が持っていた「改革」への情熱が出世とともに「消えて」いってその役職に就くと前任者の思考パターンになり、硬直化した思考になっていっている現状と当時の戦争へと突き進んでいた状況とが重なってしまうのは私だけでしょうか。
 今の民主党もひょっとしたら、集団ヒステリー状態???とも感じられます。
 靖国神社は当時の権力に従っていただけ?。その権力、A級戦犯も集団ヒステリーに振り回されていたと。だれも止めることが出来なかった、天皇以外は。戦後するべき作業をしていない(特に自由民主党かな)ために起こっている問題とも考えられます。 
 昭和天皇に死を覚悟させるような事態になったいきさつ、そして、戦後、そのようなことが二度と起きないように自らの内面からの反省「自己解剖」をしていなかったツケを払い続けているのが現状だと思います。

2010年8月10日
日韓併合、100年での菅総理の談話

 2010年8月10日は1910年8月10日から丁度100年になります。韓国では、この日や8月15日に式典や集会などが行われていますね。8月15日は「解法の記念日」で、8月10日は「植民地化」ですね。
 この植民地時代に日本は結構な額を社会資本整備とかに投資しているようなのです。それにも係わらず「反日感情」だけが残ったと「雑談 昭和への道」で司馬遼太郎氏が述べられていました。
 この原因は日本人が他民族の尊厳を踏みにじっていったからとその後の対応のまずさによるものなのでしょうね。イギリスなども植民地を多く持っていましたが、インドなんか公用語に英語を使っていますね。インドの言葉の否定はしていなかったようなのです。日本は「日本語強要」でしたね。
 「創氏改名」も民族の尊厳を踏みにじっていることに。そのようなことなどで、社会資本とかをある程度整備しながら「反感」を募らせていったのでしょうね。
 このあたりのことでも「創氏改名」とか「日本語強要」とかを棚に上げて「社会資本とかをある程度整備」したとかだけを声高にいうのが日本にいるので、なかなか感情のこじれが溶けないのでしょうね。
 今回の談話は1995年の村山談話をもとにして組み立てられているようです。そして、久しぶりに「自己解剖」をやってみようとすり意識が感じ取れました。ところが、「自己解剖否定派」がぶちぶちいっていますね。
 日本が戦争に突入していったのは、日露戦争の勝因の解析を怠ったというか、都合の悪い事実をねじ曲げた結果、それが「真実」との妄想を抱いて増幅させていったところにあるのです。A級戦犯はこの妄想に取り憑かれた犠牲者で、BC級戦犯や国民・アジアの諸国民はこの妄想に取り憑かれた戦犯の犠牲になったと考えられるのです。
 このような事態を防ぐために過去のことについて、自己解剖をおこない、都合の悪い部分もさらけ出して反省することは、日本にとっても多大な利益になるのですが、無知蒙昧の輩は判らないみたいですね。
 ドイツの元大統領も「荒野の40年」という演説の中で「過去に対して目を閉ざす者は、未来に対しても目を閉ざす」ことになるというような意味のことをいわれています。
 「自己解剖の勇気を」。

2010年2月25日
どのように取り扱うのかな。「東京都で日本史必修」

 2月25日に朝日新聞のサイトで見つけた記事に『都立高で日本史必修に 独自科目「江戸から東京へ」新設』というのがありました。国際化に対応して始めた「世界史必修」が惨めな状況になっていると思われます。その二の舞だけは避けてほしいですね。
 「世界史必修」では、理念より「消化」が先に立っていたり、「受験対策」のためであったりとかで、歴史的な背景や意義を深く考える授業がされにくくなってしまったようですね。取り敢えず、「教科書消化」または「受験対策」。それが、何年か前の「未履修」問題となって発覚しているのですね。今回の東京都の決定もこの延長線上の扱いを受ける可能性が高いと考えられます。
 その原因は、「受験勉強」と「教養勉強」を切り離して別物と考える風潮の強さですね。それが、入試にでるから「勉強する」、でないから「勉強しない」という本末転倒もいえる勉強スタイルになってしまっていると思います。
 この状況を打破しない限り、横浜市や東京都などの取り組みも「時間消化」のためだけの授業になって、「早く済ませて・・・」ということにね。そのためには、入試において、高校での履修科目の大多数を基準点方式で試験をするほかないのでは。競争試験では、「皆でサボれば怖くない」とか「他の受験生より少しよければよい」というようなことで、勉強の手抜きの度合いに探り合いが起こると思いますし、現に起こっているとも思われます。
 一般教養の大切さを十分に周知して、内容や評価をよほど工夫しないことには、現状の受験勉強に飲み込まれてしまって、思ったほどの効果が出ないと思います。
 下手な歴史学習は、偏狭な国粋主義者を生むだけです。太平洋戦争までの歴史教育がそれにあたると思います。日本の歴史のよい点は勿論ですが、避けてはならない部分もはっきりと触れて教える必要があります。