煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)   「諸々の言いたいこと」のメールマガジンの申し込みはここをクリックしてまぐまぐのページでお願いします。

主に歴史関係を集めました。新しいものが先頭になるように配置しています。

過去分 2010年12月まで 2009年12月まで  2008年12月まで 2007年12月まで 2006年12月まで  2004年12月分まで

2011年8月15日
2年連続靖国神社閣僚参拝パス

 2011年8月15日「敗戦記念日」、まあ、確かに戦勝でも戦敗でも戦争が終わったことには違いはないのですが、本質を後世に伝えるためには「敗戦記念日」の方がいいのではないかと考えます。
 「靖国神社」は本来、国のためですね、戦った人を祀っていると聞いているのですが。本日が記念日になっている戦いは自滅的な戦争ですね。調べれば調べるほど、気分が悪くなる戦争ですよ。司馬遼太郎氏は「ノモンハン事件」を小説にしようとされたというのです。でも、調べれば、調べるほど「気が狂いそうになる」という理由で執筆断念されたとか。若い人に書いて欲しいと。たしか、これは「雑談 昭和への道」もしくは司馬遼太郎講演集にありました。
 そして、この戦争に突入していった時の政治情勢は今とある意味同じ、政局ばかりで建設的政策議論がなかったとか。ですから、あの時、だれが首相になっても「戦争突入」でしたかな。ですから、特定の個人攻撃では解決しないのが当時の状況なのでは。ただ、だれが首相になっても同じような政治情勢が作られてしまったことへの反省、そのような状況が起きた原因、そして、現在の検証、よりよい未来への取り組みが長い間全くなかったのでは。この反省、検証、未来への取り組みの切っ掛けとして、今日閣僚の参拝がないということに繋げて欲しいですね。
 あの時、たまたま軍部や政治の中枢にいたものが首相とかして、戦争突入を決め、実行しましたね。そして、教えるべき「国際法」も無視という野蛮なことをしています。今日でも「国際関係」の本質を理解している政治家はどの程度いるのでしょうか。
 今を見つめ、将来を考えるために「今日は敗戦記念日」ですよ。過去を検証しないものに未来はないですよ。

2011年6月14日
歴史は繰り返す

 2011年になっても、そして、東日本大震災が起こっても日本の政治情勢の動きを決めているのは「政局」という政権奪取闘争につきるように思われるのです。
 ようは「主導権争い」ですね。一見、太平洋戦争の時は挙国一致でまとまっていたように見えて、その実、勢力争いが続いていましたね。陸軍と海軍の。そして、本土決戦という無謀な政策を推し進めようとしていました。それを打破したのが昭和天皇でしたね。天皇に憲法違反までさせたのは時の政権でした。
 小泉元首相の元で「政策」がある程度実行されようとしました。それを逆戻ししたのは他ならぬ「自由民主党」でした。そして、民主党が政権の座につきましたが、現実無視のマニフェスト至上主義や無知による混乱を引き起こし、鳩山前首相退陣後は「政局」にどの政党も固執しているように感じられるようになりました。
 小泉元首相の後の首相が1年ほどでころころと変わっていく様相は太平洋戦争突入前夜の様相と似ているとか。このように考えると日本は「滅亡前夜」なのでしょうか。ただ、当時と違うのは「戦争状態」では無いことですね。それ以外の「情報遮断に基づく政治」はよく似ているように思われます。それが、あの「内閣不信任案」提出かな。
 菅首相の震災対応がよいとはいえないですが、「民主党方式の政治主導」ではあれが限界なのでは。鳩山前首相や元幹事長では、もっともたもたとしてしまっていた可能性が高いですし、過去の先輩のしてきたことを棚上げ状態にしている自由民主党も原発では適切な対策が出来なかったでしょうね。原発以外も官僚丸投げでしょうから、もう少しマシですかな。ただ、原発は東電、政府、党の合作ですから対応に遅れがさらに出ていた可能性の方が高いですかな。
 これは、過去の歴史から教訓を引き出し、現在、そして未来に活用しようとする体質が全くといっていいほど見られないのが今の国会議員の大多数という感じがします。過去に対して目を閉ざす者は未来に対しても目を閉ざすことになります。現在の状況がこの未来にも目を閉ざしている状況そのものではないでしょうか。

2011年4月3日
帝国陸軍などの亡霊を見ている感じが

 3月29日にNiftyで見つけた東洋経済の『国政の場で指摘されていた 福島第一原発への「不安」』という記事や4月2日のNHKで放送された「東電 供給計画に“原発増設”」という記事から考えられるのは、一度決めたことは善し悪しがどうであろうとそのまま貫き通そうとする帝国陸軍などの体質そのままという感じを持ってしまいました。そして、これが悪い方になってしまってもということです。
 帝国陸軍は某将校の行動を庇いつつも、陸軍全体が「戦争、戦争」という方向に進み出してしまった後、引き留める者の発言を封じ込めるようなことをしています。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」でありましたが、ソ連の軍備をありのまま報告しただけで「恐ソ病」とレッテルを貼られたとか。このような事例から考えられるのは「批判者封じ」ですね。それが、現代にも引き継がれている感じなのです。
 東洋経済の記事の方では原子核工学を専攻した吉井議員が地震と津波の影響で電源と冷却機能が失われる可能性を再三質問しているのです。例えば『10年5月26日の経済産業委員会では、福島第一についてではないものの、「巨大地震に直面したとき、自家発(電)の電源も切断されて原発停止となった場合には、最悪どういう事態が起こるとお考えか」と質問。これに対し経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「停止した後、崩壊熱(原子炉停止後も放射性物質の崩壊で生じる熱)を冷却していくことが大切」、「非常用の電源装置を複数用意すること、あるいはそれ以外の要素で、冷却機能が継続的に動くことが大切」と答えている。』とあるのです。記事にあるように答えるだけで行動に移していなかったので今回の事態に至ったということですね。スマトラ沖の例などもあっても何もしてこなかったのですね、保安院と東京電力は。
 今回の事故でも、対応が後手後手という印象が強いですね。海外の専門家などの話も「後手になっている」というのがありました。
 4月2日の供給計画がそのまま事故による減少や増設計画の変更などを含めていないみたいですね。このような事故があったのなら、遅れは致し方ないか、少なくとも福島第一発電所関係は「ゼロ」にして提出するのが普通だと思うのですが、ここにも「決定済み」は「予定通り」にしかできない体質がという感じです。これも、帝国陸軍の体質と通じるものが。前回の「政治主導」でも書いた民主党にも野党にも見られる傾向ですね。ですから、不必要というどころか経済の足を引っ張ったり、国民生活に弊害のあるような「法」や「規制」がなくならないのですね。一度、決めたものは未来永劫実行するという迷惑千万な体質が色濃く残っている日本だと思いました。
 この中でも、庶民の働きで「経済大国」になったのですよ。国の借金を減らし、老若男女が安心して暮らせる政治を求めています。「ばらまき」は御免被ります。

2011年3月16日
経験が思考の範囲を決めている?

 今回の東日本大震災では、大変な被害があり、被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 ところで、情報が出てくるにつれて防災での?というのがいくつかありました。その一つが地震とかの災害規模の想定ですね。今回のでは、よく「想定外」というのを聞きます。
 悪いですが、南三陸町の町長の話ですと、津波の大きさが1960年のチリ地震による津波の強さを想定していたというのです。スマトラでの津波はもっと大きかったですね。それと、地球の反対側から来た津波と目の前のプレートで起こる津波の大きさの違いが想像できなかったのは「経験」かな。チリ津波より大きいのがきたら、防災というのは「避難」しかないでしょうし、実際、皆さん必死に避難されているので「想定外」とかいうのは、ここでは大した意味はないですが。
 この三陸沖でのプレートによる地震は、専門家も「単発」と推定していたみたいです。その結果が、原子力発電所とか、各地での行政やその他の防災にも出ていたのでしょうね。過去の記録でも「連発」はなかったと思います。「南海地震」「東南海地震」は連発での記録があるのでそれなりに対策をしているようです。
 その個人自身の経験だけではなく、その地域の過去の経験も思考の範囲に大きな影響を与えているような感じがします。プレートによる地震は、時として、連発による超巨大地震を必ず、プレートの境目では世界どの地域でも起こる可能性があり、実際に起こってきているのですね。超巨大地震は世界でみれば、数年から数十年に1回くらいで起こっているようですが、特定に地域で見ると超巨大は相当長い間隔が開くことがルので「想定外」となってしまうのでしょうね。
 地震のことで書きましたが、多くの事象で「経験による想定」で思考が止まっている例が観察されます。国会議員に多いような気がします。

2011年1月7日
夫婦別姓求めた訴訟にみる時代の変化

 1月6日に夫婦別姓を求める男女6人が「結婚に際して夫と妻のどちらかが改姓しなければならない民法の規定は、個人の尊重を定めた憲法13条や、両性の平等を定めた24条などに違反する」として、近く東京地方裁判所に提訴する方針を決めたという報道がありました。
 日本における夫婦はある時代から、男が養う、女性は家庭内の仕事に従事もしくは専業主婦で暮らしてきました。それと、儒教の流れからか、男尊女卑の意識が続いてきましたね。国によっては夫婦別姓が普通のところもあります。韓国、中国、台湾とか。ヨーロッパも多いですよ。
 その後、女性の社会進出が著しくなるにつれて、不都合を感じる人が増えてきたのでしょう。その一つに銀行口座の問題が挙げられていました。結婚前からの旧姓で仕事をしていて、代金などの受け取り口座を指定するとき、結婚後の姓でしか、口座が作れないですね。昔は現金、今は振り込み、という時代の変化ですね。
 要するに、結婚前から同等の両性とも、社会的活動が盛んになってきたからと思います。仕事における姓の同一性が大切な仕事に就いている人がともに増えてきているのが大きな理由でしょうね。今後、ますます増加する傾向にあるのではと思います。
 日本はいろいろなところで「保守的」過ぎる傾向が見られます。というか、変化を嫌うということかな。変化をするとき、慎重というのも大切ですが、慎重すぎると国を滅ぼしかねません。固定観念で国を滅ぼした太平洋戦争などはその筆頭ではないでしょうか。
 今年は「決断」をいろいろな政策でしてください。農業の活性化は「開国」で。