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2010年11月26日
アジア大会終わる

 11月27日にアジア大会が終了しましたね。日本選手はよく健闘していたと思います。
 ところで、メダル数ですが、金メダルが48個ですね。中国は人口日本の十倍でも金199個です。人口比でいくとよく健闘していますよ。問題は日本より人口の少ない韓国より少ないということです。韓国は金76個ですよ。
 さらに韓国の方が日本より厳しい受験(徴兵があることも理由)があったりするのにどうしてでしょうね。ノーベル賞の方はまだしばらくは日本の方が過去の遺産で受賞が続くとは思うのですが、アメリカで活躍中の中国人や韓国人もいますので、いつまでつづくや。どちらもそれぞれ国内での研究条件もよくなってきているはずです。
 スポーツもかつては、アジアでは「日本が一番」だったのがどうしてでしょうか。ようは、指導者と設備や活動費などの問題でしょうね。指導者ですが、先進的で科学的のも理にかなった指導をしている方も結構いるのですが、「根性」とかを前面にというか「根性」だけの指導者も残っていたりとか。韓国や中国では「スポーツは科学」というは常識でしょうね。
 それと、日本では特定のスポーツに人気が集まりすぎているのでは。そのスポーツすら、競技環境がよいとは言えないですね。科学技術の教育研究環境が貧弱にされていっているのと同様に。
 ですから、水泳の北島選手の後が続かない感じですね。もう一度、スポーツの楽しみ方や選手の養成の仕方について根本的に考えてみる必要があると思います。日本の学力低下問題と根はよく似ているのではとも思います。考えてみましょう。

2010年11月16日
宇宙航空研究開発機構発表「はやぶさの微粒子はイトカワ由来」

 11月16日に宇宙航空研究開発機構は『探査機「はやぶさ」が持ち帰ったカプセル内の微粒子が、小惑星「イトカワ」のものだったと発表した。』ということです。さらに『すでに見つかっていた約1500個の微粒子ほぼすべてで、成分が地球のものと明らかに違い、イトカワを撮影して判明していた成分と一致したことがわかったという。』のです。
 快挙ですね。ところで、これによる「直接的な利益は」なないでしょうね。学術研究はこのような積み重ねがあってから、人類への貢献が期待できるようになってくるのだと思います。
 ノーベル化学賞受賞のテーマ「クロスカップリング法」や「蛍光タンパク質」なども実用になるためには長い年月が必要でしたね。
 ところが、今の日本はというか世界は「至近の目に見える利益」を追いすぎているように思います。学術研究で「失敗のない研究」は他の研究者が発表した成果の追試研究ぐらいしかないですよ。こちらの方こそ、「金の無駄」ではないでしょうか。
 だれも挑戦していない分野に切り込んでいくための資金が必要になります。巨大科学では、海外との共同研究、そうでないものでは、国内の共同研究にしろ、研究室単位の研究にしろ「研究費」が必要です。それを出し渋るどころか「大幅削減」しようとしているの現状ではないでしょうか。
 以前にも書きましたが、後追い研究では、日本は潰れていきますよ。「独創性豊かな研究開発」が必要となります。そのためには「研究費」が必要十分あるということが重要になります。欧米はそのあたりを政治家が理解しているようです。ところが、日本の政治家はほとんどが理解できていないのでしょう。
 昨年「2位ではダメなのですか」といった方はある程度勉強されたみたいですが、まだまだという感じです。スパコンは完成前に2位以下が確定したようです。技術開発の世界がわかっていないから言えた言葉ですね。
 今回の成果が注目されているいるのは、月以外で初めて地球外物質を持ち帰ったこと(でどこの判明している)と「はやぶさ」の機体に組み込まれた数々の部品というか「ロケット」やその他の装置の性能についてですね。研究費が結構たくさんですNASAなどでは考えつかないことをしているということも注目されているようです。でも、もっと予算が出ていれば、巨大探査機は無理にしても、もう少し安定した探査機ができていたでしょうね。このために開発された技術や装置なども大いなる研究成果ですよ。失敗していても十分に元は取っていたと思います。
 実際は、持ち帰れたという成果、大いなる成果も引き寄せているのですね。学術研究費、開発費は減額せずにむしろ、当然「大増額」するべきです。

2010年10月11日
ノーベル平和賞、今年は中国人権活動家に

 10月8日に発表されたノーベル平和賞は、中国人人権活動家の劉暁波氏に対して贈られるとノルウェーのノーベル賞委員会が発表しました。理由は『中国共産党による一党独裁の見直しや言論・宗教の自由などを求めた「08憲章」を起草した。また、厳罰に処せられたことで、「中国での人権を求める幅広い闘いの最大の象徴になった」』などによるようです。
 中国に対する民主化への圧力となり得るのですね。『「中国の憲法には言論、報道、集会、デモなどの自由が定められているにもかかわらず、中国市民の自由は明らかに制限されている」と、中国政府の姿勢を批判した。』という状態への批判かな。これに対して、中国は不快感を示し、ノルウェー政府に対して抗議をし、関係が損なわれることになるとまで言っています。これ、すべてが党中央による統制下に置かれている中国ならではの発想ですね。
 ノルウェーのノーベル委員会は過去にも政治的にギクシャクするような受賞者を時々出してきていますね。それは、その時の状況ではギクシャクしても将来的にはより平和な世界の訪れを期待してのことだと思います。単なる民間の一組織(政府組織ではない。)の決定に対しての中国の反応は「国内の民主化」を求める声を押さえつけていきたいためでしょうね。そして、対外的敵愾心を煽るのも国外に目を向けさせることで国内情勢への関心を低下させる狙いもあると思われます。
 10月8日に職場でノーベル平和賞の政治性を話していて、この受賞決定ですから、少し驚きました。ただ、受賞者の推測はしていません。興味が無いので。
 過去に何かで聞いたことがあるのですが、1940年前後でしょうか、もう少し幅広い年代だと思うのですが、中国では、その地域に国民党の勢力が共産党より早く来れば、国民党に。逆の場合は、共産党に入党していたと言われます。ですから、文化大革命なるものをする羽目になっていったのでしょう。
 国民党のほうは、台湾に追われ、割と早く民主化をしたので、台湾で国民党以外や台湾出身の総統も出たわけですね。中国本土のほうは人口が多い分、賄賂などにみられる昔ながらの中国の悪弊が解消されないのも民主化に踏み切れない理由かもしれませんね。
 一党独裁の矛盾がいつ吹き出すかですが、軟着陸しながら民主化にして欲しいですね。

2010年10月7日
ノーベル化学賞を日本人が受賞

 10月6日にノーベル財団からの受賞通知が根岸英一・米パデュー大特別教授(75)と鈴木章・北海道大名誉教授(80)にありました。受賞おめでとうございます。
 ノーベル賞については、野依理化学研究所理事長が受賞されての講演会で受賞のポイントを聞いたことがあります。それによると、今回の報道でもその趣旨がよく出ている「人類の幸福」にどれだけ貢献したかというのだそうです。ですから、今回でも研究は鈴木名誉教授の1979年の研究が最新ですね。
 ここ何年か受賞者が飛び飛びですが、続いていますね。それは、これらの研究者が研究している時代は今ほどの「成果主義」ではなかった時代だと思います。じっくりと考えて、失敗したりしながらでも研究が続けられた時代だったのでは。
 それが、最近はあの「事業仕分け」に象徴されるような「極端な成果主義」に陥っていると考えられるのです。そして、技術科学立国とかいいながら、その基礎になる大学関係予算などを削減して、目玉になるようなところに集中するというのです。
 もともと、日本の公的研究費は世界的に見て、少なかったのです。それを集中して貰ったところが漸く海外並みかな。とすると、削られたところは研究費なし、教育活動費なしというような状況に追い込まれてきています。
 今、ノーベル賞受賞者が出ていますが、これはノーベル賞の趣旨からみても「過去の遺産」でしかないのです。今後もこのお二人に代表されるような「人類の幸福」に貢献できるような人材を育成するためには、まず、大学関係予算を含めた科学技術関係予算の大幅増額が必要だと考えます。日本を沈没させないために。

2010年10月3日
効果の過大信奉

 10月3日のSUNDAY NIKKEI健康面に『フォードファディズム@ 食物の健康効果 過大に信奉』というのがありました。
 特定の食品を食べれば、それだけで健康によいとか、ダイエットできるとかいうことについてです。食物の健康とかに与える影響を過大に評価したり、信奉することを「フードファディズム」(偏狂的な食生活)というそうです。
 最近、テレビでの食品に対する報道の仕方にこの「フォードファディズム」を煽るような番組が結構目につきます。そして、納豆が売り切れたり、バナナが売り切れたり、寒天が売り切れたりなどしていますね。今あげた食品は単独でもそれぞれの分野で有用な食品です。でも、これだけ食べれば健康問題が解決するということはないですね。
 そこに見えるのは「楽して・・・したい。」ということでしょうね。それを煽って「これだけ食べれば・・・」という思いを抱かせるような番組や記事などが目につきますね。普通に出回っている食品には、単独で良い効果の出るものはないと思いますし、単独で普通の摂取量で害のあるものもないのです。
 要は、いろいろな食品分類からそれぞれ適量を摂取するということが一番の健康への効果が期待できるのですが、インパクトがないですね。それで、単一品目で効果を煽ることがなされ、また、消費者がそれに乗ってしまうことが問題ですね。
 これには、教育の問題を含まれている思います。「でることのみ暗記すればよい」とかいう風潮も「フォードファディズム」と同様の考え方だと考えます。「楽して・・」というのが根底にあるのですが、「丸暗記」は非効率で有名なのに絶えないですね。そして、例えば、入試科目のみ勉強というのも、単品食事と同じで学習に悪い効果を示すのになくならないですね。
 学術的に検証されて、否定されたことでも、報道などのされ方で信じてしまうような人に教育されてしまったともいえますね。だから、「過大に信奉」して、その弊害にあとあと苦しむ人が出てくるのだと思います。

2010年9月25日
思い込みとは凄いですね。「証拠改ざん疑い」

 9月22日にNHKニュースで「同僚に“書き換えた可能性”」というのが放送されました。これは、あの郵便不正の事件ですね。主任検事が証拠品のフロッピーディスクにあるファイルの日付を書き換えたという疑いですね。
 フロッピーディスクというか、ハードディスクやUSBメモリーなどにファイルを保存しますと、その時のコンピューターの時計の時刻が保存日時として書き込まれます。普通の方でも、その書き込み日(更新日時)を利用してファイルの管理をされていますね。
 この更新日時なのですが、少し知識のある人なら書き換えること、過去の日付に書き換えることは可能です。方法は2通りが有名かな。ユーティリティーソフトを利用する方法。もう一つはコンピューターの日付を変えてする方法ですかな。このどちらの方法も「うっかり」とはいえないと思います。
 「ユーティリティーソフトを利用する方法。もう一つはコンピューターの日付を変えてする方法」これはどちらもそれなりの意志をもって起動したり、操作する必要がありますからね。ですから、「故意」でしょうね。裁判に未使用としても重大な問題があります。証拠品への信頼性を傷つけたということで。検察提出の証拠の信頼性ですね。
 証拠として利用してなくても、このような不正をなぜしたのか?そして、このような不正をしないと裁判に勝てない状況であったとしたら、それは起訴を取り下げるべきであったのに取り下げなかった硬直性も大きな問題点です。証拠がなくても「検察の筋書きによる供述」という裁判が「冤罪」の数々を生んできたのです。その反省で裁判所は供述調書より、裁判での供述および証拠というほうに移ってきているのに、警察・検察が旧態以前の捜査で冤罪をつくってきているといっても過言ではないでしょうね。
 その結果、殺人事件などでは「真犯人の高笑い」というのも引き起こし、冤罪に祭り上げられ人の人生を潰してしまっているのですね。
 そのためには、警察・検察の業績評価の基準の中に「起訴しなかった」という場合も良い評価を与えるようにして、その代わり、冤罪の可能性があるようなのを起訴や長期拘留に対してはマイナス評価するというようにしてはと考えます。
 それと、可視化している国では、捜査段階での供述を裁判で覆すような事例は可視化前に比べて大幅に減少しているとか。今のような密室捜査が冤罪や今回のような問題を引き起こしているのでしょう。

2010年8月24日
「いいかげん」に潜む真理

 8月21日の日本経済新聞夕刊「こころ」面に大阪大学特任教授の柳田敏雄さんの生物の「いいかげん」さなどの話が出ていました。詳しくは新聞で。
 生物ですが、「生きる」ということに対しては結構厳密だと思うのです。三毛猫の柄ですが、クローンでも同じにならないとか。どうしてでしょうか。これは、毛の色の遺伝子がX染色体にあって、X染色体が2本必要です。ですから、ほとんどがメスですね。雄は突然変異体になるので珍しいことになるのです。
 雄は元々X染色体を1本しか持っていないので、それとバランスを取るためにメスでは、各細胞で2本あるなかのどちらか一方がアトランダム(いいかげんですね。)に不活性化されるので発生の時、一定にはならず柄がすべて異なることに。アメリカでクローンペットをつくっていた会社が営業を止める理由の1つだったらしいです。元のと柄が違うという苦情かな。
 ですから、一卵性双生児でもよくよく付き合えば、まあ、親は区別できるとかいうのはこのあたりのことですかな。
 脳の活動も「いいかげん」な面を持っていて、いろいろふらついている。寝ているときも起きているときも活動していて意識と無意識の間を行ったり来たりしているというのです。創造性も脳がふらついていていいかげんだから生まれるというのです。ふらつかずに特定の考えに固執したら、創造性がなくなるどころか「現実」の多様な現象も見えなくなりますね。それが、あの大戦の時に起こっていたのです。
 現在も「マニフェスト至上主義」という考えに固執している向きが「起訴される可能性がある人物」の某政党の代表戦に出馬を要請している感じです。国民新党もある考えに固執しているし、社民党もですね。
 結局は「一つのことに固執せずに世の中を楽しく見よう」ということが現状を打破する新しい考えが出てくる可能性がありますね。ところが、現在はどこもかしこもその集団なりの固執が跋扈している時代になってしまったと思います。それが、いじめを増やしたり、自殺を増やしたりなどの社会問題を増幅していると考えられます。
 「もっといいかんげんに」できるところは「いいかげん」に、そうしたらダメな部分はどのようなところかも考えてみて下さい。最低限、健康で生活するということには妥協をしないでください。この「いいかげん」というのは「脳の働き」に関してですよ。喫煙はダメですよ。

2010年7月27日
楽天山崎、オールスターで史上初40歳代2戦連発

 7月25日にYahooで見つけた「スポニチアネックス」配信の記事に「オヤジパワー見せた!山崎 史上初40代2戦連発」というのがありました。オールスターを二晩続けてご覧の方はお解りですね。
 その記事の中に『プロ24年目。酒もたばこもやらず、ひたすら野球に打ち込んできた。40代の中年層に夢と希望を与える存在でいたいという強い思いがある。』というのです。でも、気持ちだけでは無理ですね。この中にあった「酒もたばこもやらず、ひたすら野球に打ち込んできた。」ということが必要だったのではと考えます。まあ、お酒は飲み方によるのですが、一日に日本酒ですと200ml程度とかいう量が適量ですので、普通では「飲まない」部類の人の飲酒量かな。
 そして、「たばこもやらず」ということですね。喫煙は確実に持続的に運動能力を低下させていきますからね。呼吸機能は喫煙1本目から低下が始まり、回復することはないですからね。運動選手にとって「呼吸機能の低下」は致命的のはずですが、徐々に起こるので気がつかないだけですね。禁煙しても元に戻らない。
 ニコチン・タールなど有害物質の作用の中に血管を収縮させるというのがあります。筋肉への血流が減ることになるので、補うために心臓に負担がかかることに。これも、運動能力の低下に。一酸化炭素の影響も忘れられないですね。血液の酸素運搬能力を低下させます。すると、運動能力の低下。
 山崎選手は「たばこもやらず」ということで、これらの悪影響を受けていないことが基礎にあって、山崎選手独自のトレーニング法とかが実を結んだ結果がこの快挙になったと考えられます。
 ところで同じ日にinfoseekで見つけた時事通信の記事に『たばこ1000円で「やめる」8割=「絶対やめない」は2%弱―ネット調査』というのがありました。喫煙者にたばこの値段の感じと1000円ぐらいになったときの禁煙するかどうか尋ねた調査で8割が「やめる」ということですから、もっと値上げするべきかもしれないですね。今度の値上げの価格は喫煙者を犠牲にして税収の増加を図っているとしかみれないですね。もっと、上げて喫煙者が「喫煙による害」から逃れる決断が出来るきっかけにして欲しいですね。

2010年7月23日
博士の就職支援模索 大学や企業、仲介で実績、で、国は?

 7月19日の日本経済新聞科学技術面に表題のような見出しの記事が出ていました。
 日本では、大学院修了者の就職状況で、理工系の修士修了者については多くの分野で良好とか、大学卒より有利とかいわれていますね。でも、文系大学院や博士課程になると状況が一変するというような感じを持っていました。
 そこに1990年代の大学院大増設が行われて、博士課程院生が急増していったと状況のはずです。その時、博士課程修了後の就職先についての考慮がされてなかったとこの記事の中にありました。
 せめてもの救いがポスドク制度や博士課程の人件費に割り当てられていた雀の涙ほどの競争的資金を「事業仕分け」は削減を求めたというのです。これって、優秀な院生は海外に出て、日本に戻ってこなくてもいいですよというサインだと私は感じております。ばらまきに使うために、日本の強さの源泉の人材育成を放棄していこうというものですね。
 ですから、大学などの研究的資金など、無用と民主党は思っているのでしょうね。たびたび書いていますが、日本の研究的資金は非常に貧しいものがあります。東大や京大などで欧米の並大学並みで、その他は惨めなものであることを民主党は判っていない。その東大なども節約や研究時間を割いて雑務とかに教員を割り当てることでなんとか捻出している現状です。
 とすると、教員の就職口など運のよい一部の院生だけになりますね。企業のほうは昔から、修士主体かな。すると、ミスマッチで博士があぶれるということですかな。それを解消しようと民間やいくつかの大学が民間企業と博士の間を取り持とうということで活動しているという記事でした。
 「ばらまき財源」確保のために大学や小中高校、科学技術関係予算を削減するなら、日本を支える「強い人材」は出てこなくなるだろうし、でたとしても「海外」に出て行ってしまうことになると考えます。参議院で与党過半数割れは国民の怒りも含まれていることをお忘れなく。自由民主党は敵失による議席回復で比例区の得票を噛み締めて欲しいですね。民主党は国民新党が議席を確保できなかった意味、比例区でも確保できなかった意味も噛み締めて下さい。

2010年7月17日
財務省が日本たばこ産業のたばこ値上げを認可

 7月15日の報道によると、財務省がたばこの値上げを認可したということです。これは、たばこ消費税を上げたことによる値上げですね。時期は10月1日からということです。
 この程度の値上げですと、禁煙する人の割合がそれほど増えない可能性もあり、増税が達成できるかもしれないですね。ようは、税収不足を補おうという下心が中途半端な上げ幅になったのではないかと思えるのです。
 健康に重点を置いているのなら、もっと上げ幅を大きくし、さらに販売規制にも踏み込む必要がありますね。実際、健康に重きを置いている国ではもっと高額にしています。日本の場合、値上げ後で400円台が多いみたいですが、欧米諸国では、1000円前後のところが多いですね。ドイツみたいにこれより安い国もありますが、ドイツは意外と薬害があったりしてとか。
 この値上げ、税金上昇以上に高くなっていますが、販売の減少を見込んでのことだそうです。それと、輸入たばこも当然税金がかかっているので、こちらも値上げですね。
 高い金を払って、脳卒中や心筋梗塞、COPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)、各種のがん、若年老化肌、総入れ歯などになりたい方は吸ってともと思いますが、副流煙などをまき散らさないで下さいね。喫煙者の自殺行為の道連れになりたくないですからね。

2010年7月15日
成果のわかりやすい技術開発はよいけれど

 7月14日の各報道機関によると、文部科学省は14日に、小惑星探査機「はやぶさ2(はやぶさの後継機)」の開発検討に入ったというのです。
 これは、「はやぶさ」が予定より大幅に遅れながら、地球に戻ってきたことによっているのだと思います。そこで、思い出すのが、昨年の事業仕分けですかな。「2位ではダメなのですか。」といって予算を廃止にしたおばさんがいましたね。その後、ノーベル賞学者などの総反発である程度復活したり、科学技術予算を削減しにくくなったようですが、日本では科学技術についての理解が低すぎるし、あの時のスパコンの担当者の不甲斐なさというを思うと非常に危ういものを感じています。
 あまりにも、「目先の成果」を追い求めすぎているというの実感です。小柴博士のニュートリノはカミオカンデを作って何年目かな、そしれノーベル賞までは?。野依博士の業績からノーベル賞までは何年かな。下村博士に至っては、オワンクラゲと何年格闘したのかな。その間、アメリカは研究費を出し続けたのですよ。そして、発光タンパク質を見つけ出してから、ノーベル賞までには何年かな。
 成果の上がらない長い時期を経て、大きな成果が得られるのです。それと、「数打てば当たる」というのも基礎研究の本質ですよ。いろいろな分野のアプローチがあって、その中から、少数の大きな成果の種があるのです。それを見つけるのは、「人海戦術」が有効なのですが、「人」のみではダメで「お金(研究資金)」も必要なのですが、偏りと少なさが際立つ日本です。
 研究条件を改善しないことには、優秀な研究者の海外流出が多くなるとも考えられます。下村博士と南部博士はアメリカですね。
 科学技術立国を目指すのなら、大学での教育研究条件をよくするために、より多くの予算を。大学に優秀な学生を供給するために、小中高校にも予算の増額を。

2010年7月1日
相変わらず、豪雨(熱帯型)になりやすいようですね。

 7月1日のNHKニュースで、気象庁のまとめによる九州での先月の雨量についてでした。
 梅雨前線の影響と言うことですが、九州各地で「月間記録」や「6月雨量」の記録を更新しているとか。多いところで1000ミリというのは熱帯多雨林並み?か越えているかも。熱帯の場合はその日の日射による場合がほとんどのはずです。
 ところが、九州では水蒸気を大量に含んだ気流が流れ込み続けるということで起こっていますね。でも、この水蒸気は主に海水からかな。ということは、よく暖められている証拠かな。中国などでもこの頃よく。記録的豪雨に襲われてますね。最近では熱帯のブラジルでもかな。
 雨が異常によく降るという感じですね。でも、地域が偏っているのが気になります。早明浦ダムを管理している事業所のホームページをみると、「平成17年夏の渇水の記録」とかが5つほどあります。多雨で有名だった四国の太平洋側も含む流域を持っているダムですよ。それが、「渇水」とはね。そう、雨の降り方にムラが多くなっているのかも。
 これも「水蒸気」が多くなったのが原因で雨の降り方が変わったとも考えられますね。「水蒸気」が多くなる原因としては「温暖化」も考えられますね。
 地球は、太陽が徐々に暖かくなってきているために必ず気温が上昇していきます。「温暖化ガス」の影響なしでも10億年後には地球上の水はすべて沸騰すると考えられているのです。ここに温暖化ガスを出し続ければ、確実に温暖化が促進されることになります。まあ、人類が滅びれば、太陽熱による分だけになるとは思うのです。
 人類が出来るだけ、長く地球で他の生物と仲良く生存するためにはこのあたりをよく考えてみる必要がありますね。雨の降る場所が変われば、農地は砂漠。砂漠はなかなか農地にはならないでしょうね。

2010年4月24日
たばこの販売2009年度で11年連続減少

 4月23日にYahooで見つけた産経新聞の記事に「たばこ増税で400円台の見込み 09年度販売11年連続減」というのがありました。
 減少の理由のもっとも大きいのが「健康志向の高まり」でしょうね。この中には、喫煙をしたことがない者(優良者)や喫煙してもすぐに気がついて禁煙した者(準優良者)の他にも、消極的禁煙者も増えてきたことによるのでしょうね。
 まあ、学校全面禁煙などで喫煙することにあこがれを持たなくなった世代とかも増えている可能性も。学校全面禁煙で、学校での生徒の喫煙は間違いなく減少しています。
 その上に,少子化によっての喫煙可能人口の減少、中年以降は消極的禁煙が増え出しますからね。絶対数の減少ですね。これは、自動車販売の減少などでにも現れていますね。
 大体から、寝たきりになったら、多くが消極的禁煙。認知症になっての喫煙は危険きわまりないですね。それで、介護者によってよい意味で制限されたりしますね。でも、喫煙者のほうが非喫煙者より寝たきりや認知症になる可能性が非常に高くなりますね。
 それとともに、税率の上昇が金銭的な面からの禁煙を促進している面があります。それで、欧米では、税金が高額になっているところが多いのでしょう。そのほかにも、「禁煙」のところの増加も禁煙を少しは促進しているみたいです。非喫煙者から見ると、喫煙者の自殺行為の巻き添えにはなりたくないですから、禁煙席や禁煙区域などはもっと増えてほしいです。
 喫煙は1本目から確実に害があります。禁煙しても、呼吸機能は非喫煙者の状態には絶対に戻りません。また、心筋梗塞や脳卒中などになってしまえば、その部分はもとには戻りません。今度の10月の値上げを機会に禁煙に挑戦してほしいです。その時には、ニコチンパッチやニコチンガムなどを上手に使ってほしいですね。

2010年4月16日
人口の減少拡大中

 4月16日の総務省発表の人口推計で、昨年10月1日での推計人口が1億2751万人で前年との比較で比較できる統計のある1950年以降で過去最大の減少数だったとか。その上、2年連続の減少だということです。
 原因は「子育て」に対する行政や企業などの無理解でしょうね。一部、子育て支援を熱心に行っている企業などもありますが、足を引っ張っているところが多いようです。
 少子化が自動車の国内販売台数減少の大きな原因でしょうね。結局、企業の首をじわりと絞めることになってしまっています。また、行政等の原因での工場の海外流出も若者の所得にカゲを落として、「結婚できない」状況を作り出して、「少子化促進」していますね。民主党連立の「子ども手当」も親にある程度の収入があって、初めて有効になるのですが、工場の海外流出が続くようでは効果は限定的でしょうね。失業状態ではね。
 自由民主党も有効な手立てをしなかったのと同然だと思うので、民主党になったからの問題ではないのですが、なにか、より人口減少を促進しそうな感じを持っています。考えすぎで終わってほしいですね。
 人口が減少していっても一人あたりの所得が増加していればよいのですが、減少中ですね。やはり、「規制緩和による構造改革」と「官業の縮小」が必要です。昔ながらの公共事業では、経済は成長しなくなっていますし、金持ちや企業は簡単に海外を目指す時代だということを政治家は忘れないでほしいですね。

2010年3月23日
無知による虐待の拡大

 3月21日にNHK教育のETVで再び、永山則夫について放送されていました。そこに見られるのは劣悪な環境で育つ子どもの問題ですね。親が意識的というと問題が含まれますが、虐待と認識している場合、あるいは躾と称しておこなわれる虐待などですね。ところが、永山則夫のことについて、ETVや虐待に関する本を読んでみると、母親の無知ということが虐待状態を拡大しているようにも感じ、当時の行政や常識が虐待状態を長期化させてしまっているところも感じられます。
 では、なにが無知状態を助長してるのでしょうか。一つが教育に係わる考え方かな。躾と虐待の違いはあるのか。あると思うのですが、多くの場合、混同されているのが実態でしょうね。そして、間違った考え方が今でも教育界にも温存されていることにも見られます。無知といえば、最近の過払い金返還訴訟で、依頼者の無知につけ込んだ事例がニュース等で放送されていました。これは、教育において「暗記」ばかりが重要視されてきた一例になると考えます。
 親が子どもに係わることの出来る時間が労働のために少なくなっていることも。これは、労働政策、産業政策の失敗とか、経営者の無知(女性の働きやすい企業の方が業績がよいことが非常に多いということですが。)とかで、子育てしやすい状況の方が経済によいというのにです。
 人間は、身近な経験をよりどころにしますね。これが、偏見を生む要因にあると考えられるのです。育児書を読んでも、適切に活用できないのですね。極端に走ってしまって、放任か過干渉などの虐待行為になってしまうということか。成績が悪いからという理由で普通の養育状態から逸脱するのも虐待にはいると考えられます。この「普通」ということばの持つ意味は「殴る、食事を与えない、無視する、などなどなど」とかのない状態ですよ。
 子どもの心理とは逆のイメージを勝手に抱いて躾をするというのも虐待にはいると考えられるのですが、無知によって、こどもの心理状態が読めないのですね。無知だから、子どもの知的状況が判らず、無理な躾による虐待も多発していますね。 

2010年3月11日
見える虐待、見えない虐待

 3月9日と重なりますが、「虐待」について考えるところを書きます。
 殴る、蹴る,食事を与えない、露骨に無視するなどは虐待であるということがわかりやすいですね。ここに書いたことはすべて躾とは相容れないです。さらに夫婦関係でも殴る蹴るがよく起こっているのが日本だと考えます。子に対する虐待だけではなく、DVにおいても警察の介入を必要としている場合がほとんどでしょうね。夫婦の問題というより加害者、被害者の関係ですね。「付きまとい」とか「メール等による威圧」などは見える方ですね。夫婦間などでは、殴る蹴るとかいうことがなしでも起こっていることがあります。このような場合、警察は介入できないでしょうね。
 それとよく似た状況が子どもでもというか、子どもの方が頻繁に起こりうるのです。露骨ではない無視、行動等に制限を与えるとかは虐待とは見えなくなってくることがありますが、状況をよく調べれば、虐待と判るはずです。成績が親の希望水準に達しないことで行動制限とかは「虐待」にあたると考えられます。このあたりになってくると多くの人は親子関係の一断面としか見ていないでしょうね。
 「親の思い通りにする」ということも虐待の一種だと考えられるのです。そこには、子どもの基本的人権はないからですね。このように考えると、子どもにとって、「安全な家族」というのはそう多くはないと思います。日本でいう「良好な親子関係」の基準におかしい部分が多くあるということです。それが、教育などにひずみをもたらして来ているのです。子どもは「順位」(一部分ということ)だけで見られたくないのに「順位」があたかも最大の基準であるように親に評価されるなどすることなどがこれに当たると考えられます。まずは「何はなくても愛される」ということが子どもに必要なのに、いつの間にか「順位」のみに関心が移ってしまっているのが日本ですかな。それを不自然と感じない大多数の大人がほとんどという悲しさですね。
 多くの動物では、親と子はどこかで親子分離をしますが、日本では不自然な「親子不分離」を起こすのが多いのはこの「見えない虐待」の結果でしょうね。
 虐待をもっと広く捉えましょう。そして、虐待の被害者を救う仕組みを。

2010年3月9日
虐待と躾の狭間

 3月7日の日本テレビ「真相報道 バンキシャ」で「一家でホームレス 止まらぬ"虐待"の連鎖」というのがありました。結局、子が虐待で死亡してしまうわけですが、その時の親の言い分が『「躾」のためにしている』ということですね。
 「躾」ですが、育ててきた経験からいいますと、叩く、罵倒する、食事を与えない、等々などおこなわなくても普通の大人に育っていきます。暴力的方法で育てるより良い大人にね。
 「叩く、罵倒する、食事を与えない、等々」をおこなうというのは、「虐待」そのものであると考えられるのです。子どもがそれなりに生活体験を積んでいけば、「穏やかに親が良い見本を見せつつ、諭せば」躾はできるのです。親が見本を上手く見せるというのは、よくいわれる「親の背中を見て育つ」というものです。
 それと、「家族」の見本は大抵、育てられた家庭しかないのです。そして、それを「よい家庭」と思い込んでいるというのも虐待の連鎖に繋がっていると考えられます。
 ですから、虐待の防止は「暴力的行為」があれば、警察権力を使ってでも介入するほかには、子どもを助ける方法はないと考えます。「親権」は虐待でない状態でのみ行使できるものとする必要があると考えます。虐待の中には「見えない虐待」という現象もあるといわれています。「親の期待で子を縛る」というのも虐待にはいると斉藤学氏が著書の中で述べられていました。それから考えると「成績不良に付・・・」とかいうものですね。暴力ではなく、何らかの罰を与えるというものです。
 もっと虐待の概念を拡大する必要があるのが日本です。欧米に比べて何周遅れているのか、想像がつかないです。これは、子どものみならず大人を含む「メンタルヘルス欠如社会」だからでしょうね。
 親が子どもに見本を見せるためには「時間的ゆとり」が持てるような賃金や労働時間が必要になるのですが、工場が海外との競争に疲れて、海外に出ていくような経済政策を続ける限り、そして、高付加価値で勝負できる企業の足を引っ張るような政策をしている限り(規制がこれに当たるかな。)厳しいでしょうね。もっと、国内で雇用が持続的に増加させるには製造業などの付加価値をつけた製品やサービスを海外にも輸出できるような産業ですね。
 それと、「よい親」になるためには学習が必要であるということで、学習機会を増やしたりして啓蒙することもね。このときですが、「学習」は強制されてするものではないということを、よりよい人間になるためにするものであるということを広げる必要が。ですから、学校での順位とかは止めるべきで、「到達度」とかに評価を変え、フィンランドみたいに理解の遅い子どもに手厚い補習とかを出来る体制も必要です。
 日本での虐待は「虐待の連鎖」が起こっているので減らすのは難しいかもしれないですが、子どもを助けるためには警察権力を使ってでもおこなう必要があるのではと思います。

2010年3月7日
患者数の少ない難病や新しい病気に対する日本の状況

 3月6日のTBSTBS報道特集NEXTで「激しい頭痛やめまい…脳脊髄液減少症との闘い」という病気について放送されました。『2000年に当時、平塚共済病院脳神経外科部長であった篠永正道が「髄液が漏れている患者が言われてきたよりも非常に多い」ことを発見。篠永は2002年に学会で発表するも、医学界ではほとんど注目されなかった。』とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)にありました。ここに日本の医学界の問題があり、その後の学会の動向にも現れているのではと思います。
 一部の熱心に新しいこと、今までに考えられていなかったような状況に立ち向かおうという医師が少ないのでという思いです。これは、日本の医学教育の問題点である「詰め込み」と関係があると考えます。この状況を打破しようと改革がおこなわれているのですが、高校教育とかで「記憶」頼りに学習をして医学科に入学する学生が多いことも妨げになっているのでは。また、形だけを真似た研修医制度とかも混乱に拍車をかけているとかね。
 患者数の少ない難病では、アメリカとかでは新薬開発は国が責任をもっておこなっているとか。だから、製薬会社は患者数の多い新薬は当たり外れがあって開発費用の回収が出来ないことがあるが、患者数の少ない難病の新薬ではそのようなことがないので開発が進んでいるのですね。ところが、日本ではそのような薬においても、製薬会社の費用負担で承認申請を求めていますね。承認申請のための費用が高くて、どの製薬会社も躊躇しているのが現状でしょうね。このように、患者の利益になるというのはどのようにするということより、重大なことが起こらないかぎり積極的に行動しないという伝統があるようですね。それに、同程度の他国と比べて軍事費が極端に少ないのに金がない予算配分の問題ですね。
 虐待とかの問題でも、国内からというより海外から新しい知見がもたらされてから、漸く、動き出す。それも徐々に。不登校でも以前は「怠け」とかいっていましたが、最近漸く「乳幼児期の育児環境の問題」であるというのが理解されだした状況もよく似ていますね。DVでも取り組みが遅いですし、トンチンカンな取り組みも見られます。
 以前からの観念に囚われすぎているところが多いのが日本ではと思います。それが、難病や新たにいわれだした病気の概念について行けなくて、否定に走ったりするのでしょうね。
 実際に苦しんでいる患者や子どもや配偶者などをどのように救うかということを第一に考える社会になってほしいですね。

2010年3月1日
冬季オリンピックが終わって

 2月28日(現地時間)に2010年の冬季オリンピックが終了しました。日本の選手は勿論こと、各国の選手は競技に出場し、全力を出せたのではと思います。
 ところで、日本のメダルは銀メダルが3個、銅メダルが2個で海外では史上2番目の多さということです。よく頑張ったということですね。
 人口の割合から考えると日本のメダル数は多いとはいえないですね。これは、選手がというより、選手養成システムなどの不備によるものでしょうね。大体から、オリンピックでは冬季も夏季もであり、その他世界選手権とかでもですが、個人の努力と不適切な場合の多い指導によっているのでは。
 個人の努力というのは必要で、日本の選手は十分に努力しますね。問題は指導やバックアップにあるのでは。「スポーツは科学」ですよ。記録とか技術とかが向上してくるとほとんどは「さらなる努力」を自発的にするものですね。そして、根性もついてきますよ。ところが、根性論が先ではね。
 技術指導とかトレーニングは「科学」を屈指して行うというのが世界的な風潮とか。何年か前、そり競技のリュージュでしたか、そりの開発を選手とその知り合いの鉄工所とで行っていたようです。海外では、大抵、国もしくは大手企業スポンサーかな。今年もフィギアの韓国の選手、国抱えみたいですね。
 アメリカには、大規模なスポーツの研究施設があるとか。国の総力を挙げているのに、日本では・・・。男子フィギアは関西大学の施設で練習とか。関西大学在学の選手のためにスケートリンクをつくったようです。ところが多くは「個人負担」、そりゃメダル数は増えません。選手は頑張っているのにサポート体制が悪いためですね。
 これ、科学技術の分野でもいえることだと思います。これらは、「効率性」を強調し始めると、成果が見窄らしくなる分野だと思います。このような分野は他にもあると思います。メダル数を増やすにはどうすればよいのか考える必要がありますね。今回のことでは、カナダも相当前から税金もつぎ込んで選手を育成したということです。促成は出来ないということですね。

2010年2月21日
機能不全家族

 2月20日放送の報道特集NEXTで『心病む少女たちの「思春期精神科病棟」』というのがありました。そこに登場したのが親から無視や虐待(ことばによる虐待を含む。)を受けて傷ついた少女たちでした。また、周りから理解もされなかったという問題点も。
 「思春期の少女たちを専門に治療する病棟を備えた精神科病院」を開設した医師は儲けを度外視して運営しているということです。彼女たちの心を開き、彼女たちを愛する人(この場合、本来は親ですが)がおり、彼女たちの存在を必要している人(こちらも本来は親ですが)がいることを感じて貰うために苦悩しているというものです。
 登校拒否において、「甘え」といって無理矢理登校させようとする場合が多いのですが、大抵は「乳児期や幼児期で親に甘えることが出来なかった」結果で、幼児帰りをしているというようです。それを日本は長らく理解していなかった。リストカットもその家庭環境に問題があって、救いを求めているサインのはずが、理解している人が少ない。このようなことは、少女だけではなく、男でも起こっています。それが、DVなどの形でも表面化していると思います。
 機能不全家族ですが、目に見える虐待やはっきりことばでの虐待だけではなく、一見「普通の家族」でも起こりうるのです。あるカウンセリングの研修会で不登校の生徒とのカウンセリング例で、父親が欠席が多く、考査勉強が十分出来ない状態で受けた期末考査の結果を見て、「おまえより成績の悪いのがおるのか。」とビリでないことを言った冗談で生徒が救われたとか報告していました。この父親、自分の子どもを順番でしか見ていないのかという思いが起こりました。子どもにとっては「存在している」ことを親に認めてほしい、そして、「存在している」ことだけで愛してほしいと思っているのに、他者との比較でしか認められないというのは非常に悲しいことだと思います。「存在」していることだけで愛されるということで、必要とされているということも感じ取っているのではと思います。子どもの居場所が存在すということになると思います。
 このためには、親が子育てに時間を取れるように産休や育休を取りやすくする必要ですね。収入にも配慮した制度ですね。それと、普通は自分の育った家庭をよい家庭と思い込んでいます。その育てられ方がそのまま、自分の子を育てるときにでてくるのです。それが、世間でいう「虐待の再生産」とかになると考えられます。こちらの問題を解決するのは非常に難しいと思いますが、小中高校での教育、妊娠期からの啓蒙や母親教室、父親教室や子育て家庭の交流なども一つの方法になると思います。難しいですね。

2010年1月24日
小心者とは現金保管の方法が違いますね

 1月23日に検察による民主党の小沢幹事長の聴取が行われましたね。現金保管の方法などは金庫に入れて保管していたというのですが、どうして、貸金庫とかを利用しなかったのでしょうね。
 確かに、預金金利低下したとかあるのですが、ペイオフするとかいわれながら、現在までは「全額保護」されて来てますね。どうして、引き出して保管というのがよく解らないですね。そのあたりについて、小心者の国民にも理解できるように説明してほしいですね。
 ところで、この件ですが、今、集中審議してもなにも出てこないでしょうね。過去の例でも国会での証人喚問、参考人喚問ではたいしたことは出てこなかった記憶が。検察の捜査の結果とかから、遅れて「偽証罪」とかで告発していましたね。
 今は、これより、景気対策を含む予算審議、民間活力を引き出す構造改革などに集中し、予算成立後に取り扱うという方が国のためになるような気がします。但し、忘れるわけではないですよ。民主党は金銭について無頓着な首相とか幹事長なので日本の経済が大丈夫なのか心配になりますね。
 今回の政治資金のことについては、関心を持ちつつ検察の捜査を待ちましょう。万が一、指揮権発動があった場合は参議院選挙で民主党以外に投票しましょうね。