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2011年10月30日
危険性と安全どう解釈をしますか。「内部被曝健康影響で新見解」

 2011年10月27日に「食品に含まれる放射性物質が健康に及ぼす影響を検討してきた国の食品安全委員会」が発表したものに「一生を通じて累積で100ミリシーベルト以上被ばくすると健康に影響するおそれがあるとして、食品による内部被ばくをおおむねこの範囲に収めるべきだとする見解をまとめました。」というのがありました。
 これは。発表を受けてNHKのニュースで伝えられたものです。ところで、放射線についてですが、日経サイエンスであった記事に「自然放射線レベルの被爆がある方がない場合より発癌率が低い」というのがあったのです。これは、免疫系が放射線で活性化されるからというのです。でも、自然放射線のレベルですね。原発からの放出された放射線とかは考慮に入っていないでしょうね。
 これより多いのは、自然放射線レベルでの発癌率とこのような放射性物質による被爆による発癌率がどの程度乖離するかですかな。小さければ、ばらつきの範囲内ですかな。自然放射線も地域によって結構大きな違いがあります。それで、検討して結果が内部被曝の場合は一生を通じて100ミリシーベルト以下におさめるべきだというのが出てきたのでしょう。それは、免疫系の活性化による効果も含めて考えられているのでしょうね。
 「絶対安全」などはないのですね。危険の方は「絶対危険」はあり得ますね。だから、そのバランスをどうとるかで基準値は変わる可能性があるのです。
 ところで、この関連の報道の中に「喫煙(成人して毎日18本)は約10年ほど寿命が縮む」、「内部被曝100ミリシーベルトぐらいで1〜1.4年縮む」とかのグラフを出していた報道を見つけました。「喫煙の害」というのは大きいのですね。放射線被害と同様に騒ぐべき問題だと思うのですが、鈍いのが日本かな。

2011年9月24日
光速より速い?ニュートリノ実験結果「検証求める」

 2011年9月23日に名古屋大学などの国際研究グループが発表した「ニュートリノが光よりも速いという実験結果。」というものです。その時間差は700km以上離れた欧州連合の巨大加速器からイタリアの検出施設まででもわずかだったというのですが、何回実験しても同様に結果になったら「発表」ということですね。ただ、他の施設とかでも検証をして欲しいということです。自分たちだけでは確定できないというのですが、実験の世界は基本は他の施設等で追認されて確定ということですよね。だから、発表して「検証を」ということです。
 今回のデータで換算すると、東京大学鈴木洋一郎教授によれば「昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」というのです。確か、16万光年離れていたところの超新星爆発でしたね。それほど、差は少ないということです。「16万分の1」、だから「検証を」して貰いたいので「発表」ということだ思います。
 それに引き替え、教育の世界では「検証」なしで「俗説」が流布されていますね。そして、それに乗ってしまっている人の多いこと。子どもたちは基本的には勉強好きですよ。ところが、「順位」とか「得点」の数字に拘らせると学力伸び悩みは有名ですが、無視されますね。子どもたちは勝手に競争をしていますよ。煽る必要ななく「成長」を手助けすればよいのですが、「平均点」とかに拘らせて「皆でサボれば怖くない」状況を作っていますね。
 今から、20数年前に日本経済新聞に出ていた記事に「中国の超童教育」というのがありました。まあ、早期英才教育です。精華大学とかがおこなっていました。定員は30名ほどでした。小学生対象に募集しており、一次は筆記試験で、たしか100名ほどを選び、二次は1週間ほどかけておこなうとあったのです。方法は合宿だったかな、そこで「勉強が趣味」、本来の楽しんで学習している姿かどうかを基準にしているとね。そう、「勉強は楽しい」が普通なのですが、それは、小学生の時から成長を喜んで貰える雰囲気ですね。「怒られる」「叱咤激励」とかのない世界の話だと思います。
 新聞によれば、ある年度の卒業生30名が「同窓会」を卒業10年目に開いたというのですが、場所はアメリカだったとか。ほとんどが海外留学し、アメリカとかで活躍しているからだというのです。日本でもいくつかの進学有名校が脱落しませんね。学校内順位や模試の順位とかで受験先とかを強制していないのではと思います。友人とのよい意味での競い合いの世界を構築しているのではと思います。それがでるのが「科学オリンピック」などですかな。普通の高校教師の指導できる範囲を超えてしまっていますからね。高校卒業の頃には、大学院レベルの専門書を教えられることなく読みこなせるようになっていました。
 ですから、非常に難しい状況になっている教育の現場でも「検証」が必要では。親や教師は順位とかではなく、どのようなことができるようになったとかの方に注意を向け、「褒める」ことを基本にするべきだと思うのですが、「順位漬け」とかされて、勉強が「work」になってしまっていたら、効果が出るまで時間がかかると思います

2011年9月20日
日本の為政者に多いパターンかな。「固定観念」

 2011年9月19日に毎日新聞のサイトで見つけた記事に『福島原発事故:「回避する機会逸した」…米誌電子版に論文』というのがありました。内容的には、想定東海地震に固執するあまり、他地域での地震を過小評価したり、過去の経験のみに囚われ、新しい知見を無視続けたためとありました。
 以前から、1960年のチリ地震や2000年代になってからのスマトラ沖地震などでマグニチュード9以上の地震がおこったり、過去の津波などの調査から巨大地震の存在が明らかになってきていても目をそらしてきたようですね。これって、第二次世界大戦に突入していった時の状況をよく似ていませんか。
 そして、財政破綻してでも「マニフェスト完全実施」を喚いている議員さんたちとか。民主党は4年で政権の座から降りるつもりだから、「即完全実施」なのですね。
 「税」に関しても「行政改革」にしても「構造改革」にしても「教育」にしても、不確かな根拠で「虚構」が作り上げられて、それを信奉している姿はどうみても正常ではないですね。
 そして、固定観念を潰そうとする人たちを何となく排除してしまう状況には寒気を覚えます。あの当時と同じですからね。
 で、よくここまで日本が発展できたなと思います。

2011年9月14日
ユーロについて思うこと

 2010年頃からユーロについての動揺が酷くなってきているように思います。
 ユーロは2000年少し前から始まり、2001年とかに完全にユーロに移行したという感じですね。
 それで、ユーロの設計は、1ドルが1ユーロぐらいになるようにだったと思うのです。まあ、円とでは1ユーロ100円ぐらいかな。それが、なぜ、ドイツマルク程度の高値になったのかが疑問のままです。あのサブプライムローンを含む証券化商品が高格付けを得ていたのと同様に???でした。
 大体が「寄り合い所帯」ですね。そこに「南欧諸国」も含まれているのですね。地下経済の方が大きいかものイタリアとかですね。その後、南欧諸国が増加しています。もっとも、ユーロ圏で問題が早かったのはアイルランドだったですね。
 高価格のユーロの時代にリーマンショックがあったのですかな。そして、世界同時不況、その打開のために各国の財政出動ですね。でも、リーマンショックの元をみれば、不適切な格付けになり、「格付け信仰」もその引き金になっていると思うのです。で、世界的に国債の大量発行ですが、銀行の融資先がそれほどないので「国債購入」かな。
 でもね、ユーロが実態に即した相場なら、これほど悲惨なことになっていなかったのではとも思います。そして、ギリシャですが、国家としての粉飾決算があったようですね。ギリシャはユーロ。ギリシャの国債はユーロ建て。自国通貨ではないですね。「インフレ償還」という手が使えないのです。今まで、国債でデフォルトのあったところはたしか「外貨建て」で「自国通貨建て」が引き金にはなっていないと思います。
 ギリシャの国債を同一通貨ということで、ドイツなどの銀行が購入していたようですね。それで、デフォルトになると銀行とか広範囲に影響が出るということで、そして、イタリアやスペインなどが第二のギリシャ候補と目されていることなどがありますが、要は「通貨統合」を急ぎすぎたのが今回の大きな失点ですね。統合による大きな利益もあるのですが、不利益の方が大きくなったということかな。

2011年9月8日
想定は変化しますよ、民主党さん。災害に備えましょう。

 2011年9月3日に四国に上陸した台風による大雨で紀伊半島に甚大な被害が出ましたね。そして、9日未明あたりに紀伊半島に雨が降るということです。それで、被害は心配されています。
 今回の豪雨では、3日間で2500ミリが降ったというのです。熱帯多雨林はたしか、年間4000ミリ前後の雨量かな。それの7ヶ月分程度が3日間で降ってしまった量です。梅雨の時の宮崎などの豪雨でも1000ミリを越えていますね。昨年の山口県、今年の新潟福島豪雨と数え切れないぐらいになっています。
 今までの官僚が想定していた「100年に一度」程度の災害の雨量を近年は簡単に超えてしまっているように思うのです。気象庁はしょっちゅう「観測史上・・」をよくいっています。それだけ、気象現象が変わってきている感じがするのです。「水蒸気をたくさん含んだ気流」が次々に供給される状態になってきたということかな。
 このような状態で、今までの「100年に一度」程度を起こらないと考えていたのが、民主党かな。マニフェストの財源確保にかな。このような民主党の事例は他でも見られますが、政権党とは思えない政治運営と感じています。もっと、謙虚に政治経済財政や自然現象などを学んでください。そして、次の総選挙で過半数を維持したいなら、「出来ない」ことが「今は出来ない。将来・・する」とかしたほうがよいのでは。
 水害で被害が多発している状況で防災予算(河川改修などを含む)を減らして、マニフェストに予算を回すのはどうかと思います。ですから、先の3党合意の方が現実的だと思うのです。災害は待ってくれないのです。

2011年8月23日
研究が進むと出てきますね。「巨大津波は三陸で6000年に6回」

 2011年8月21日に各報道機関で北海道大学の平川 一臣 ( かずおみ ) ・特任教授(地形学)らが発見した津波の痕跡のニュースを報道していましたね。
 東日本大震災のあとに「チリでマグニチュード9.5の地震が起こって、どうして同じ原理の地震多発の日本でこの危険性を認識できなかったのか?」というようなことを書きました。その後、貞観地震、そして、今回の研究ですね。同じような構造でチリやスマトラ沖と同様のことが起こっていた可能性が高いという証拠が得られたということです。
 そして、貞観地震もマグニチュード9.0以上ではなかったかと言われだしました。1000年単位という尺度ですね。このような災害の記録を調べても書物では一部しか出てこないでしょうね。だから、過小評価してしまったのかも。
 ただ、1000年単位というのは丁度1000年間隔というものではないですね。「アバウト1000年」で確率は非常に低いですが「明日」というのもあり得る1000年間隔だと思います。人間の人生約80年からみると非常に長い間隔です。だから、至近の大地震で考えてしまったのでしょうね。
 「他山の石」とかいいますね。他所の事例を参考して考えるという態度も非常に大事ではと思います。マグニチュード9.0以上の地震がプレート活動で起こっているということから、専門家は可能性を否定していたとしたら大いに問題があると思います。海外でも巨大地震の連発はないですからね。大地震でも数十年の間隔が大抵あります。
 ですから、「絶対安全」と同様「絶対・・である」とかいうのは自然現象や科学技術などではないと思うのが普通ではないでしょうか。

2011年8月21日
「絶対安全」は原発以外でもないのでは

 2011年8月21日に東京新聞サイトで見つけた19日朝刊の記事に『原発「絶対安全はない」 保安院新院長』というもがありました。
 その中に『十八日、深野弘行院長は就任後初の会見で、「想定外が起こりうるのは今回の大きな教訓。(今後)原発は絶対安全と言うつもりはない」と、これまでの「安全です」一辺倒の姿勢を改めようとの考えを示した。』ということです。
 まあ、原子力安全・保安院の今までは、国民に対して「絶対安全」で説明してきてましたね。そこから、大きな転換になるとか思います。しかし、この宇宙で「絶対安全」なるのはあるのでしょうか。円盤銀河が衝突し始めているという写真が最近公開されました。こちらの方は今の観測力ですと、衝突前に判りますね。
 そして、銀河ですけど、なにがどこを飛んでいるのか判っているのでしょうか。最近もほとんど光っていない系外惑星の記事がありました。それらが、恒星から離脱して飛んでいる可能性もありますね。太陽系は銀河系の中心を中心にして、秒速200kmほどで回っているとか。隕石として先程の惑星みたいなのが飛んでくるかもしれないですね。
 もっと厄介なのがブラックホール、今の技術では観測が難しいかも。もし、地球と衝突が想定された場合、どう対策をとればいいのでしょうか。隕石の方は早ければ、少し軌道を変えることを目指せばという話があります。「アルマゲドン」という映画とかいくつかありました。失敗すれば、衝突です。地球自体も「絶対安全」ではないのです。その証拠としては恐竜絶滅があるかな。
 また、最近、カナダで飛行機が墜落しましたね。空気より重たい飛行機ですから、何かあれば「落ちる」しかないのです。これは技術の進歩で危険性の確率が減少してきているだけです。「普天間が危険で伊丹が危険でない」ということはないのです。どちらも「墜落」という危険性を持っているのです。だから、空港は海上か郊外かへ移すべきだと思います。
 心肺蘇生のためのAEDが正常に作動しなかったということもありました。十分にというか点検整備を重ねたり、技術向上の取り組みを重ねていても事故とが起こることはありますね。ただ、安全へ目指すという意識のない者がいる場合は論外です。この前の「ユッケ」の食中毒みたいなのはね。
 今回の震災で東北新幹線で死亡負傷ゼロでしたね。あれは、想定外的だった阪神大震災と上越地震の教訓を生かした結果だと思います。ただ、あの規模の地震が直下で起こった場合は今の技術では「走らせていない」というときしか無理かもしれないですね。
 そう、いろいろなことについて、どの程度の危険性があるかを常に検証していき、それに対して、どこまで対策をしているのか、あるいはするのかを明らかにしておく必要があるということですね。「絶対安全」といってしますとそこで、「思考ストップ」で「想定外」にたいしては完全に近い形の「無防備」と化することになると思います。中国の新幹線事故もこのタイプかな。
 はっきりいって、超巨大隕石に対する対策とかになるなにができますか。ある程度まで大きさですと、常に地球圏外がまで飛べるロケットと爆薬とかの準備、計算用コンピューター、今実行している隕石探査ぐらいしか対策はないですね。また、危険性の確率として、新幹線建設で隕石の対策まではする必要もないと思いますが、万が一、落ちたときの対策は考えていてもいいのではと思います。原発でもね。

2011年8月1日
この頃は記憶のあるうちに災害が繰り返される

 2011年は3月11日に東日本大震災に襲われましたね。さらに、火山噴火や豪雨災害などいろいろ災害に遭っています。そして、7月29日からですか、新潟県と福島県での豪雨災害は数年前にも起こっていますね。そして、雨量は観測史上最大とかですね。
 ところで、2年前でしたか、「事業仕分け」で100年に一度の最大想定河川水量を考えて、治水工事をしているとか、国土交通相の説明に仕分け人は「起こる確率の低い・・」とかいったとか。もっとも、国土交通省の河川局のしていた事業にも???はありました。本気で「100年に一度」とかを考えているのかとね。
 今回は数年で過去を上回ってしまっているようです。「100年に一度」というのは、長い年月でならすとであって、あるときだけを見ると「すぐあと」のこともありうるのですね。
 ですから、福島原発も「すぐ」に地震が起こってしまったのですね。「災害はわすれたころ・・」とかいわれていますが、実際は「記憶のあるうちに」というのも多いようです。それを、予算捻出のためだけで防災工事をケチろうとしたのが民主党なのかな。
 近年、雨については「記録的降雨」というのが全国各地で頻繁に観測されています。2〜3日で1000mm以上というのもよくあります。今まで以上の対策をする必要があるのですが、民主党は判らないでしょうね。

2011年7月18日
なでしこジャパン優勝

 2011年7月18日未明(日本時間)におこなわれた女子サッカーのワールドカップで日本が優勝しました。おめでとうございます。実力差が縮まってきていたのではと思います。
 世界ランキング1位と5位ですから。今まで、負け続けていたというのも、勝利への伏線とかとも思ったりしました。選手の皆さんは必要な時に十分力を出し切れたということだと思います。運を引き寄せる力もですね。
 幸運の神様がそばに来たときに捕まえるという昔話がありましたね。捕まえてしまったということですが、そのためには準備が必要ですね。でも、男子に比べて、規模は小さいですが、短い期間で優勝しましたね。マラソンも女子。こちらも女子マラソンの歴史は浅いですが、早かったですね。
 「幸運の神様」とはどのような時にきてくれるのでしょうか。「絶対・・」とかいっているようなときにはきてくれないみたいですね。「絶対・・」の状態になるとどうも進歩が止まるようですね。そして、助言とかも耳に入らなくなる。その点、今回のサッカーでは決勝トーナメントでは、相手の方が世界ランキングは上だったかな。
 そのことが、試合毎の進歩に繋がったのでしょう。帝国陸軍は「陸軍は世界一」と思い込んで装備や作戦を変えることなく負けましたね。海軍はゼロ戦の性能を過信しすぎたかも。ですから、常に「絶対・・」かはないのですね。アメリカは「勝てる」とどこか油断があったのかもしれないですね。

2011年6月26日
日本の世界遺産16件に

 2011年6月25日のユネスコ世界遺産委員会で「平泉」(岩手県)を世界文化遺産として登録すると決まりました。平泉については平泉町のホームページ等で調べて見て下さい。よく理解できると思います。
 日本にはこれで、自然遺産が4件、文化遺産が12件になりました。自然遺産は国土の広さが数に影響するでしょうね。そして、文化遺産は歴史の長さと文化への愛着というか、古き良きものに対する理解、そして、現在へ、そして、未来への継承の取り組みがあって、認め続けられるのでしょうね。
 自然遺産にしても、未来への継承の問題が起こっています。指定で観光客が増加した結果、いろいろな問題が顕在化し、環境破壊が起こりつつあるところもあります。指定を受けるというのは、未来への継承をおこなうということにもなるのですね。
 現在の日本では、古き良き部分が忘れ去られ、どうでもよいような古き部分が残ってきているような感じがします。「政局」があって、「政策」がないような国会とかですね。「過去に目を背ける」という伝統も残っているような気がします。これは、国をして、制度として「過去と向き合う」ようにし、「自己を省みる」ということを繰り返す必要があるのですが、国会議員の行動とかを見ていると「省みないでワンパターン行動」、どうにかならないですか。
 今回の震災では、前にも書いたように「官僚丸投げ」のほうがよかったのではという事態ですね。自由民主党でも同じではと思います。それで、この円高、どうして誰か教えて。

2011年6月16日
思考停止

 2011年6月14日の毎日新聞のサイトに『原子力政策:「集団的思考停止」原子力安全専門家認める』というのがでていました。詳しくは毎日新聞でね。
 この記事では「原子力政策」でという感じですね。でも、日本ではこの「思考停止」はそこら中で起こっているような気がします。それも、専門家といわれる人たちであったり、行政の偉いさんであったり、議員さんたちであった理ですね。
 地方議会の例で昔の話になりますが、関西国際空港をどこにつくるかという問題で、国は「神戸沖」とかを考えていたようです。ところで、当時は「騒音公害」に注目されすぎ、「空港=騒音公害」の意識に囚われ、どの程度の距離とか、風向きとかどは考慮されない雰囲気が神戸市議会とかにあったと思われます。全会一致の設置反対決議ですよ。これも、「思考停止」ですね。
 ですから、関西国際空港の完成後、実際の騒音状況がわかったためでしょうか、「空港欲しい」と神戸空港をつくって関西国際空港の足を引っ張り続けてますね。
 農業についてですが、開国反対派が非常に多いと思われます。ところが、この状況で「農産物輸入制限」をしているにも係わらず、日本の農業が「惨敗」の状況で一部元気な農家や農業集団が海外に打って出ているだけですね。これは、「保護」という一見さわりのよい政策で「思考停止」が起こって、構造改革がされていないことが原因でしょうね。この「保護」という名目で国内の元気な農家などが国内での規模拡大や販路拡大などをしようとすることも足を引っ張っていますよ。
 原子力については「絶対安全」ということを求めたということが「思考停止」の要因になったのでしょうね。要するに建設時に「絶対安全」ということは追加の安全策をおこなうということは「絶対安全」ではないということになると最初と矛盾するわけですね。そして、事故が続かない期間が長くなってくるに従って、原子力関係者の大多数がいつの間にか「絶対安全」を信じ込んで「思考停止」に陥ったためでしょうね。
 今回は例を少し挙げただけですが、「思考停止」または「集団的思考停止」は頻繁に且つ継続的に起こっているのではと思います。教育現場でもですね。あの学力テストの平均点とかの公開を求めるのも「思考停止」状態と思われます。いつくかの公開例から考えて「学校力」ではなく「親の経済力」の方が平均点に大きな影響を与えていると指摘されているのですよ。それでも、公開を求めるということが何を意味するかを考えてない。ようは「思考停止」だからでしょうね。

2011年5月9日
地方の公共交通機関への不安が自動車での避難につながった?

 来月ぐらいに高速道路の土曜日曜の割引制度を終了するようですね。それと、地方の高速道路無料化の試行もです。
 大学生の頃から、鉄道の旅をしていて、地方のローカル線を乗車していて、朝6時前に高校生が通学のために乗ってくるのですね。ダイヤの関係です。学校に上手く間に合う時間帯に列車がないのですね。当然、帰りもですね。
 大学の部活の合宿であるところに行ったとき、そこへ向かうバスが一日2往復でした。夕方の便は終着で運転手はそこにある詰め所で泊まっていたと思います。鉄道の方も2往復や3往復はざらでした。
 その後、日本は自動車社会になっていきますね。ある程度の年収とかがあれば、自動車を持って、運転する社会に。その結果、地方の公共交通機関利用者は通学、通院、自動車を運転できない人の買い物などの利用に限られるようになってきました。
 政府は、それでも地方の交通体系を抜本的に考えることはありませんでしたね。旧国鉄の赤字ローカル線の多くは、地方公共団体出資の第三セクターの路線や民間バス会社の代行運行になっていきました。民間バス会社はこれ以外にも赤字路線を抱えてのままですね。それを地方公共団体が補助金を出していたりしました。
 その後の高速道路の整備はバスや鉄道にとっては乗客を奪われたりもしているはずですが、バス会社にとっては「高速長距離バス」が収益源になってきてました。土日上限1000円が打ち出されたとき、この「高速長距離バス」の収益性が低下することが、また、フェリー等の問題が提起されましたが、まともに議論はされたことはなく、その後の民主党の「高速道路無料化」マニフェストになっていきました。
 バス会社は「高速長距離バス」の収益でローカルバス路線の維持もしていたというのです。「高速長距離バス」収益が無くなると路線バスの維持も難しくなると。このように、地方公共交通機関を痛めつけてきた政府の政策が「自動車での避難」という自殺的な行為の誘因になったのではと思います。徒歩なら、すぐそばの高台に避難できたというのにです。
 避難所からの通院とか通勤も自動車がないとままならないといわれています。これは、路線バスの復旧状態がよくないからでは。
 交通弱者が日本のどこでも安心して公共交通機関を利用できる体制を確立してから、高速道路の無料化とかをしてください。交通弱者が公共交通機関をいつでも利用できるようになってからですよ。民主党は順序を間違わないようにしてください。

2011年5月3日
定説を信じすぎると、悲劇がくる場合がある。

 5月1日にYahooで見つけた「河北新報」配信の記事に『「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌』というのがありました。詳しくは河北新報でね。概略はYahooでかな。
 普通、言い伝えでは「津波の前必ず引き潮」ですね。実際、今回の地震による津波でも多くのところでは引き潮が観測されていると言うことです。でも、本当にすべての津波でそうだったのかは、世界中の津波情報を集めている研究者ぐらいしか判らないのでは。それと地震による地殻変動によっては引き潮は見えにくくなるおそれもあるとも研究者の方は言われています。
 引き潮とのはどの程度をいうのかでも、誤差が出てきますね。そのような誤差の大きな定説であるとの認識は普通の庶民にはなかったでしょうね。この場合は、悪いですが、犠牲になるのはその定説を鵜呑みにされていた方ですね。
 ところが、行政とか企業活動とかになると、住民が巻き添えを食らうことになります。東日本太平洋岸では、「巨大地震」は起こらない、マグニチュード8程度ぐらいしか起こらないという定説に凝り固まって、その程度の対策しかしていなかったところが多かったりしてますね。巨大防潮堤とかを造って、住民が過信してしまったところも。それは、地震規模の定説や過去の経験に囚われたからかな。行政とかが、定説による想定よりどの程度大きなのを考えていたのでしょうか。結構、多くが過去の経験の最大津波を考えていたのですね。
 しかし、過去の最大津波を考えていなかったのが、原子力発電所かな。悪いですが、住民の方の過信はその方だけですむ可能性が高いですが、企業などでは、特に放射性物質を扱うところでは周辺に大被害をもたらすのに過信というより、思考を停止してしまったとかいいようがないですね。
 定説、通説とかいうのは常に検討されるべきものなのかもしれないですね。

2011年4月23日
消えゆく不純物を含む製品

 4月23日の日本経済新聞文化面に「消えゆく和膠 どう守る」という記事がありました。長年「和膠」を生産していた兵庫県姫路市の業者が生産を止めたことで日本でというか生産されなくなったというのです。
 作業が厳しいことや販路で受注が途絶えたところがあるなどが理由のようです。この結果、日本画制作者や文化財保護の関係者などが窮地に立っているとか。工業的つくられた「膠」があるというのですが、漂白剤などの薬品が使用され、接着力が強すぎたりとか問題が多いというのですね。
 理由としては、薬品を使わないで不純物も残っているというのです。この不純物が和膠の柔軟性や保存性の性能を高めているということです。
 「消えゆく不純物を含む製品」としましたが、健康ブームでの「黒酢」ですが、「酢」の効果はアルコール発酵によるものより、米からの醸造酢。それより玄米からの醸造酢、そして、壺で発酵させたりとかして含まれる成分が正確に表示できない酢の方が効果が高いといわれていますね。このような例もあるのですが、食料などではなく道具とかに使われるものでは「昔ながらの製法」から「工業化」に置き換わってきていますね。
 製鉄でも「たたら」から「溶鉱炉」による方法とか。紙でも「和紙」から「工業生産の紙」に置き換わってきていますね。鉄ですが、「たたら」による鉄は溶鉱炉による鉄と違って錆に強いと聞いたことがあります。大量生産ができませんし、木炭が必要となるので、あの「もののけ姫」みたいに「はげ山」をつくったりしてました。
 本でも、和紙から西洋紙に変わりましたが、また、別の製法の紙「中性紙」になってきましたね。この中で「和紙」が一番味わいがあると思います。
 発電所でも、エネルギー源を単一にすると問題が起こったときに対処が難しくなりますね。
 歴史でも、政権内が「単一思考」になって、いろいろ意見や異論を唱える人を排除すると先の大戦やソビエト崩壊やその後の世界の状況をみれば、明らかだと思います。
 そして、教育の世界でも「記憶力」が蔓延り、自発的学習を認識できないこの国において「学力低下」が叫ばれていますね。そして、OECDの学力テストの順位に比べて、大学の活力の低下がはっきり出ています。これも、何となく異端を認めず、「単一」的評価尺度の賜でしょうね。
 「純粋培養」は多くの場合、弊害を生んでしまうものと考えます。

2011年4月19日
常識があるのでしょうか。「転入者に放射線検査要求」

 4月19日のNHKニュースで『転入者に放射線の検査を要求』というのがありました。詳しくはNHKでですが、ごく初歩的な常識があるのかという疑いを持ちます。
 放射性物質を抱え込んで持ち込むのではないですよね。放射性物質から逃れてきているのです。それも極微量(政府発表)の放射性物質が出す放射線から逃れるためですね。
 放射線障害というのは、放射線を浴びることで起こります。放射線を浴びたということは何らかの障害が出てくる可能性を持ってしまったということですね。それも、その時に浴びた放射線量に応じて浴びた人がだけです。この点が伝染病とは大きく違うところですね。この単純なことを科学者がたくさん住んで、研究所も多くあるつくば市が判っていなかったことを実証したニュースですね。
 普通に学校教育を受けて、その内容を覚えるだけではなく「理解し活用できる」ようになっておれば、出てこない発想だと思います。ということは、つくば市のこのような対策を考えた人々に対する教育の効果は???の連発ですね。水戸市と取手市も類似の行為をしていたともね。
 普通の庶民の人ではないのですよ、市役所とかの幹部はね。私が時々「国会議員はもっと勉強を」とか書いています。この言葉をつくば市の幹部にもという思いです。

2011年4月7日
炉心溶融はおきていた?

 3月11日の地震の津波で非常用電電とかがすべて止まった福島第一原子力発電所で、その後起こった水素爆発は炉心溶融の結果とみるのが妥当でしょうね。まあ、一歩下がって「燃料棒損傷」といういいかたかな。そして、放射性物質が外部に漏れ出ていることですね。漏れの方は隠しようがないので公表ですが、どの程度正確なのか?がつきます。まあ、水素爆発の水素は燃料棒の被覆材のジルコニウムが高温状態で水と反応してできた水素というのもありますね。でも、セシウムというのも考えられそうです。
 根拠としては、ウラン235が核分裂でしてできる物質としてヨウ素とセシウムとかがありますね。ヨウ素の方に関心が皆さんいっているというか誘導されているのでセシウムの方は放射性物質で放射線被曝が問題になるとね。
 確かにそうなんですが、先日、ふと思って「セシウム」を調べたら、これ、アルカリ金属ですね。水と接触すると激しく反応して水を分解して水素を発生と発熱が起こります。その度合いはナトリウムより激しいですよ。「エッチでリッチなケイコさん、ルビーせしめてフランスへ」というアルカリ金属記憶の語呂合わせの「せしめて」がセシウムに当たるのですね。「リッチな」の「な」はナトリウムです。実験でおなじみですよね。
 燃料棒が損傷して、中の物質が漏れ出て、冷却用の水と反応して水素発生ですね。非常に単純な化学反応ですよ。本当にうっかりして気がつくのが遅れました。すみません。政府や東京電力ははっきりと炉心溶融ありといってよいのではないかと思います。
 冷却が止まって、23時間ほどほったらかしていたという報道もあるのです。その後も対策の小出し、おしめ作戦もどの程度のポリマーを使ったのでしょうか。施設を回って集めてきた使用済おしめも使えるはずですよ。ようは、管をつめるためだから新品はいらない、使用済で十分ですね。その証拠に新聞紙やおがくずも同時に入れていますよね。匂いは半径20km避難指示でだれもいないから心配ないし、放射線消毒される可能性があるので大丈夫ですね。その後、損傷部位を見つけてつめたようなのですが、流れ出る時間稼ぎをしていたのかという疑いを持ちたくなります。ここまで、疑り深い人が増えてしまったと思って欲しいですね。
 当然ですが、「炉心溶融」しているという前提で対策をしていると思っています。

2011年4月5日
想定外?専門家のいいわけは止めてほしい

 4月3日のTBSのサンデーモーニングという番組の中で地震の専門家がそろいもそろって連発を「想定外」といっていました。この言葉には疑問を前から書きつられてきましたね。震源域の長さは約500kmほどにもなるこの地震についてですよね。
 日本は4つのプレートが入り組んでいるところにありますね。大陸プレート2枚と海洋プレート2枚ですね。これと同様のプレート型の地震で史上最大といわれているのが1960年のチリ地震ですね。震源域は1000kmにも及ぶとか。日本と類似のプレートによる海溝型地震ですよ。連発型ですよね。
 その地震で南三陸町では6.3mでしたかこのぐらいの津波に襲われています。防災計画の基準に使っていましたね。岩手県の釜石市とか宮古市では凄い防潮堤をつくっていました。それでも、今回の地震の津波で破られました。これは、震源が非常に近かったということですよ。チリからで6m以上あるのなら,そばならそれより大きいとね。でも、破られた。市町村単位では「想定外」は言えるとは思います。でも、原発ではね。
 2004年のスマトラ沖の地震もプレート型ですね。こちらは海洋プレートだけのようです。震源域の長さは1000km〜1600kmにもなるというのですね。インド洋全体が巨大な津波に襲われましたね。
 日本の太平洋側はこれら巨大地震を起こしてきた仲間のプレートの運動によって地殻に歪みを毎年毎年溜め込んでいっているのですね。今回やこの2つの地震ほどではないのですが、南海地震と東南海地震は連動タイプとして有名ですね。
 どうして、防災の想定を「連発型」にしていなかったのでしょうね。さらに海溝型はそこにあれば「必ず地震がある」はずなのに想定しなかったのかということです。福島沖は1100年ほど前の記録があるぐらいだったようです。そうすると、前にも書いたように「歪み」が溜め込まれている可能性をどうして防災の専門家は考えなかったのでしょうか。確かに「費用は巨額」になるおそれもありますけどね。そして、ここ100年ほどは起こらないかもしれないですしね。そして、起こらない方に懸けたのかな。そして、大外れの結果に。一般庶民にとってはそれでは困るのです。

2011年3月28日
地震は、原則間隔が開くほど巨大地震に、津波も巨大に

 3月26日にYahooで見つけた毎日新聞配信の記事に『<福島第1原発>東電「貞観地震」の解析軽視』というのがありました。
 この「貞観地震」は今から1100年ほど前の地震です。場所は福島県沖の海溝とされています。海溝型はプレートのぶつかり合いによる歪みが限界を超えることで起こりますね。そして、プレートは止まることなく、毎年毎年数センチから十数センチ移動しています。
 数センチと小さいのですが、100年で数メートルになります。1000年前なら数十メートルですね。ですから、巨大地震は同じ場所では頻発しないのですね。ただ、マグニチュード8ぐらいは起こっても9というなの全世界でも数年から数十年に一回程度になります。
 それが、目の前の海溝で1000年も発生していないのなら、危険性が高いと認識するべきですね。ですから、いうたら悪いのですが、地震は適度な規模で頻発して貰った方がよいかもしれないのです。
 当然、巨大になるほど「津波」も大きくなりますね。地震動は距離による減衰が大きいですが、津波はそうではないですね。1960年のチリ地震での三陸での津波をみれば、明らかです。現にスマトラ沖の地震での津波被害があったの遠く離れたアフリカでもですね。その後の会合で指摘されても対策を講じていなかったのですね。津波対策をしていた東北電力女川原子力発電所では「避難所」として活用されています。大きな違いですね。
 目の前での過去の地震と他の地域の地震とかを組み合わせて考える力が東京電力も政府もなかったのでね。会合ですが、「2009年6月、原発の耐震指針の改定を受け、電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書案を検討する審議会」です。このときの政権党は自由民主党で麻生首相の時ですかな。
 海溝型によるスマトラ沖地震や南海地震群などの連動地震が起こっているのに、「想定外」はないでしょ。
 そうそう、日経ビジネス2011年3月28日号を読んでいて感じたのは西日本の60Hzと東日本の50Hzの周波数変換所の増設の足を引っ張っていたのは東京電力みたいという感じにとりました。また、北海道と青森を結ぶ「北本連系線」の増設の足を引っ張っていたのも東京電力と感じ取りました。

2011年3月22日
どうして、危険性の認識ができないのか

 3月22日現在で東京電力福島第一原子力発電所はまだ安定的に核燃料を冷却できる状態ではないようですね。そして、自衛隊、東京消防庁、東京電力や関係会社の隊員、現場社員が奮闘しています。
 ここでは、津波に対する認識の甘さですね。そして、この大地震のあとで、緊急地震警報が乱発気味みたいな感じで「オオカミ少年」みたいに思う人が増えてきてると報道が伝えていました。
 この2者ですが、同根ではないかと考えられます。具体的な危険状態になって、初めて危険性が理解できるというものです。ようは、災害が起こって気がつくというものですね。これは、他にも多数見られます。
 今、書いたのは地震関係でしたが、習慣性毒物(ニコチン)のでる嗜好物になると、さらに話が難しくなります。そして、放射線や放射性物質については、まともな「知識」がない上に話をよく聞かないために過剰反応をしてしまうというものです。
 原子力発電所の想定津波は5mだったというのですね。これ、高潮程度では。前にも書きましたが、スマトラ沖の地震では10mを越えていましたね。結びつかなかったのですね。目の前のプレートの境界面にも。これは、バラバラみたいな情報から関連性とかを導きなせないのですかな。
 それは、ニコチンや有害物質を出している喫煙行為でもですね。こちらは、自己の行為の「美化」(ニコチンによる)がつきますけどね。緊急地震警報に関しては、外れだけの印象が残る人が多いのでしょうね。ですから、数年前のチリからの津波の時、もっと大きな津波がきていれば対策が違っていたとも思います。あれで、甘く見た人も結構いたのでしょうね。
 これらの要因の一つに教育の問題があると考えます。なぜか?例えば、一問一答シリーズを主に愛用している生徒がいるようです。上手に使えば、役にたつものをそうでない使い方をしているようです。これは、項目間の関連性とかを見落としやすいですね。実際、「暗記」に頼れば、取り敢えず得点できる問題が出題されてばかりということもあるかもしれないですね。
 いくつかの要因が関係してくると考えることができなくなるのでしょうね。そして、その要因、例えば津波の高さとかは震源からの距離、地震の大きさ、地形とかで違ってくるのが理解できなくなるのかな。ですから、大学入試センター試験の問題は択一式ですが、その教科科目の内容を上手く使って「思考」させるようにしているので「センター対策」なるのが流行るのですね。「長文読解ができて論述」できればできるのにです。
 緊急地震警報のように外れが重なると記憶がそれに固定される人が多いのもこのような傾向を助長している教育に問題があると思います。それは、考えさせるとかではなく「順位」とかが出ればよいという問題で「順位」と「平均点」などで人を評価してしまう風潮、その弊害に気がつかない親や教師が延々と日本にいたからでしょうね。

2011年3月16日
経験が思考の範囲を決めている?

 今回の東日本大震災では、大変な被害があり、被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 ところで、情報が出てくるにつれて防災での?というのがいくつかありました。その一つが地震とかの災害規模の想定ですね。今回のでは、よく「想定外」というのを聞きます。
 悪いですが、南三陸町の町長の話ですと、津波の大きさが1960年のチリ地震による津波の強さを想定していたというのです。スマトラでの津波はもっと大きかったですね。それと、地球の反対側から来た津波と目の前のプレートで起こる津波の大きさの違いが想像できなかったのは「経験」かな。チリ津波より大きいのがきたら、防災というのは「避難」しかないでしょうし、実際、皆さん必死に避難されているので「想定外」とかいうのは、ここでは大した意味はないですが。
 この三陸沖でのプレートによる地震は、専門家も「単発」と推定していたみたいです。その結果が、原子力発電所とか、各地での行政やその他の防災にも出ていたのでしょうね。過去の記録でも「連発」はなかったと思います。「南海地震」「東南海地震」は連発での記録があるのでそれなりに対策をしているようです。
 その個人自身の経験だけではなく、その地域の過去の経験も思考の範囲に大きな影響を与えているような感じがします。プレートによる地震は、時として、連発による超巨大地震を必ず、プレートの境目では世界どの地域でも起こる可能性があり、実際に起こってきているのですね。超巨大地震は世界でみれば、数年から数十年に1回くらいで起こっているようですが、特定に地域で見ると超巨大は相当長い間隔が開くことがあるので「想定外」となってしまうのでしょうね。
 地震のことで書きましたが、多くの事象で「経験による想定」で思考が止まっている例が観察されます。国会議員に多いような気がします。

2011年3月12日
検察での取り調べについての最高検察庁の調査

 3月11日に平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(三陸沖太平洋大地震)が発生しました。被災された方々にはお見舞い申し上げます。被害の状況の全容がわかるのは大分先になりそうですね。ですから、地震については別の機会にさせていただきます。
 3月10日にニュース等で報じられていたのに『供述と異なる調書作成、検事26%「指示受けた経験」』というのがあるのです。これは、大阪地検での証拠改竄事件を切っ掛けにした検察の状況やあり方についての一連の検証等の活動でおこなわれたものです。
 『大阪地検特捜部の不祥事を受けて設置された「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)が最高検に調査を求め、2月に無記名で実施した。出向者などを除く1444人の全検事が対象で、回答率は90.4%にのぼった。』というのが記事になっていましたね。
 全国の検事のうちの26%が実際の供述と異なる調書を作るように指示されたことがあるとか。これでは、検察の作文ありきと言われていたことが実際にあったということになります。というので、調書の矛盾を突く形で冤罪と認めさせる形になった一例が足利事件かな。最後はDNA鑑定のやり直しをさせることで冤罪を認めさせることになりましたね。
 ここにあるのは、逮捕した者を起訴するかどうかは、証拠等ではなく、検察の意向と言うことにもなりますね。さらに、これは、上層部の圧力とでもいうのでしょうか。誤認逮捕は非難を浴びますね。そこで、逮捕したら起訴、そして、有罪にという意識が働いて検察に不利な証拠に対する判断能力が低下してしまうのでしょう。
 その上、『「自分が起訴、公判を担当した事件が無罪になると、キャリアにマイナスの影響があると感じる」との質問には、30.8%が「当てはまる」と回答。「上司や幹部は、誤りがあると思えば躊躇(ちゅう・ちょ)なく判断を変える」と思っている検事は71.2%にとどまった。また、21.3%が「自己の判断より組織や上司への忠誠が優勢になったことがある」と答えた。』というのは、昇進とかで無罪になると悪影響があると考えてしまうことですね。
 このあたりのことも、以前から、証拠不十分や検察不利な証拠等があるときは、「起訴しない」や「起訴取り下げ」でもその検事の評価を下げないとかしてほしいと書いていますね。まず、事情聴取からして、今は問題を含んでいますよ。よく、捜査していると思える事件も多いのですが、なにか「兎に角、逮捕」を目指しているとしか考えられないのも報道されていますからね。
 そこには、警察のメンツ、検察のメンツのみに固執してしまっているとのみ感じられる時があります。
 ですから、警察の捜査段階からすべてで「可視化」するというのが大切になりますね。「可視化」していない捜査で作成された「調書」は否定が簡単になりますからね。この手を使っている被告が出ているとも感じられる事件があります。これは、今までの検察の捜査の問題点が大きすぎたためと考えます。

2011年3月4日
京都大学などでのカンニング事件

 3月4日にYahooで見つけた記事にフジテレビ系配信の『入試問題ネット投稿事件 逮捕の予備校生「またの間に携帯電話を隠して手で入力」』というのを見つけました。この記事の分は英語です。
 本来は「カンニングしない」というのが原則であり、守って貰いたい原則ですね。ただ、ちょいちょいこれを破るのがいるので「試験監督」というのがでてくるのです。ですから、試験をする方はできるだけカンニングのしにくい問題にする必要もあるのですが、現実はそこまでの考慮はされていないですかな。実質的には多数の資料による長文読解で、長文の論述をさせるとカンニングはしにくくなります。
 今回のは、これ、試験監督に問題もあったのではという気がします。まあ、携帯は片手で使うのが普通の人もいるのですが、PCのキーボードのブラインドタッチの人よりは入力に時間がかかるのではと思います。そして、投稿後の回答待ちの間もちょいちょい見ているのでは。そして、書き写すときの見ているわけですね。そうすると、本来机の上にある視線が極端にからだよりになっているのに気がつくはずです。
 本来向くべき視線と違う視線になっていたら、短時間でも疑うべきですね。その後、しばらく注視、そして、背後とか近寄っての確認とかすれば、4大学で京都大学では英語と数学2科目ですね。これだけ、連続して成功するわけはないと思うのです。試験監督が複数で監督しているから「カンニングなんかない」と思い込んでいたのかもしれないですね。教室が大きいと相当な人数にしないと死角が出てきますよ。
 これは、日本的とみれる面もありますよ。現状をよしとして、現実を直視しない性格。あ、これは諸外国でも結構あるかも。ですから、政権与党という現状のみを見て、日本の将来を切り開くべき責任もあるというのを忘れている議員の多い現実かな。まあ、アメリカでも共和党がこれに近いタイプかな。ところが、日本はすべての政党といっていいぐらい政権の座につくと現実が見えなくなる見たいです。
 大学入試で「カンニング」騒ぎが長年、なかったか、あるいは、公にされてなかったかで、入試では「カンニングなし」と思い込んでいた節が大きいと思います。
 ですから、他の受験生がいろいろな大学でカンニングしている可能性は結構あると思います。 

2011年2月26日
情報を幅広く調べ、深く理解し、有益に活用しょう

 2月26日にinfoseekで『就活学生 面接で「御社の○○が好き」と言うと無知がバレる (NEWSポストセブン)』というのを見つけました。SAPIO3月9日号の記事のようです。
 就活面接で無知をひけらかせるような言い方に「御社の○○が好き」というのがあるというのです。某総合電気メーカー希望の学生に著者が訪ねたところ、「液晶テレビの○○○が好きだから」 といったとか。この某総合電機メーカーは社会インフラとかに注力中で液晶テレビもしていますが、学生は主力を知らなかったということかな。
 就活では、企業研究というのが大切というのですが、表面的ではない研究が必要として、某携帯電話会社に就職した人は大学図書館でその企業の記事を一面記事からベタ記事(専有面積の小さい見出しの小さいさりげない記事)まで丹念に読んだとか。根気が入りますね。
 ところで、就活を例にしましたが、今の児童生徒学生は「コピペ」世代の本領発揮の者が多数いるようですね。この根本は「楽して・・・したい」、だから、企業研究では目立つものだけでも情報を得るとそれで満足して、その後ろにある大きな広がりには全く注意をはらわないのでしょうね。
 この著者は、新聞を丹念に毎日、読むより、雑誌を薦めていますが、それでも、半年は続ける必要があると言っています。就活で大企業の内定を複数勝ち取る者と何十社受けても全滅する者の違いがこのようなところにあるのでは言っています。
 如何に地道に学習をすることの大切さ、幅広く情報を調べ、取捨選択をする能力をつける必要性ですかな。その一番の基礎が児童生徒学生時代の幅広い学習によるものなどですね。今回は就活という面の記事を参考にしましたが、健康とかですと理科と保健体育と家庭科が最低必要になりますね。歴史を知らないから、平気で居れる前首相などかな。
 マニフェスト完全実施を迫るキチガイが散見される世の中ですから、勉強の深さのない人々が目につくのでしょうね。この狂信的な人は太平洋戦争に突入していった時代にも非常にたくさんいましたね。勉強をしてもこのような意味のないことに固執するようなことを信じるようになるというは勉強していなかったというのと同じでしょうね。

2011年2月24日
政治と宗教の関係

 2011年になって、チュニジア、次がエジプト、そして、リビアといきそうですね。ただ、ニュースが正しいとするとカカザフィー、悪足掻きがすぎていますね。その原因の一つが今までの独裁で情報がまともに届かなくなってしまったのでしょう。
 今、中東地域のイスラム教が宗教の主流を占めている国でデモが頻発していますね。世界の主要な宗教の中で唯一といって良いと思うのが「イスラムは宗教の方が政治より優先されている」ということかな。そのような国で争乱が起こって政権が倒れたり、国内騒然としたり、デモが頻発程度の国を入れるとほとんどでなにかが起こっています。
 キリスト教と政治の関係は長年にわたってのカトリックの法王庁とヨーロッパ各国の関係かな。ローマ帝国時代まではさかのぼらないですよ。もともとイギリスは王と貴族との関係はマグナカルタ等で王権も法の下にあるというような感じの国です。そのイギリスで、ヘンリー8世が離婚したいため、ローマカトリックからの離脱とイギリス国教会設立をしているのですね。これで、イギリスではまず「法」次に「王権」その次が「教会」となる順序が成立かな。これで、もともと、マグナカルタなのでの精神があるので、民主化、近代化がヨーロッパで最初に進み始めたと思っています。
 大陸では、宗教改革の嵐が吹き荒れ始めます。でも、ドイツは遅くまで「神聖ローマ帝国」だったですね。で、英独仏のなかでは「遅れた」といわれることになったのかな。今のヨーロッパ型の近代国家は「政治」と「宗教」では、権力的には「政治」が優先され、宗教は各個人の精神面を受け持っているみたいな感じかな。
 日本は、飛鳥時代とかでも、「八百万の神々」で自然宗教なものだから、仏教もその一つとして取り入れた感じが強いですね。でも、奈良時代の道鏡や後白河上皇当時の僧兵とか石山本願寺時代の一向宗とかは政治権力を持っていたと言えるかもしれないですね。でも、織田信長に退場させられますよね。江戸時代の「寺請け」制度は幕府の道具ですよ。ですから、葬式仏教に成り下がったという思いをしています。国家神道も政治の道具にされましたね。「神風」です。「靖国神社」も軍に上手に利用されましたよ。
 そうそう、仏教はもともと政治とは縁が薄い感じがします。仏教国ともいわれるタイで、僧侶は政権の座にいないですよ。別に引きずり下ろされたわけではないですね。ヒンズー教も近代インドでは影が薄いですね。
 その中で「イスラム教」だけが「政治」より上位に君臨しているのですね。そして、信者の真の幸福を考えている宗教者も多いですが、そうでないのが多いということも、独裁とリンクしてきたことが今回の地域全域に民主化要求とかが広まった原因ではないかなと思っています。ヨーロッパや日本などが400〜500年かけて起きた変化を数十年で起こそうとしているのが今のイスラム社会かなと思ったりしています。

2011年2月4日
トイレをきれいに清掃しましょう

 2月3日にYahooで見つけた記事に東京ウォーカー配信記事に「トイレ掃除を“する”か“しない”かで世帯年収に90万円の差!?」というのがありました。何年か前に日本経済新聞文化面にでた「トイレ清掃に学ぶ会」の話を読んだことがあります。こちらの方は探せば、この紙面が出てくるはずです。
 Yahooの記事は『ライオンは、今回、20〜39歳の男女490人に対して「トイレの清潔さに関する比較調査」を実施。』というものです。風水とかでも『「トイレをキレイにしていると、金運がアップする」などといわれている』のですね。それで、トイレの状況から『“ピカピカトイレ派(245人)”と“残念トイレ派(245人/トイレをキレイにしていない人のこと)”の2派に分け』て調査しています。
 例えば、「金運」ですと、ぴかぴかの方があるという答えが多かったとか。年収についても聞いているのですね。そうすると、『“ピカピカトイレ派”の平均個人年収は261万円、“残念トイレ派”の平均個人年収は237万円となり、24万円の差が出てしまったのだ。そして、「世帯年収」についても聞くと、“ピカピカトイレ派”の平均は542万円、“残念トイレ派”の平均は454万円。なんと、90万円近くの差が出る結果となった。』ということです。この理由はトイレがきれいと友人とかを家の招いたりすることができるので、社交性の高さなどにつながって仕事等にも有利に働くのではとかです。
 「トイレ清掃に学ぶ会」の方も人間関係へのよい影響の事例がいくつか挙がっていました。そして、なにより、トイレ清掃をしている本人の人格向上が大きな理由かもしれないですね。ただ、「トイレ清掃に学ぶ会」は「素手」が基本だそうです。それも、公共施設などでとか。ピカピカ派とかの調査は基本は自宅トイレのようです。自宅トイレがきれいな人は他の場所のトイレを美しく使うのが多いのではとも思います。
 そして、もし汚れを見つけたら「即清掃」、これが基本とか。実行力が伴ってくるのでしょうね。その結果が仕事にも出て、年収アップにつながっていっているのではと思います。
 よく結婚相手にしたいと思ったら、相手の家のトイレを見なさいといわれていたのにも通じますね。家の中では、施設の中では「トイレ清掃」の状況がそこの状況のヒントになるというに通じていますね。

2011年1月1日
恒例、人口動態統計

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。新年早々、暗い話ですみません。
 2010年12月31日に厚生労働省発表の人口動態統計の年間推計で人口が約12万3000人の自然減少になるというのがわかったというのです。
 減少幅が10万人を越えるのは初めてだというのですが、過去の人口動態統計を見ていれば、当然見当のつくことです。今後ですが、団塊の世代も60歳を越え始めており、且つ、出産適齢期の女性の総数も減少傾向をしめすので、死亡数は増加、出生数はよくて横ばいで悪くすると減少ですね。ですから、人口減少社会に入ってしまったと覚悟するべきです。
 人口減少を食い止める手段は国、国民を上げて「子育て」が経済的にも精神的にも時間的にもよいところのみと感じるような政策を着実に実行するしかないでしょうね。
 総務省の推計で今年の干支で生まれた人数は1951年生まれで成人したのが246万人が最多で生きて60歳になるのは186万人とか。新成人124万人というのです。出生予想は105万人前後でしょうね。この出生数の減少を放置してきたのが、国であり、地方公共団体であり、企業であったのですね。ただ、企業の一部では子育て社員の活用というのは働きに気がつき、子育て社員が働きやすい職場は皆が働きやすいと気がついて、対策を取り組んできていますが、そうでない企業も多いのが現状ですね。
 雇用の厳しさですが、今は輸出する場合は海外に工場進出というのがセットになりつつあるようです。ところが、海外からの工場進出の少なさ、なんとかならいですか。というように,工場は海外に出る方が多いので雇用が減少しても何とも思わなかった政府とかで、若者の雇用が増えないというか減少しているところに問題点が。
 今の政情ですと、人口減少は続くでしょうね。それも、深刻さを増していくと考えられます。発想の転換を。